tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

日本企業の自己資本比率の推移を見る

2018年08月10日 14時28分50秒 | 経営
日本企業の自己資本比率の推移を見る
 自己資本比率というのは、ご承知の通り、企業がその経営のために投下しているおカネのうち、自前のカネ(資本金や積立金)が何%かという数字です。 
 自己資本以外は、
よそから借りているカネで長短の借入金や支払債務などです。

 会計学では、企業の自己資本比率は50%が標準などと教えます。事業をするなら半分は自分のカネでやれという事でしょう。
 ところが日本企業の自己資本比率は高度成長期には20から30%ほどで、当時のアメリカの企業などに比べると随分見劣りしていました。

 理由は、メインバンク制があって、いざという時は銀行が面倒を見てくれるからとか、地価が値上がりして含み資産が大きいからとか説明されていました。


 しかし平成不況になって、地価は下落する、銀行は貸し剥がしをする、などという事になって、きちんと自前の資金を用意しないと経営が危ないと言われるようになりました。
 平成不況になってから、不況の中でも企業は努力し、自己資本を積み増したり、運用総資産を圧縮したりして、自己資本比率を高めてきました。

 2013年になって日銀の異次元金融緩和政策で円レートが正常化し、長期不況から漸く脱出、製造業の輸出関連企業では円安差益などもあって、自己資本比率はさらに上昇してきています。

 グラフで見ますと赤:資本金10億円以上・大企業、薄緑:1~10億円・中堅企業、紫:1千万~1億円・中小企業、青:1千万円未満・零細企業という所でしょうか(全規模平均は紺)。

法人企業(除金融保険)自己資本比率の推移(単位%、資本金規模別)

 財務省:法人企業統計年報 

 中堅企業と全規模平均はほとんど重なっていますが、大企業はそろそろ50%に達するところまで来ています。

 零細企業は、万年資金不足と言われましたが、このところの改善の動きは顕著です。
 2008年から2010年にかけて、リーマンショックがあり、金融機関をはじめ、日本企業も大打撃を受けましたが、驚くべきは大企業、中堅企業は自己資本比率を向上させています。特に大企業では顕著ですが、これは習駅を上げて自己新を積み増したというより、リストラで、総運用資本を減らし、分母を小さくして自己資本比率を高めたという動きが大きいようです。

 いずれにしても日本企業の自己資本比率は向上、企業の財務面での安定性はこの10年で見ても着実に高まっています。
 2012~2014年の円安局面では矢張り更なる着実な改善を積み重ねて来ているようです。図にはありませんが、製造業の改善が特に顕著です。

 自己資金が充実してくれば、企業発展のための投資も、自力で出来る部分が増えますし、そういう企業には金融機関も安心して援助できるでしょうから、経営の選択の幅も広がります。

 最近は国内経済の伸び悩みから、余裕資金は海外投資、海外企業買収などに向かうケースも多いようです。
自己資本比率の向上に見るように、こうした企業体質の整備が、新たなフロンティアを広げることは確かです。
 企業がこの自己資本比率の向上を、どれだけ巧みに活用できるかが今後の日本経済の行き先を担っているとも言えるのではないでしょうか。

台風13号と庭のキュウリ

2018年08月09日 10時36分44秒 | 環境
台風13号と庭のキュウリ
 西日本、東北、・・、日本列島何処も異常気象の脅威にさらられていることを実感させる今日この頃です。

 台風13号は関東地方直撃の様相だったので、今度はただでは済まないかなと心配が募る日が続きました。

 都下国分寺に住んで50年以上になりますが、来たばかりの頃、2回ほど台風の豪雨などがあって、当時は「野川太郎」などと言われた野川が氾濫し、野川の対岸では床下浸水などという事はありましたが、昭和40年代、下水が完備してからは、そんなこともなくなりました。

 そういえば、もともとこの地は、1400年も前、聖武天皇の命で全国に国分寺が建てられた時「武蔵国分寺」が建てられたところです。多分風水などから見ても最も平穏な所なのかな、などと勝手にに解釈したりしていました。
 大分前にこのブログで書いた「 富士Calmの富士」で、先人の知恵を実感していたこともあるかと思います。

 昨夜は一時風雨が強くなり「最近の異常気象を考えれば、いよいよ今回は」などと思いつつ就寝しました。
 一番気になっていたのはキュウリの棚で、風で倒れて、今年は随分生ったキュウリもこれで終わりか」などと思ていました。

