土曜日は両親の介護施設に行った。
コロナ禍が起こった一昨年の2月ごろから施設への出入りができなくなり、ZOOMで話すか、行ってもガラス越しにピッチを使って話すしかコミュニケーションは取れなかったのである。
当然二人は施設の外にも出られず、それ以前には毎日のように色々なレクリエーションもなくなり、食堂でみんなで食べていたご飯も各々の部屋で孤食になって、母などそうとうストレスを感じており、施設もなんだかピリピリしていたのだった。
そしてようやっとコロナが下火になり、まだ部屋には入れないまでもロビーで直接会えることになったので早速行くことにした。
いつも車で迎えに来てくれて一緒に行く弟は用事があって同行できず、ここの所高速がやけに混んでいるので自分で運転して日帰り往復するより電車を選択した。我が実家地方に車を使えないという状態で行ったのは初めてかも・・
グリーン車が満席なのに驚いた。やっぱり人は動き出しているんですね。
駅前からタクシーに乗った。先頭に止まっているタクシーに乗るしかなかったのだが、久しぶりにハンドルの脇にギアチェンジのレバーがついている車だったのでびっくり。運転手さんもその車に劣らず相当年期が入ってそうで「大丈夫かいな」と不安になった。
しかし爺ちゃんのギアチェンジはスムーズで無理ないドライビングテクニックで車内もちゃんと清掃されていた。
このドアの中にやっと入れる
父も母も足は衰えて体は痩せてはいるが、まあ元気。父はワタシが誰だかわからず「ムスメだよ~」と言っては数分後には忘れられといった感じ。
母も部分的には??と言った頭の衰えも感じてしまったところもあった。
例えば 手帳が二年前のもので、「今年の手帳を使わないの?」と言えば「だって持ってないもの」となる。ワタシが毎年送っているのである。
それに「腕時計がなくなっちゃったの。」「ホントに? セイコーとカルティエと二つ持ってきてたじゃない」と言えば
「隣の人が持っていっちゃったかもしれない」だってさ。 こういうのは嫌なボケ方だなあとは思う。
なにしろ部屋に入れないと持ち物がどうなってるのかまるでわからないのは困ったもんだ。どうせどこかにまぎれているに違いないとは思う。
自分の年を5つも少なく認識していたのはおかしかったけどね。
しかし驚いたのが・・・
「眞子さんは親不孝だねえ あたしはあの相手の子は嫌だよ。この前テレビ見ながらみんな言ってたよ」と言い出したことだった。
こんな介護施設の婆ちゃんたちの間でも話題になってるんだ・・・
で、唐突ですが母と話が出たついでにあの件にふれるといたします。
ワタクシ、時にはオットと意見が相反し、ワタシが一方的に腹をたてたり壮絶な夫婦喧嘩になったこともそりゃあ長い年月にはありました。
しかしやってこられたのは 根幹の所では価値観が許容でき、恋だ愛だという感情が消えうせたw後に相手を思いやれる心があるとすれば、底に一抹の「尊敬」の情があることだと思っております。
子育てにおいても何度か目標ってものをそれとはなしに話し合った時に「子供たちが自立する基礎を作ってやること。そしてそれをもとに出来る限り自分で幸せになってもらいたいこと」 だったと思うのですよね。
なぜワタシがあの件に引っかかるかと思うと、一方のお嬢様がロイヤルだからロイヤルじゃないからじゃなくてね、彼らが彼らの力だけで自立できる展望があるのかってことなんですよ。
そりゃね、若者の冒険心は否定しないよ。自分ひとりだったら好きなだけ空手で世界に飛び立って夢をかなえようとするのもいいだろうけどね。
「愛しています」と断言して将来をともにしようとする相手を何年も前から決めていたとすれば、どうも彼のたどってきた道が理解できんのですよ。
メガバンクにいたって外国行けるんじゃないの? 社内でがんばれば会社のお金でMBA取るための留学にエントリーなんかもできるんじゃないの?
ちゃんと勤続してればお相手の親も周りも納得したんじゃないの?
