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TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その216 『横浜中華街と横浜公園散策』 その7

2017年10月05日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
『関帝廟』に来ました。
関帝廟の外観は工事中でテントが張られていて、ごく一部しか見ることができませんでした。
中に入ると普通にお参りすることはできました。



1862年、一人の中国人が関羽の木像を抱いて、現在の地にささやかな祠を開いたといわれます。
祀られている主神は三国志の英雄として有名な実在の武将関羽(關聖帝君)です。



武人としてだけでなく、帳簿を発明するなど、理財にも精通していたため、中国では「財神」すなわち金儲けや商売繁昌の神として信仰
されました。
關帝廟の天井部分には豪華な装飾が施されています。



關聖帝君は、西暦160年前後の後漢、三国時代にかけて活躍した実在の武将です。
後漢末期宮廷内部は宦官の悪政のため、漢王朝は末期的な症状を呈し、そのため世の中は飢饉と貧困が蔓延し、黄巾賊の反乱が世の中を騒がせていました。
乱世をただすため、關羽様・張飛・劉備の三人は義兄弟の杯をかわし、義勇軍に参加し黄巾賊成征伐に立ち上がります。
トッポパパの愛読書だった三国志に詳しく書かれています。



中華街と言えば、横浜のパワースポットとして知られています。
木像の関帝が小さな祠に祀られ150余年、異国で暮らす華僑の人々の心の拠り所となってきました。
今日では商売繁盛の神として信仰を集めていますが、観光で訪れる人も多く、風水マニアの間でも人気のスポットです。



石獅(狛犬)です。



原石を台湾から輸入し、鎌倉の石匠によって彫られた守護獅子です。
1986年の第三代關帝廟が火災により焼失した後、焼け跡から掘り出され、 關帝廟を見守っています。



香炉です。
受付で購入したお線香を捧げて、本殿内を参拝するためのお清めをします。



中華街関帝廟がパワースポットだと言われるのは、中華街は風水的にもとても良い場所であり、関帝廟はその風水的に一番良い場所の中心部にあるからです。



『関帝廟』の隣は横浜中華学院です。



続く............................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その216 『横浜中華街と横浜公園散策』 その6

2017年10月04日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
『アートリックミュージアム』です。
パンダの入り口を入ると錯視錯覚の世界を楽しめるアートとトリックのミュージアムです。
自分自身が絵の中に入り込んでしまう作品から、恐竜の口の中に入り込んだり、本から飛び出るなど、不思議なアートとトリックの世界を楽しめます。
アートリックとは、ヨーロッパで発祥した「トロンプ・ルイユ」とよばれる立体画法(だまし絵)に新しいアイデアを付加して確立したニューアートです。



横浜中華街に何件ものお店がある、『皇朝』です。
中国料理世界大会の歴代チャンピオン4名が在籍する皇朝は、本格中華の味を楽しめます。
累計売上個数1億個を超える大人気の肉まんを中心に、餃子、シウマイ、小籠包など数多くの点心を販売しています。



華街最大の宴会場を誇る中国料理専門店、中華街本通りの『華正樓本店』です。



朝陽門(東門)近くの中華街を代表する有名店で、同店の創業は1939年の北京料理の老舗です。



旬の素材を生かしたアッサリ味の炒め料理から、フカヒレやアワビを使った深みとコクのある煮込み料理まで、上海料理を隅々まで堪能していただけます。



『状元樓本店』を別角度から撮りました。
上海料理の有名店で、テレビ版雲『ゴチになります』にも登場しています。



今日も、横浜中華街のお粥専門店『謝甜記』です。
謝甜記には昔風の本店と小ぎれいな1号店(2号店)の2店舗があります。
1号店の中は狭くて古いお店ですが、中国で食事をしているような雰囲気があります。



2016年ぐるなび横浜中華街総合予約ランキング1位のお店、『中南海』です。
中南海の料理人や点心師が店内で手作りする本格中華が、リーズナブルに食べ放題のお店です。
トッポママと2人でしたので、こちらで昼食です。
オーダー式の食べ放題だから、でき立てアツアツの料理を楽しめ、B級グルメ(失礼)的ですが、コラーゲン入りの肉汁が溢れだす小籠包やプリプリ食感のエビチリなど、15品も食べてお腹いっぱいです
人気のメニューがたっぷり楽しめる食べ放題コースはおすすめです。



