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古い曲が気になる

東京に、いらっしゃい

2011-03-30 | 日記・エッセイ・コラム

                

  北海道に、子供をつれて避難していた人たちは、東京にもどってきた。東京での日常生活をとりもどした。

      

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 今年だけは、会社や大学生の、飲めや歌えの、馬鹿騒ぎの“花見の宴”はやめて、沈黙の春だが、家族や友だち、恋人で、弁当をつくって、静かな花見にでかけてはどうだろう。

 大切な人といっしょに花をみて、亡くなった多くの人の鎮魂を祈り、生き残った、じぶんの命を思ってみてはどうだろう。

               

 東京では、江戸城跡の、皇居東御苑・北の丸公園の桜は、ことに美しい。いま東京は、観光客も少なくて、静かだ。ゆっくり桜をながめて散歩することができる。

 東京にいらっしゃい。放射能のリスクは、もう日本じゅう、どこも同じだ。“ローマを見て死ね”というではないか。

           アメリカで牛乳から放射性物質検出http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920016&sid=agEOdjNkK8n4 

                

 東京は、ホテルも空いている。夜は、薄暗いが、昼間歩きまわるだけなら、いま東京は、快適だ。

 以下の写真は、きのうの東京。こんなときだが、静かな東京を訪ねてくる人たちはいる。

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 江戸城警備の侍たちの詰所。

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 大奥跡。この広場が、大奥なんかがあったところ。もう少しすると、緑の芝が美しい。ここに座って、家族で弁当を開いて、そのあと、昼寝がいいのじゃないかな。中央、奥の、松の左にある石組みが、天守閣跡。

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 わたしは、この天守閣の石組みをみるためだけに、地下鉄でやって来ることがある。これは、ため息がでるほど美しい。場当たり的に組みあげたのではなく、美意識をもって、最初からしっかりデザインしてつくられている。みごとだ。強度はもちろん、見た目に徹底的にこだわってる。

 (なんども書いてきたが、わたしは、“コンクリートから人へ”なんて幼稚なスローガンを笑う。土木、建築の構造物は、生物である人がつくりだしたものだ。コンクリートでつくった水力発電のダムは、ビーバーがつくるダムと同じだ。蟻がつくる蟻塚や蜂の巣と同じだ。生物である人間が、じぶんらの命を守るためにつくる“自然”の構造物だ)

 (もっといえば、コンクリートの素材の石灰石は、生命素材だ。貝殻や骨、生物の骨格を形成するものが堆積し、圧縮された岩石だ。木製がナチュラルだとしたら、コンクリートもまた、自然なんだ) 

        

 江戸城跡の皇居東御苑も、いつもは、たくさんの観光客がいて騒々しい。だが、いまは、ゆっくりと眺め、たたずんで、想像を巡らせることができる。

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 天守閣跡の北側、咲きはじめた桜。

 お堀には、菜の花。

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 日本武道館がある北の丸公園は、花が咲いて、春だ。

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 いつも若者でいっぱいの日本武道館の前も、こんな感じ。散歩をするには静かでいい。武道館のカフェも、前にあるレストランも、午後4時までは営業している。

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 この門から九段坂の、桜の古木がみごとだ。ぜひ、一度、見てほしい。

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 このお堀が、爆風スランプの『大きな玉ねぎの下で』で歌われる、千鳥ヶ淵(ちどりがふち)。堀沿いの道が、地下鉄・東西線・九段下駅から武道館にあがってくる、九段坂。

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 靖国神社に参拝する人はたくさんいた。

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 靖国神社の境内の桜が咲くと、気象庁が東京の開花宣言をだす。その桜がこれ。

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 昼の銀座は、いつものように店は開いていて、明るい

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 秋葉原のヨドバシカメラは、いつものようにお客であふれていた。近所の家電量販店とはまるで違う。東京は、元気だ。

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 エスカレーターに並ぶお客たち。

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 秋葉原駅前の街灯が消えて薄暗いが、部品屋さんもしっかり営業している。

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 日本武道館を歌って、こんなにせつなく、悲しい歌もない。これも、昭和の名曲だ。爆風スランプの『大きな玉ねぎの下で』、ボーカルは、サンプラザ中野だ。名唱だ。  

     爆風スランプ 『大きな玉ねぎの下で』 http://www.youtube.com/watch?v=6xjY91vbA2I

    

 “大きな玉ねぎ”とは、日本武道館の屋根にある擬宝珠(きぼし)のことだ。最近、補修・塗装が終わったので、金色に輝いている。

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 サンプラザ中野が歌う主人公は、中学生か高校生、あるいはもう大学生になっているのか、そんな少年だ。文通相手の女の子に、武道館でやるコンサートのチケットを送る。はじめて会い、顔をみるのだ。しかし、彼女は来ない。ロビーで待ってるが、彼女は、来ない。アナウスがあって、一ベルが鳴る。席についても、彼女は来ない。

 満員の武道館で、彼女のための、隣の席だけ空いてる。コンサートが終わって、何千人もの観客が、千鳥ヶ淵のお堀をこえて、九段坂を下っていく。その群衆のなかで、歩きながら、右手のお堀の向こうに日本武道館がみえる。その屋根に、大きな玉ねぎのような擬宝珠(きぼし)が輝いていた。という、少年のせつない失恋の歌だ。

 彼女を誘った、日本武道館でのコンサートは、何だったのだろう? 浜田省吾コンサートか? この少年は、どこに住んでいるのだろう? 茨城県龍ケ崎市に帰るのだろうか? 彼女は、神奈川県横浜市だろうか? 茅ヶ崎だろうか? まあ、そんなことを考えながら、聴くとまた泣けてくる。この歌も、携帯電話もインターネットもない時代だから成立する、青春の失恋ソングだ。

(茨城県龍ケ崎市も、神奈川県横浜市も、日本武道館から電車で1時間くらいで帰れる)  

  


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