ハイ 余計なお世話ですが。
弁護士試験落ちたらしいが、そりゃ試験って時の運もあるからそれは批判はしませんよ。しかし合格してから結婚って方が順序として理屈にかなってるのにな~ってのも余計なお世話ですか?
彼が努力したのだろうなってのも想像できるけど、どこかで順序が違うし、自己評価も高すぎるような気がしてならない。
こういう老婆心ってのも誹謗中傷なんですかね?
自分ちの例を上げるのも恐縮ですが、たまたま家のムスコもムスメも結婚後に海外暮らしをした(一人は今でもしている)
だから嫁をもらって(って封建的言い方かもだが便宜上使う)外国暮らしする側 外国に嫁に出す側の両方を経験してるわけです。
息子一家に会いに行って現地をあちこち案内してもらった後に 別れたあとでまた当分会えないなあと思ってひそかに涙したトロントのホテル。
ムスメと孫を空港に送って行って、ゲートの向こうで手を振った二人が見えなくなっても立ち去れなかったあの夜はまだ記憶に新しい。
そういう寂しさがある一方で、彼らが自立して自分たちの力でがんばっていて彼らの基盤も信頼できるからから親として応援できるわけなんですね。
その基盤も定まらない中で遠い所に送り出さなきゃならなかったあのご両親、お別れの際のほほえみもなく涙をこらえているように見えたお母様の気持ちを想像すると本当に胸がつまっちゃったわけです(こういうのも余計なお世話ですか?)
それならそんな風に自分の子供を育てなきゃいいじゃんと言われる方もあるかもだけど、あのお嬢様も純粋だし我が強いのじゃないだろうか。
A家って結構世間知らずっていうか 「世の中の人はみんな平等」「人を育ちとかで判断しちゃいけない」ってマジにガチに教育してきて、キリスト教精神と基本的人権を基礎とするあの大学で、その精神が強化されたんじゃないかと想像している。
原理はそうだけど、実際はそうもいかないっていう世知みたいなもんが通じないで突っ走っちゃったムスメってのは止まらないんですね。
他人の子育てを批判するのは誰でもできるけど、一番思い通りにならないのが子育てってもんだしな・・・
ま、いいや。あの方々の事を言及するのはこれで終わり。
施設から、また駅に戻る時どこかでタクシーを拾えばいいやと思って交通量の多い通りを歩いたが、流しのタクシーなんてまるで走ってないんですよ。バス路線もなく走ってる車は高齢者マークのついてる軽自動車が多く、ホントに車がないと移動に困ることを実感させられた。
天気も良かったので30分歩くのも気持ちよかったがやっとタクシーが拾えた。
「どっから歩いて来たん?」
「〇〇町からかい? なからあったんじゃねんかい。」
「✖✖ホールでなんかあるみたいなんだいね。いっぺえ人が行くんさ」
などと 晴天を衝け の渋沢栄一の生まれ故郷近辺のなまりになぜか似ている運転手さんのキョーレツな〇〇弁を秘かに楽しむ。
帰りの電車は空いてたので缶ワインをじゃがりこをつまみでちびちび飲みながら 読書したり上記みたいなことを考えたり。
自分がこの年になるまで両親がそろっているっていうのは幸せなことかもしれない。
その一方でワタシの事をムスメと認識しなくなった父と相対するのは仕方ないけどなんとも寂しいことだった。
そのうち彼らを送らなきゃならないのは必然、それが明日でも来月でも不思議はない。
もう両親に出来ることってのは多くない局面になって、せめてワタシがちゃんと幸せに生きてるよって見せることが最終段階の親孝行なんじゃないかなあなどと思ってみた秋の夕暮れ。
コロナ禍が起こった一昨年の2月ごろから施設への出入りができなくなり、ZOOMで話すか、行ってもガラス越しにピッチを使って話すしかコミュニケーションは取れなかったのである。
当然二人は施設の外にも出られず、それ以前には毎日のように色々なレクリエーションもなくなり、食堂でみんなで食べていたご飯も各々の部屋で孤食になって、母などそうとうストレスを感じており、施設もなんだかピリピリしていたのだった。