隣のお店が『北京烤鴨店』です。
北京ダック食べ放題もリーゾナブルな値段で満喫できます。



最近は流行なのか、食べ放題のお店が多く目につくようになりました。
こちらは、小籠包専門店『七福』です。
133品食べ放題時間無制限で、値段も手ごろです。
裏道のほうが、本当に味で勝負する店もたくさんあるようです。
超高級店には手の届かない庶民でも、お店によってはそれなりに満足な中華料理を堪能できます。



続く..............................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その216 『横浜中華街と横浜公園散策』 その5

2017年10月03日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
『横浜媽祖廟』です。
2006年(平成18年)3月17日に、『横浜媽祖廟』は開港から150周年を迎える横浜の新名所として横浜中華街に開廟しました。



額に描かれているように『天后』とも呼ばれます。
中国特有の色使いに装飾が施された門をくぐると、その先には階段と八角形の「廟堂」があります。
廟堂と門との間を繋ぐように赤い提灯が並んでいます。

以下、一部オフィシャルサイトの説明を抜粋して紹介します。
『媽祖』は、北宋時代に実在した福建省・林氏の娘で、生まれて1ヶ月も泣き声をあげなかったため、『林黙娘(りんもうにゃん)』と名付けられました。
しかし、生誕後は幼少より才知に長け、10歳のころには朝晩の念仏を唱えるようになります。



ある日うたた寝している『媽祖』を母が起こしたところ、兄が救えなかったとつぶやき、母が驚いて理由を尋ねると、夢で父や兄弟を海難事故から救助していたと話しました。
帰宅した父や兄弟に話すとその通りだった、という伝説が残り、のちに航海安全の守護神となりました。
16歳で神から教えと銅製の札を授けられたといわれています。
次第にあらゆる苦難に応える神として、信仰を集めるようになりました。



その後、神通力を駆使し、むしろを用いて海を渡り、雲に乗って島を巡回し、札の力で悪や災いをしりぞけ、病を癒す彼女を人々は、『通玄の霊女』と尊敬の意をこめて呼ぶようになりました。
28歳の9月9日に修行を終え天に召された後も、赤い衣装をまとって海上を舞い、難民を救助する姿が見られたので、人々は廟を建てて護国救民の神様として祀るようになりました。



その神通力は国に広まり、歴代の皇帝も『天妃』『天后』『天上聖母』などの名を贈り敬意を表しました。
『媽祖』は、航海を護る海の神様としてのみならず、自然災害や疫病・戦争・盗賊から人々を護る女神様として、現在でも中国大陸・台湾はもとより、華僑が住む世界各地で信仰されています。



横浜媽祖廟は、台南市大天后宮より分霊されたものです。



廟の本殿には媽祖様が中心に祀られています。
その右隣りには『千里眼』が祀られています。
遠くを見る目であらゆるものを見分けて媽祖様に知らせています。
左隣には、『順風耳』が祀られていて、遠くの声を聞く耳であらゆる人々の声を聞き分けて媽祖様に報告しているそうです。



この媽祖廟で観光客を中心に人気なのが「中国式おみくじ」です。



門の裏側の額に『海四澤恩』と描かれていますが、調べても意味がわかりませんでした。



最後に、『太鼓楼』です。
2005年の、横濱媽祖廟新築工事現場より明治・大正期の分銅印手焼きレンガ・機械製レンガなどが大量に出土しました。
これは関東大震災以前及び震災時の中華街の状況を伝える大変貴重な史料でした。
そのご、鐘楼・太鼓楼の建設にあたり、袴部分に約1000枚のレンガを活用しました。



続く..........................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その216 『横浜中華街と横浜公園散策』 その4

2017年10月02日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
中華街大通りの中ほどで、南に曲がると市場通りに入ります。
門は新しくなりましたが、市場通りは昔の雰囲気を残しています。
狭い路地ですが、市場通りは中華街で一押しの場所です。



市場通りの門は 、中華街の市場としてのにぎやかさを象徴した門です。
台湾料理の『状元郷』です。
パイコー飯、シジミ料理は、ここでしか味わえないと評判です。



トッポパパが昔よく通っていた、『四五六菜館(シゴロク)』です。
トッポパパは双六(スゴロク)と覚えていました。
横濱中華街 点心品評会で金賞を受賞した「四五六小龍包」や銀賞を受賞した「手毬餃子」などの特製点心が有名です。
市場通りに1961年に創業し50余年、以前はこの本館だけでしたが、商売繁盛なのか、立派な別館、新館を別の場所に構えています。



