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トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その216 『横浜中華街と横浜公園散策』 その1

2017年09月29日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
横浜に生まれ育ったので、生きているうちに横浜の歴史を知らなければと、横浜散策を続けることにしました。
今回は横浜中華街周辺を見て回ることにします。
チャイナタウンは世界各地にあり、日本でも横浜中華街のほか、長崎中華街、神戸南京町があります。
横浜中華街は500m四方に飲食店、雑貨店を含めて約600店、中国料理店だけで約240店がある、世界でも最大級のチャイナタウンです。

まずは中華街の外周にあたる4つの門(牌楼)、東の『朝陽門』、南の『朱雀門』、西の『延平門』、北の『玄武門』を見ることにします。
東の『朝陽門』です。



『朝暘門』は日が昇る海側にあり、山下公園やみなとみらい線元町・中華街駅からはこの朝陽門が入り口になります。
10門の中で最も大きな門で、高さ13.5m、幅12mあります。
青の門とも呼ばれ、子孫繁栄を司る青龍が守護神名ので色は青です。



風水の考えに基づき東門=青、南門=赤、西門=白、北門=黒となっています。
中華街側から見ると、朝陽門の文字の下には東を守る聖獣である『青龍』並んでいます。



横浜中華街は人口ではカナダ・バンクーバーの中華街に劣りますが、料理店の多さでは中国本土を除けば世界一です。
駐車場にも青龍が描かれています。
中国では停車場というのですね。



『朝暘門』の手前を左に行くと、高層マンションを囲まれていますが、木々の間に『横浜天主堂跡』があります。
かつての居留地80番地で、横浜で初めての教会『聖心聖堂』が建設された場所です。
正式名称は「EGLISE DU SACRE-COEUR」ですが、キリスト像の台座には『横浜天主堂跡』と刻まれています。



ペリーが来航し、日本が開国してから最初に教会が建てられたのは横浜です。
何故、『横浜天主堂』といわれるのかは、教会が横浜中華街のそばに建てられたということにあるようです。
横浜中華街には中国人が多く暮らしているので、教会の入り口に中国語でカトリック教会を意味する「天主堂」の文字が掲げられ、その後『横浜天主堂』いう呼び名が定着したそうです。

開港とともに居留地に上陸した欧米文化の一つが、日曜日という習慣です。
当時すでに欧米諸外国では、キリスト教の影響もあり、日曜日は仕事を休み教会で祈りを捧げる日として定着していました。
休日という習慣がなかった日本人にとって、週に一度くる日曜日はとても不思議なものだったといいます。



『横浜天主堂』が誕生したのは1862年(文久元年)で、近代日本初のこの教会は、パリ外国宣教会から任命を受けた宣教師・ジラール神父によりつくられたカトリック教会でした。
横浜の宣教師の歴史としては、プロテスタント教会のヘボン神父らの活躍が有名ですが、最初に創建されたのはこのカトリック教会で、プロテスタント教会(クライスト・チャーチ)は、翌年、やや元町寄りの105番地に誕生しています。

創建以来、幾度となく火災の被害を受けながらも再建や改築をくり返してきた横浜天主堂も、1906年(明治39年)、静かな住宅地、山手へと移転し、以前このブログでも紹介した、現在の『カトリック山手教会』へ受け継がれています。



南の『朱雀門(スザクモン)』です。
厄災をはらい、大いなる福を招く門で、守護神は朱雀神で、色は赤です。



『朱雀門』の文字の下や、その両側に、あでやかに羽を広げた朱雀の姿が見られます。



朱雀は南方を守護し、災厄を払い、大いなる福を招くといわれます。
元町側にあり、元町と中華街の行き来はここが便利です。



続く........................................................。

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