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トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その215 『横浜開港の歴史を訪ねて、三塔物語』 その11

2017年09月26日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
貴賓階段の中央の壁面に、我が国のステンドグラスの歴史上、非常に価値の高いステンドグラスがあります。
製作は、宇野沢組ステンドグラス製作所で、大正12年(1923年)、関東大震災により焼失しましたが、昭和2年、当初のものを尊重して復旧しました。



ペリー提督による浦賀沖への黒船来航は1953年です。
その時は4隻の艦隊を率いてやって来ましたが、ペリーは翌1954年にも、日米和親条約のため今度は横浜沖に、9隻もの艦隊を率いて再来航しています。
その9隻のうちの旗艦が、このステンドグラスのモチーフになっているポーハタン 号(USS Pawhatan)です。



ポーハタン号は2,400トンで、江戸→ハワイ→サンフランシスコ→パナマと運航されました。
1860年1月22日、横浜を出港し、北太平洋の暴風雨にもまれ、77人の日本人は船酔いに苦しみましたが、ハワイで燃料を補給し、3月9日サンフランシスコ到着しました。
先に到着していた護衛艦の咸臨丸と再会し、サンフランシスコから日本に帰る咸臨丸と別れ、さらに南下してパナマまでこの船で送られました。



開港記念館は昭和33年(1958年)まで米軍の接収を受けましたが、ステンドグラスに描かれた船の星条旗を見た米軍将校が心を動かされ、大切に扱うようにしたからだという“伝説”が残っているそうです。
階段のステップ部分が波のようになっているのも、港、横浜だからでしょう。



開港記念会館を出ると、すぐそばに岡倉天心生誕の地の石碑があります。
岡倉天心(1863-1913)は、急激な西洋化の荒波が押し寄せた明治という時代の中で、日本の伝統美術の優れた価値を認め、美術行政家、美術運動家として近代日本美術の発展に大きな功績を残しました。
もう少し、周辺を歩いてみます。



開港記念会館から横浜税関に向かう途中に、開通合名会社(日本人商社)の煉瓦遺構が保存されています。
明治10年(1877年)1月に創立された「開通社」の社名を明治24年(1891年)「開通合名会社」に改名しました。



横浜港から陸上される貨物の通関・発送取扱事務を営んでいた商社でした。
関東大震災で被災しましたが、その後建てられた建物のなかにこの煉瓦の壁がそのまま埋まっていたそうで、近年(2014年)になってその建物が壊された際に発見されました。



建物の解体時に発掘されたこの遺構は、所有者の意向により、横浜関内地域の日本人商社建築の記録と、関東大震災の記憶を現在に伝える貴重な歴史的遺産としてこの地に保存されることになりました。



壁は2面が残り、上から見るとL字形。高さが4mぐらい、2つのアーチがあります。



続く........................................................。

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