関帝廟通りに面したところに、もう一つの門があります。
食料品店『さかもと』店はアジアの調味料、食材をそろえたお店です。



市場通りは2か所の門の間を南北に通る狭い道路で道沿いに多くの中華料理店があり、観光客も多く賑やかです
市場通りという名称の由来は、関東大震災の前大正10年(1921年)頃に、中華料理店とその住民を相手に自然発生的に精肉店、鮮魚店、青果店などが出店しはじめ、当時は朝市と呼ばれた午前中だけの通りでした。
終戦後は物資不足でしたが、この市場通りはだけは、大変な賑わいをみせていました。
昭和40-50年頃から食生活の変化と共に観光地化され、一般商店は撤退し、『中華街の台所』と呼ばれるようになり、その後中華料理店も多く進出し今に至っています。



市場通りから関帝廟通りに出るとすぐ山下町公園があります。
観光客が休憩できるようにベンチも準備され、四阿「會芳亭(かいほうてい)」が公園のシンボルです。
春節の時は、この公園で各種イベントが開催されます。



正面に観えるのは中華街最大級の総合エンターテインメント施設、『横浜大世界』です。
『横浜大世界』は、買い物、アート、くつろぎ、食がすべて楽しめる総合エンターテインメント施設です。
錯視錯覚の世界を楽しめるアートとトリックのミュージアムも人気です。



『横浜大世界』の前にある門が、『天長門』です。
天長門は天のとこしえ(永遠)になることで、永遠に商売繁盛が続く子とを願うのでしょう。
商売の神様『横浜中華街關帝廟』がある通りを象徴する門で、關帝廟東側が『天長門』反対の 西側が『地久門』で、対になっているそうです。



いつも気になっていた、『ぱんだや』です。
黄色い壁に赤のフード、 入口にパンダ親子の像がお出迎えという目立つ外観です。



お店中もバラエティに富んでいて個性的なぱんだ雑貨がたくさんあります。
上野動物園の香香(シャンシャン)誕生で、今年は特別セールの新作が並ぶかもしれません。



続く.......................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その216 『横浜中華街と横浜公園散策』 その3

2017年10月01日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
『善隣門』から中華街大通りにはいるとすぐ左手に『萬珍樓本店』があります。



萬珍樓の発展は横浜中華街と共にあります。
徳川幕府が横浜を開港後、明治維新による文明開化を機に発展してきた中華街です。
清国領事館が開設され、三国志演義で有名な関羽様をまつった関帝廟も明治6年に建立されました。
明治27年以降、中国の国父「孫中山」は度々この中華街を訪れ華僑のための学校を創立しました。
萬珍樓の看板が掲げられたのもちょうどこの頃です。



『萬珍樓本店』のロビーとフロアに、2台の古いピアノがあります。
大切に保管・展示され、1-2カ月に1度行われる演奏会には多くのファンが集まります。
このピアノは、『周ピアノ』といい、かつて中華街で作られていたピアノです。
横浜開港して間もない頃に中国人の貿易商である周さんがピアノの輸入・製造・販売をしていたそうです。
周ピアノは、明治、大正、昭和という激動の中華街を物語るひとつの象徴として、この街で大切に語り継がれています。



途中でお菓子名”フカヒレマン!”がお迎えです。
フカヒレ激安です! しかし、この顔安すぎて困っているようにも見えます。



中華街大通りの真ん中にある蘇州寒山寺をモチーフにした外観の『一楽』です。
創業昭和2年の中華街屈指の老舗で、昔ながらの味を守りつつ「カジュアルに美味しく楽しく」をモットーに広東料理と四川料理を中心に四季の食材を中国各地の調理技法でお届けいたします。



比較的新しいお店、『桂宮』です。
広東伝統・創作料理の店で、映画のセットのような独特な店内と、ラー油と唐辛子の攻撃的な辛さのタンタン麺があります。



明治の創業以来、古き良き時代の中華街の伝統をかたくなに守り続ける『同發本館』です。
広東料理のお店で秘伝の焼き物・麺飯類が有名です。



中華街はもとより、日本に現存する最古の中国料理店、『聘珍樓』です。
50人を越える厨師たちが腕をふるう本格料理店です
この日は定休日のようでした。



創業した1884(明治17)年から現在まで、屋号も変わることなく大通りに面する現在の敷地で営業を続けている。
しかも同店は中華街だけでなく、日本に現存する最古の中国料理店です。
『極上フカヒレの姿煮込み』は有名ですが、お値段も、ネット情報ですと、極上フカヒレの姿煮込み(大250g ¥25,100-)とあります、お値段も別格のようです。



