Ommo's

古い曲が気になる

インディアンカレーは、今日も大繁盛

2014-07-05 | 日記・エッセイ・コラム

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 午後9時、インディアンカレー前を通ると、売り切れの看板がでていた。店の営業は、午後10時までかな。土曜の夜、営業時間を残して完売のようだ。

 

 わが ”沈黙の老老介護”の日々、クレージーお父様と同居している家が、インディアンカレー西店のすぐそばなのだ。

 散歩や買い物にでて、毎日のようにインディアンカレーの前を通る。この、売り切れゴメン、の看板をときどき見る。繁盛しているんだね。

 

 わたしが帯広駅前でレコード屋のあんちゃんになったのは、1968年のこと。同じころ、町内のフジモリ食堂さんが、店の左端にカレーショップをつくった。小さい店で、カウンターに5人も座れたろうか。

 今ではまったく信じられないことだろうが、十勝は、まだそんなに車社会ではなく、国鉄の士幌線も広尾線も生きていて、帯広駅前は、汽車やバスで通勤、通学する人たちで大いに賑わっていたのだ。

 その賑わう帯広駅前で、フジモリさんが開店したカレーショップは、"うまくて、速くて、そして、安い" …………汽車待ちバス待ちの、通勤・通学する高校生、中学生、サラリーマンに大歓迎された。

 昼間、西2条の商店街やオフィスで働く人たちは、今よりはるかにたくさんいたので、インディアンカレーは、ランチタイムも繁盛した。

 

 わたしがレコード屋になって数年、ジャズもロックも、日本のフォークソングもあまりに売れず大苦戦していて、人を雇えない。たった一人の店員さんが早番で帰るときや、休みの日があるから、わたし一人の時間が多かった(わたしのレコード店は、10時~21時、年中無休。正月元旦も定時営業だ)。

 この、わたし一人の長い時間、トイレと食事がけっこうメンドウなのだ。わたしは、ガキのときから小便がちかい、寝小便たれだ。そのうえ、常に二日酔い・下痢ぎみわたしには、とくに深刻なのは、トイレの問題だ。

 いまや東日本で最大、最優良の建設会社といわれる会社を経営する社長の宮坂さんは、そのとき中学生で、毎日のように学校帰り、わたしの小さいレコード店に寄ってくれるお客さんだった。

 1960年代の終わり、70年代のはじめ、毎日のようにわたしのレコード店、サウンドコーナーにきてくれるお客さんの、宮坂くんや加藤くん(CLOUD社長)に、ちょっとのあいだ店番をたのんで、地階のトイレに走り、走ってインディアンカレーや立ち食いソバで遅い昼食を食べたものだ。