そしてようやっとコロナが下火になり、まだ部屋には入れないまでもロビーで直接会えることになったので早速行くことにした。
いつも車で迎えに来てくれて一緒に行く弟は用事があって同行できず、ここの所高速がやけに混んでいるので自分で運転して日帰り往復するより電車を選択した。我が実家地方に車を使えないという状態で行ったのは初めてかも・・
グリーン車が満席なのに驚いた。やっぱり人は動き出しているんですね。
駅前からタクシーに乗った。先頭に止まっているタクシーに乗るしかなかったのだが、久しぶりにハンドルの脇にギアチェンジのレバーがついている車だったのでびっくり。運転手さんもその車に劣らず相当年期が入ってそうで「大丈夫かいな」と不安になった。
しかし爺ちゃんのギアチェンジはスムーズで無理ないドライビングテクニックで車内もちゃんと清掃されていた。
このドアの中にやっと入れる
父も母も足は衰えて体は痩せてはいるが、まあ元気。父はワタシが誰だかわからず「ムスメだよ~」と言っては数分後には忘れられといった感じ。
母も部分的には??と言った頭の衰えも感じてしまったところもあった。
例えば 手帳が二年前のもので、「今年の手帳を使わないの?」と言えば「だって持ってないもの」となる。ワタシが毎年送っているのである。
それに「腕時計がなくなっちゃったの。」「ホントに? セイコーとカルティエと二つ持ってきてたじゃない」と言えば
「隣の人が持っていっちゃったかもしれない」だってさ。 こういうのは嫌なボケ方だなあとは思う。
なにしろ部屋に入れないと持ち物がどうなってるのかまるでわからないのは困ったもんだ。どうせどこかにまぎれているに違いないとは思う。
自分の年を5つも少なく認識していたのはおかしかったけどね。
しかし驚いたのが・・・
「眞子さんは親不孝だねえ あたしはあの相手の子は嫌だよ。この前テレビ見ながらみんな言ってたよ」と言い出したことだった。
こんな介護施設の婆ちゃんたちの間でも話題になってるんだ・・・
で、唐突ですが母と話が出たついでにあの件にふれるといたします。
ワタクシ、時にはオットと意見が相反し、ワタシが一方的に腹をたてたり壮絶な夫婦喧嘩になったこともそりゃあ長い年月にはありました。
しかしやってこられたのは 根幹の所では価値観が許容でき、恋だ愛だという感情が消えうせたw後に相手を思いやれる心があるとすれば、底に一抹の「尊敬」の情があることだと思っております。
子育てにおいても何度か目標ってものをそれとはなしに話し合った時に「子供たちが自立する基礎を作ってやること。そしてそれをもとに出来る限り自分で幸せになってもらいたいこと」 だったと思うのですよね。
なぜワタシがあの件に引っかかるかと思うと、一方のお嬢様がロイヤルだからロイヤルじゃないからじゃなくてね、彼らが彼らの力だけで自立できる展望があるのかってことなんですよ。
そりゃね、若者の冒険心は否定しないよ。自分ひとりだったら好きなだけ空手で世界に飛び立って夢をかなえようとするのもいいだろうけどね。
「愛しています」と断言して将来をともにしようとする相手を何年も前から決めていたとすれば、どうも彼のたどってきた道が理解できんのですよ。
メガバンクにいたって外国行けるんじゃないの? 社内でがんばれば会社のお金でMBA取るための留学にエントリーなんかもできるんじゃないの?
ちゃんと勤続してればお相手の親も周りも納得したんじゃないの?
ハイ 余計なお世話ですが。
弁護士試験落ちたらしいが、そりゃ試験って時の運もあるからそれは批判はしませんよ。しかし合格してから結婚って方が順序として理屈にかなってるのにな~ってのも余計なお世話ですか?
彼が努力したのだろうなってのも想像できるけど、どこかで順序が違うし、自己評価も高すぎるような気がしてならない。
こういう老婆心ってのも誹謗中傷なんですかね?