創業1955年の上海料理のお店、『状元樓』です。
1920年代上海のフランス租界にあった邸宅をモチーフにした異国情緒に溢れたレストランです。
カニ、フカヒレ、アワビなどの食材の風味を生かしたあっさりした味付けと、こくのある煮込み料理が特長です。
1920年代の「老上海」をイメージした、異国情緒あふれる優雅な雰囲気の店内です。



続く..........................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その216 『横浜中華街と横浜公園散策』 その2

2017年09月30日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
西門、『延平門(エンペイモン)』です。
JR石川町駅が最寄り駅になります。



平和と平安のやすらぎが末永く続くことを願った門だそうで、守護神は白虎神で色は白です。



柱のてっぺんや見上げた部分に、勇ましい白虎の彫刻を見ることができます。



北門、『玄武門(ゲンブモン)』です。
子孫の繁栄をもたらす、守護神は玄武神です。



『玄武門』、北門の前の道路を渡ると、横浜公園・横浜スタジアムです。関内方面に向いた門です。



黒門の玄武は他の聖獣と比べ聞き慣れない感じがあひますが、蛇のように長い首をもつ亀のことから、子孫の繁栄をもたらす門なのだそうです。
東西南北の門を回るだけでも、結構いい距離で、いい運動になりました。



それでは、西門『延平門』に戻り、西門通りを進むと、中華街大通りの入り口に『善隣門』があります。
『善隣門』は中華街でいちばん最初にできた門です。
横浜中華街のシンボル的存在で、高さ約12m、幅約8mです。
銘板に、隣国や隣家と仲良くするという「親仁善隣」という言葉を掲げ、名称が「善隣門」になりました。



終戦後に当時の平沼亮三市長や内山岩太郎県知事がサンフランシスコのチャイナタウンを視察し、横浜中華街も同様に観光地として発展させられるのではないかと考え、初代の善隣門は1955年に完成しています。



現在の善隣門は二代目で、1989年の横浜開港130周年を記念した横浜博覧会にあわせて建て替えられました。



「親仁善隣」を掲げた『善隣門』より、『朝陽門』を結ぶ通りがメイン通りになる中華街大通りです。



続く........................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その216 『横浜中華街と横浜公園散策』 その1

2017年09月29日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
横浜に生まれ育ったので、生きているうちに横浜の歴史を知らなければと、横浜散策を続けることにしました。
今回は横浜中華街周辺を見て回ることにします。
チャイナタウンは世界各地にあり、日本でも横浜中華街のほか、長崎中華街、神戸南京町があります。
横浜中華街は500m四方に飲食店、雑貨店を含めて約600店、中国料理店だけで約240店がある、世界でも最大級のチャイナタウンです。

まずは中華街の外周にあたる4つの門(牌楼)、東の『朝陽門』、南の『朱雀門』、西の『延平門』、北の『玄武門』を見ることにします。
東の『朝陽門』です。



『朝暘門』は日が昇る海側にあり、山下公園やみなとみらい線元町・中華街駅からはこの朝陽門が入り口になります。
10門の中で最も大きな門で、高さ13.5m、幅12mあります。
青の門とも呼ばれ、子孫繁栄を司る青龍が守護神名ので色は青です。



風水の考えに基づき東門=青、南門=赤、西門=白、北門=黒となっています。
中華街側から見ると、朝陽門の文字の下には東を守る聖獣である『青龍』並んでいます。



横浜中華街は人口ではカナダ・バンクーバーの中華街に劣りますが、料理店の多さでは中国本土を除けば世界一です。
駐車場にも青龍が描かれています。
中国では停車場というのですね。



『朝暘門』の手前を左に行くと、高層マンションを囲まれていますが、木々の間に『横浜天主堂跡』があります。
かつての居留地80番地で、横浜で初めての教会『聖心聖堂』が建設された場所です。
正式名称は「EGLISE DU SACRE-COEUR」ですが、キリスト像の台座には『横浜天主堂跡』と刻まれています。



ペリーが来航し、日本が開国してから最初に教会が建てられたのは横浜です。
何故、『横浜天主堂』といわれるのかは、教会が横浜中華街のそばに建てられたということにあるようです。
横浜中華街には中国人が多く暮らしているので、教会の入り口に中国語でカトリック教会を意味する「天主堂」の文字が掲げられ、その後『横浜天主堂』いう呼び名が定着したそうです。

開港とともに居留地に上陸した欧米文化の一つが、日曜日という習慣です。
当時すでに欧米諸外国では、キリスト教の影響もあり、日曜日は仕事を休み教会で祈りを捧げる日として定着していました。
休日という習慣がなかった日本人にとって、週に一度くる日曜日はとても不思議なものだったといいます。



