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十勝の画家、神田日勝がすごい

2010-12-20 | 日記・エッセイ・コラム

                      

北海道・十勝の広尾町で開拓農民をやっていた画家、坂本直行のことを書いた。坂本龍馬の姉の家系の人だ。

十勝の農民で、もうひとりすごい画家がいる。神田日勝だ。

神田日勝(かんだにっしょう)は、東京・練馬の人だが、8才のとき、一家で鹿追町に開拓に入った。鹿追町は、帯広市から車で40分くらいの広大な田園地帯だ。北部は原生林の山岳地帯で、大雪山国立公園の然別湖も鹿追町だ。

兄は、東京芸術大学に進学するが、日勝は、鹿追中学校を卒業後、家業の農業をつぐ。農業をやりながら絵を描き、19才のとき、平原社美術協会展で朝日奨励賞を受賞して注目される存在になった。

しかし、全道的な画家になった1970年(昭和45年)、腎盂炎による敗血症で、32才の若さで突然亡くなった。雨のなかの農作業で風邪を引き、体調がもどらないまま、二ヶ月たらずで息を引き取ったのだ。

Life_01

その生涯のことなど、神田日勝記念美術館のホームページにくわしいので参照してほしい。そのサイトのGallry を開くと作品のいくつかみることができる。

その絵はすごい。見る者の心をゆさぶる。北海道旅行をしたときは、ぜひ、神田日勝記念美術館に立ち寄ってほしい。

神田日勝の一家が入植した鹿追町笹川は、然別湖にいく途中、自衛隊の駐屯地があるあたりだ。

    神田日勝記念美術館ホームページ  http://kandanissho.com/

Works_79

Works_91

Works_16

   
 
 
神田日勝デッサン集
神田日勝記念館
北海道新聞社
   

1 コメント

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[E:sun]数年前に神田日勝記念館を訪れました。 (narutaku)
2010-12-21 10:25:38
[E:sun]数年前に神田日勝記念館を訪れました。
絶筆となった馬。キャンバスを買う事が出来ない貧しい農民の日勝が残した、キャンバス代わりのベニヤ板に残した下書きの鉛筆の跡。その生生しさが新聞紙を貼った壁を背にして、ジーとこちらを見る日勝の目と重なり、夭折した彼悔しさが直に伝わってきて心が震えた事を今も鮮明に覚えています
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