自分ちの例を上げるのも恐縮ですが、たまたま家のムスコもムスメも結婚後に海外暮らしをした(一人は今でもしている)
だから嫁をもらって(って封建的言い方かもだが便宜上使う)外国暮らしする側 外国に嫁に出す側の両方を経験してるわけです。
息子一家に会いに行って現地をあちこち案内してもらった後に 別れたあとでまた当分会えないなあと思ってひそかに涙したトロントのホテル。
ムスメと孫を空港に送って行って、ゲートの向こうで手を振った二人が見えなくなっても立ち去れなかったあの夜はまだ記憶に新しい。
そういう寂しさがある一方で、彼らが自立して自分たちの力でがんばっていて彼らの基盤も信頼できるからから親として応援できるわけなんですね。
その基盤も定まらない中で遠い所に送り出さなきゃならなかったあのご両親、お別れの際のほほえみもなく涙をこらえているように見えたお母様の気持ちを想像すると本当に胸がつまっちゃったわけです(こういうのも余計なお世話ですか?)
それならそんな風に自分の子供を育てなきゃいいじゃんと言われる方もあるかもだけど、あのお嬢様も純粋だし我が強いのじゃないだろうか。
A家って結構世間知らずっていうか 「世の中の人はみんな平等」「人を育ちとかで判断しちゃいけない」ってマジにガチに教育してきて、キリスト教精神と基本的人権を基礎とするあの大学で、その精神が強化されたんじゃないかと想像している。
原理はそうだけど、実際はそうもいかないっていう世知みたいなもんが通じないで突っ走っちゃったムスメってのは止まらないんですね。
他人の子育てを批判するのは誰でもできるけど、一番思い通りにならないのが子育てってもんだしな・・・
ま、いいや。あの方々の事を言及するのはこれで終わり。
施設から、また駅に戻る時どこかでタクシーを拾えばいいやと思って交通量の多い通りを歩いたが、流しのタクシーなんてまるで走ってないんですよ。バス路線もなく走ってる車は高齢者マークのついてる軽自動車が多く、ホントに車がないと移動に困ることを実感させられた。
天気も良かったので30分歩くのも気持ちよかったがやっとタクシーが拾えた。
「どっから歩いて来たん?」
「〇〇町からかい? なからあったんじゃねんかい。」
「✖✖ホールでなんかあるみたいなんだいね。いっぺえ人が行くんさ」
などと 晴天を衝け の渋沢栄一の生まれ故郷近辺のなまりになぜか似ている運転手さんのキョーレツな〇〇弁を秘かに楽しむ。
帰りの電車は空いてたので缶ワインをじゃがりこをつまみでちびちび飲みながら 読書したり上記みたいなことを考えたり。
自分がこの年になるまで両親がそろっているっていうのは幸せなことかもしれない。
その一方でワタシの事をムスメと認識しなくなった父と相対するのは仕方ないけどなんとも寂しいことだった。
そのうち彼らを送らなきゃならないのは必然、それが明日でも来月でも不思議はない。
もう両親に出来ることってのは多くない局面になって、せめてワタシがちゃんと幸せに生きてるよって見せることが最終段階の親孝行なんじゃないかなあなどと思ってみた秋の夕暮れ。
読み続けて...自分でも理由のわからない涙が。
今夜のコメントは、ただそれだけです。
tsuboneさんご自身が、お元気でお幸せであること、そうですそのとおり。
既に両親を見送った私も、これからもそうでありたいと思っています。
あたしの両親は立て続けに3年前に亡くなったんだけど、おっしゃる通り、親が高齢化すると実の娘ができることは、あなたたちの娘はお陰で元気にやってて夫婦で仲良くしてるよ、っていうことを見せることが一番大切だと思う。
後悔しないためにも頑張ってね
でも何となくわかりますよ。多分私と同じようなツボをお持ちで、私が感じているなんとも切なくて
でもどうしようもない所が刺激してしまったんじゃないかしらって。
もうね、やっぱり親にはなるべく心配かけたくないですよ。
そして子供が幸せそうなのって何より嬉しいことなんですよね。
これからも大変でしょうね。
kebaさんのご両親も相次いでだったのですね。
家は姑も合わせると親3人健在。いつ何があっても・・・です。
こうなると余計な心配事は絶対伝えず、楽しそうにしているしかないなって思います。