『横浜天主堂』が誕生したのは1862年(文久元年)で、近代日本初のこの教会は、パリ外国宣教会から任命を受けた宣教師・ジラール神父によりつくられたカトリック教会でした。
横浜の宣教師の歴史としては、プロテスタント教会のヘボン神父らの活躍が有名ですが、最初に創建されたのはこのカトリック教会で、プロテスタント教会(クライスト・チャーチ)は、翌年、やや元町寄りの105番地に誕生しています。

創建以来、幾度となく火災の被害を受けながらも再建や改築をくり返してきた横浜天主堂も、1906年(明治39年)、静かな住宅地、山手へと移転し、以前このブログでも紹介した、現在の『カトリック山手教会』へ受け継がれています。



南の『朱雀門(スザクモン)』です。
厄災をはらい、大いなる福を招く門で、守護神は朱雀神で、色は赤です。



『朱雀門』の文字の下や、その両側に、あでやかに羽を広げた朱雀の姿が見られます。



朱雀は南方を守護し、災厄を払い、大いなる福を招くといわれます。
元町側にあり、元町と中華街の行き来はここが便利です。



続く........................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その215 『横浜開港の歴史を訪ねて、三塔物語』 その13

2017年09月28日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
緑青色のドームが特徴的な建造物で、横浜市の歴史的建造物にも認定されています。
夜にはライトアップ演出がされています。



税関と聞くと堅苦しいイメージですが、建物は税関のイメージに反して優美で気品あるデザインです。
三代目税関庁舎(現庁舎)建設時に、神奈川県庁の高さ(49m)、横浜開港記念会館高さ(36m)”が港横浜の高層建築物でしたが、塔の高さ47mの税関庁舎の当初の設計図を見た金子税関長は『日本の表玄関たる国際港横浜の税関の庁舎とするなら、高くすべき…』と言及し、設計図が書き直され、当初より4m高い現庁舎の高さ(51m)が完成したと秘話として紹介されていました。



1階には税関資料室(クイーンのひろば)があり、横浜税関の歴史や役割、ホンモノ・ニセモノコーナー、ワシントン条約コーナー、密輸の手口などが紹介されています。



入口では税関イメージキャラクター「カスタム君」が出迎えてくれます。
カスタム君は撮りましたが、大蔵大臣高橋是清の直筆と伝えられている正面玄関の標札は忘れてしまいました。



歴代の税関本庁舎です。
初代横浜税関は1873年(明治6年)の建築、2代目横浜税関は1885年(明治18年)建築、3代目横浜税関は1934年(昭和9年)の建築です。
現在の本庁舎は2003年(平成15年)に全面改装され現在に至っています。



開港当時を思わせる運上所の門の再現のようです。
なのか、カスタム君も年代物?ですかね



カスタム君の説明です。
展示室には、横浜港・横浜税関の歴史年表、これまでに取り締まった密輸の記録、明治時代の税関職員の制服など様々な資料が展示されています。



歴代の税関長が勅任(ちょくにん、天皇の意思で任命すること)した際に着用する大礼服も展示されています。



最後に海側からの横浜税関の写真ですが、やむを得ない時代とはいえ、背景の高層ビルがないほうがより歴史を感じることができると思いますね。



何とか、半日かけて横浜三塔を見て回り、勉強になりました。



最後に、横浜三塔を同時に観える場所を探せると幸せになるという話もあるということから、何とか探し出して今回の散策の最後の写真にします。



次は何を調べながら散策(暇つぶし?)しようか、思案中です。
横浜中華街の歴史か、元町の歴史ですかね..............................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その215 『横浜開港の歴史を訪ねて、三塔物語』 その12

2017年09月27日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
横浜開港記念会館を出ると目の前は、日本大通りです。
R.H.ブラントンの設計により明治3年頃に完成した日本で初めての西洋式街路です。
神奈川県庁や横浜開港資料館、横浜地方裁判所、三井物産横浜ビル、旧関東財務局など、 重厚な歴史的建造物が立ち並びます。



二代目横浜税関時の日本大通りです。
明治時代には、人力車や車が行き交う街のメインストリートとしての役割を果たしていました。



幾度となく整備され、その道幅は36m幅で、両側に3mの歩道、9メートルの植樹帯を備えた通りでした。
日本初の西洋式公園『横濱公園』と、横浜初の波止場『象の鼻地区』を直線で結ぶ通りです。
紅葉の季節には、道路沿いのオープンカフェは美しく色づいたイチョウが眺められる人気の撮影スポットとです。



ここで昼食タイムとしました。
クラシカルな雰囲気漂う洒落たビルの中にある、『CAFE de la PRESSE(カフェドゥラプレス)』です。



クラシックな雰囲気が漂い、天井が高く居心地が良い開放的な店内は、まるでパリを訪れた気分になります。
2階のミュージアムカフェは、“記者が集まるパリのカフェ”をイメージしたフレンチスタイルのカフェです。



最後の横浜三塔、横浜税関に向かいます。



1934年竣工の横浜税関は、『クイーン』の愛称で親しまれる塔はイスラム寺院風のドームでエキゾチックな雰囲気です。



ロマネスクなど洋風建築様式が混在している、気品のある雰囲気が漂っています。



横浜税関は、全国に9か所ある税関の中でも長い歴史を持ち、現在の建物は3代目の庁舎です。



続く.............................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その215 『横浜開港の歴史を訪ねて、三塔物語』 その11

2017年09月26日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
貴賓階段の中央の壁面に、我が国のステンドグラスの歴史上、非常に価値の高いステンドグラスがあります。
製作は、宇野沢組ステンドグラス製作所で、大正12年(1923年)、関東大震災により焼失しましたが、昭和2年、当初のものを尊重して復旧しました。



ペリー提督による浦賀沖への黒船来航は1953年です。
その時は4隻の艦隊を率いてやって来ましたが、ペリーは翌1954年にも、日米和親条約のため今度は横浜沖に、9隻もの艦隊を率いて再来航しています。
その9隻のうちの旗艦が、このステンドグラスのモチーフになっているポーハタン 号(USS Pawhatan)です。



ポーハタン号は2,400トンで、江戸→ハワイ→サンフランシスコ→パナマと運航されました。
1860年1月22日、横浜を出港し、北太平洋の暴風雨にもまれ、77人の日本人は船酔いに苦しみましたが、ハワイで燃料を補給し、3月9日サンフランシスコ到着しました。
先に到着していた護衛艦の咸臨丸と再会し、サンフランシスコから日本に帰る咸臨丸と別れ、さらに南下してパナマまでこの船で送られました。



開港記念館は昭和33年(1958年)まで米軍の接収を受けましたが、ステンドグラスに描かれた船の星条旗を見た米軍将校が心を動かされ、大切に扱うようにしたからだという“伝説”が残っているそうです。
階段のステップ部分が波のようになっているのも、港、横浜だからでしょう。



開港記念会館を出ると、すぐそばに岡倉天心生誕の地の石碑があります。
岡倉天心(1863-1913)は、急激な西洋化の荒波が押し寄せた明治という時代の中で、日本の伝統美術の優れた価値を認め、美術行政家、美術運動家として近代日本美術の発展に大きな功績を残しました。
もう少し、周辺を歩いてみます。



開港記念会館から横浜税関に向かう途中に、開通合名会社(日本人商社)の煉瓦遺構が保存されています。
明治10年(1877年)1月に創立された「開通社」の社名を明治24年(1891年)「開通合名会社」に改名しました。



横浜港から陸上される貨物の通関・発送取扱事務を営んでいた商社でした。
関東大震災で被災しましたが、その後建てられた建物のなかにこの煉瓦の壁がそのまま埋まっていたそうで、近年(2014年)になってその建物が壊された際に発見されました。



建物の解体時に発掘されたこの遺構は、所有者の意向により、横浜関内地域の日本人商社建築の記録と、関東大震災の記憶を現在に伝える貴重な歴史的遺産としてこの地に保存されることになりました。



壁は2面が残り、上から見るとL字形。高さが4mぐらい、2つのアーチがあります。



続く........................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その215 『横浜開港の歴史を訪ねて、三塔物語』 その10

2017年09月25日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
横浜市開港記念会館は、公会堂のほか、初代商工会議所という要素を併せ持った建物として設計されています。
一階の廊下です。



こちらは控室のようです。



横浜市開港記念会館の八角塔の一階は貴賓専用の入口です。
大理石製の扇状をした階段も格調高いものになっています。



玄関の内部は豪華な造りで、手の込んだ床面や天井の漆喰装飾になっています。



八角塔なので、開放感のあるレイアウトになっています。
八家形の建物は、日本建築においては、真円すなわち完全を意味するそうです。



横浜開港150周年記念のステンドグラスで描かれた『街』です。
昔の近辺のお店を描かれたものでしょうか? 昭和の雰囲気?が漂っています。



今年の7月1日はジャック(開港記念会館)の100周年です。



貴賓階段です。
この貴賓階段は、登り口を広げることで優雅な雰囲気を醸し出しています。



階段の手摺りにも紋章が刻んであります。



続く....................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その215 『横浜開港の歴史を訪ねて、三塔物語』 その9

2017年09月24日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
2階広間から資料室の間に、開港当時の交通の様子を表しているステンドグラスです。
中央が『鳳凰』、左は『呉越同舟』右が『箱根越え』を描かれています。
中央の鳳凰部分にも、横浜市の市章、ハマ菱がデザインされています。



その奥の窓は、円周部分にすりガラスが使われ、変化をつけることで窓の雰囲気を変えているようです。



『咸臨丸帰航図』が掛けられています。
1853年、浦賀沖に来航したペリーの黒船に肝をつぶした幕府は、勝海舟の提言を受け入れ、長崎に海軍伝習所を創設し、その練習艦としてオランダに軍艦2隻を発注しました。
1855年、先に届いた1隻(観光丸)はオランダ領インドネシアにあった中古船でしたが、後1857年8月に届いたもう1隻は、以前このブログで紹介した、オランダの風車で有名なキンデルダイクの造船所で建造された咸臨丸です。
ちなみに、咸臨丸のオランダ名は『ヤパン号(Japan)』で、日本では、江戸幕府の船として初めて太平洋を往復した蒸気船になります。

嘉永7年(1854年)、ペリーが黒船、『ポウハタン号』を旗艦として来航し、横浜村に上陸して日米和親条約を締結します。
安政5年(1858年)、この船上で、米国代表・総領事タウンゼント・ハリスと日米修好通商条約が調印されました。
万延元年(1860年)、この条約を正式批准するため、日本使節団がこのポーハタン号に乗って、太平洋を横断し、アメリカへ向かいました。
遣米使節が乗る『ポウハタン号』の護衛艦として派遣されたのが咸臨丸です。



1860年1月、咸臨丸は軍艦奉行木村摂津守と艦長勝麟太郎のもと約90名の乗組員を乗せて浦賀を出航しました。
暴風雨に見舞われ、日本人乗員は大変な苦労の末、出航から37日後無事サンフランシスコに入港しました。
復路は大きな嵐もなく無事浦賀に入港できました。
日本人初の太平洋横断航海には、ジョン万次郎、福沢諭吉等が同乗していました。
画像は太平洋の怒濤を疾走する咸臨丸の雄姿を想像して描いたと思われる咸臨丸の絵画です。



塔へ上る螺旋階段です。



当時の絵地図?があります。
実際に歩きまわると、その位置関係が少しずつわかってくるのも、散策の楽しみです。



内部の部屋の配置や、その造りは重厚で、存在感があります。



いくつかの部屋は、会議室として希望者に利用できるそうです。



特別室は正確な方位を向いた八角形で、創建時の天井には鳳凰の刺繍が施されていました。
当時はオペラやバレエを鑑賞する際に、待合室として利用されたようです。



続く......................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その215 『横浜開港の歴史を訪ねて、三塔物語』 その8

2017年09月23日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
神奈川県庁本館の“キング”(昭和3年竣工)、横浜税関の“クイーン”(昭和9年竣工)と並ぶ、横浜開港記念会館は1917年竣工、開港50周年を記念して建てられた、レンガと花崗岩でできた建物の塔は横浜のシンボルとして親しまれてきた“ジャック”です。



これらの愛称が日米開戦以前の昭和10年代から使われていたそうです。
戦後、開港記念館は昭和33年(1958年)まで異例の長きにわたって米軍の接収を受けましたが、『メモリアル・ホール』と愛称され、内部の改変なく、使用されました。



それでは中に入ってみます。



入口を入り、順路に沿って右に歩くと、バラ窓を背にしたおしゃれな階段です。



NHKのTVドラマ『坂の上の雲』では、主人公の兄、秋山好古を演じた阿部寛が、白い軍服姿で登場するシーンを、この建物で撮影したそうです。
この階段を降りるシーンや、講堂で演説する場面もあったとのことです。



開港50周年を記念して制定された横浜市のマークである浜(ハマ)菱は、カタカナの「ハマ」をデザイン化したもので、よく探すと、中央線の両端に、そっと埋め込まれているのが分かります。



説明版です。
関東大震災や横浜大空襲にも、全壊は免れ歴史を伝えてきました。



塔の高さは 約49m、階段は117段もあります。



階段上にある半円形の大きなバラ窓から光が入る2階広間です。



続く.........................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その215 『横浜開港の歴史を訪ねて、三塔物語』 その7

2017年09月22日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
横浜には多くの、歴史的価値が高い洋館が現在まで大切に残されています。
旧神奈川県庁キングの塔は日没から22時までのライトアップを行っています。



第1層は、薄いベージュの色の大谷石を使用し、第2層は、スクラッチタイル、3層目が塔屋となります。
キング、ジャック、クイーンの塔の呼び名は、開港当時、外航船の船乗りたちが、横浜港に近づくと見えるこれらの建物(塔)に付けた愛称だと言われています。



県庁の敷地内に神奈川運上所跡の史跡がありました。
運上とは運送上納の略で、古くは年貢などの公物を京都へ運んで上納することを意味し,室町時代には課税の意味です。
運上所とは現在の税関にあたるもので、江戸時代,運上上納を扱った役所で、運上方ともいいます。
幕末から明治初年に幕府,次いで大蔵省が各開港場において輸出入貨物の取締りや関税の徴収などにあたりました。



1859(安政6)年、開港に伴い神奈川運上所が設けられました。
現在の税関業務や外交業務等、神奈川奉行所の中で最も主要な仕事を受け持っていました。
慶応2年(1866年)類焼、翌年新築、横浜役所と称し、明治元年(1868年)明治政府に移管され同5年(1872年)横浜税関に改められました。



横浜開港記念館です。
横浜開港50周年を記念し、市民の寄付金により大正6年(1917年)に創建されて以来、横浜の代表的建造物の一つとして多くの市民に親しまれてきました。



昭和34年(1959年)から「横浜市開港記念会館」の名称で、公会堂として利用されています。
今年は、横浜市開港記念会館は、開館100周年になります。



横浜市開港記念館の塔は通称ジャックと呼ばれています。



横浜開港50周年を記念して市民の寄付で建築され、辰野式フリークラシック様式の赤レンガが特色で、高さ36mの時計塔は横浜のモダン建築のシンボルとして親しまれています。



横浜市開港記念館は、創建当時の姿を保ったまま現役の公会堂として使用され、建物が丸ごと全部、重要文化財となっています。



続く.............................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その215 『横浜開港の歴史を訪ねて、三塔物語』 その6

2017年09月21日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
門柱や灯り、門扉も総領事館当時のもので、壮麗で優雅な正面玄関です。
写真だと大木の陰になってしまいましたが、ドアの上部には、屋根のような櫛形のペディメント(扇型の窓)がついています。



玄関の左右には、シンプルな窓をはさんでペディメントのついた窓が対象に配されていて、3階には丸窓があります。
総領事館として、1階は執務室、2階は事務官2世帯の住宅、3階は使用人の住居として設計がされたそうです。
往時には正門2階の窓台の部分には、英国王室のエンブレム(紋章)が飾られていました。

長く総領事館として使われていましたが、1972年に東京の英国大使館へ業務をすべて移管した後。1979年に横浜市が建物を買い取り、1981年に「横浜開港資料館」として公開されました。
2000年には横浜市指定文化財にも指定されています。



参考ですが、以前紹介した下の写真は、港の見える丘公園に隣接した現・横浜市イギリス館で旧英国領事館公邸です。



中庭にある大きな木は横浜の歴史を見守ってきた、タマクスの木です。



江戸時代からこの地に生えていたそうで、ペリー来航時に艦隊に随行してきた画家ハイネが描いた『横浜上陸』の絵の右端の大きな木が、このタマクスの木だといわれています。
慶応の大火、関東大震災などで大きな被害を受けながら、そのたびにタマクスの木は根から新しい芽を吹き、再びこのような大木となりました。



『開国博Y150』のマスコットキャラクター『たねまる』は上半身は芽を出したタマクスの木の種子をイメージし、下半身は船をモチーフにして、横浜のタネが世界に向け出航するイメージを表しています。



次の場所へ移動します。
横浜に有名な三塔があり、「キング」は『神奈川県庁本庁舎』、「クイーン」は『横浜税関』、「ジャック」は『横浜開港記念会館』のことです。
『キングの塔』の愛称で親しまれている神奈川県庁本庁舎です。



表面に溝を刻んだスクラッチタイルの風格のある建物は、日本趣味と洋風建築が調和し、荘厳さを感じます。



アール・デコを意識したモダンな鉄筋コンクリートビルの頂部に、和風の屋根を融合させたものです。



随所に、幾何学的装飾が多く用いられ、平行のラインを強く意識し細部にこだわった建築物です。



神奈川縣廳と旧字体で書かれています。
トッポパパもそうですが、もう読めても書ける人は少ないでしょう。



続く.........................................................................