 ところが、意外に夜中も静かで、今朝も静かです。ほっと一安心。ネットで見ると台風13号は犬吠崎をかすめていったようでした。

 今回も国分寺のご利益かなどと冗談を言いつつキュウリの棚を見ると、風に吹かれてまがった大きな葉の後ろに、昨日は気づかなかった曲がりキュウリがびっくりするほど大きくなって緑色に光っていました(写真)。
 形は悪くても、味も栄養価も変わらにでしょう。早速スライスして削り節をかけらっきょう酢で味付け、朝食の菜に「朝採れキュウリ」です。
 
 

アメリカ・パッシング、その後

2018年08月08日 14時59分42秒 | 国際関係
アメリカ・パッシング、その後
 先日 アメリカ・パッシングの様相があちこちに出ていることを書きましたが、その後の状況は、どうもあまり芳しくないようです。

 ユネスコ脱退、TPPやパリ協定 離脱、イラン核合意破棄、WTOの解体に言及したり、国連の分担金も滞納、などなど、世界のリーダーとして君臨してきたアメリカが、トランプさんを大統領に選んだ途端、世界はどうでもいい、すべて「アメリカ・ファースト」で行きましょうと豹変して、なにはともあれ、自分に都合のいいこと、自分がいいと思う事に向かって突き進むことになったようです。

 国際連盟の本部は永世中立を謳ったスイスのジュネーブにありましたが、アメリカは国際連合の本部は世界の面倒を見るアメリカに置くべきと思ったのでしょう、ニューヨークに持っていきました。ですが今は、分担金滞納ナンバーワンです。

 最近の問題はイラン核合意からの離脱でしょう。
何とか平和裏に、互いの顔を立てながら、イランが核兵器開発に進まないよう皆がそれなりに納得して合意に至ったのですが、トランプさんはそんな合意は最悪とお考えなのでしょう。しかし、纏まらなければ、イランを核武装に追いやる可能性もあります。

 こうなってくると、世界各国は、アメリカとはまともに付き合ってはいられない、出来ればアメリカ抜きでやっていきたいと考えることになるのも自然でしょう。
  しかし、そこには問題があります。何と言ってもアメリカは世界一の経済大国、世界最大のマーケットです。
EUも中国も日本もその他多くの国がアメリカとは深い経済関係を持ち、アメリカというマーケットを最大限に利用して経済活動を行っています。

 トランプさんは、イランと取引をしている企業は「アメリカに出入り禁止」という切り札を持っています。江戸の仇を長崎で、ではありませんが、政府合意の仇を対企業でと言おう事になりそうです。

 企業は大変ですが、アメリカ経済自体も大変でしょう。アメリカの消費者は、海外からの良質安価な成員を沢山買って生活しています。
 こうした自由経済原則に反した行動は、関税の掛け合いの様な貿易戦争と同じく、お互いの経済の疲弊、縮小を齎すことは自明です。

 ディールの好きなトランプさんは、こうした問題もディールの一環と考えているのか、それとも自分の考えに反することは、何でも嫌なのか良く解りませんが、 大使館のエルサレムへの移転や、 プーチン大統領との会談でも見られますように、かなり危ない面も持っています。

 当面の関心は中間選挙、という解説は多く、それまでに何とか点数を稼ぎたいという思惑も常に指摘されるところです。独裁者的なポピュリストなのでしょうか。
 「トランプの札の切りよで大慌て」の様相ですが、11月の中間選挙で、アメリカはどんな答えを出すのでしょうか。
 世界の安寧のためにも、アメリカ・パッシングなどと言われなくなるような結果が期待されるのではないでしょうか。

消費性向低下は続く:政府はどう見る?

2018年08月07日 16時47分55秒 | 経済
消費性向低下は続く:政府はどう見る?
 2018年6月分の毎月勤労統計と家計調査が今日発表になりました。マスコミの報道は、毎月勤労統計が主で、6月現金給与総額は対前年同月比で3.6%の上昇、消費者物価上昇を差し引いた実質値でも2.8%の上昇になったといった内容です。

 所定内給与の伸びは1.3%でしたが、ボーナスの伸びが7%と大きかったことが主因という事ですが、昨年度の決算が好調だったことを受けて、企業としては固定費になる所定内給与の増加には慎重で、収益好調分はボーナスでという事でしょう。国際、国内共に経済環境が不透明な中で、企業もそれなりに考え、従業員に報いたという事でしょうか。

 このブログでは給与の動きは勿論関心事ですが、この所、特に注目しているのは消費支出の動向です。
 という事で、今日、同じく6月分が発表された家計調査と合わせて勤労者家計の収入と支出を見てみました。

 少し長期に見るので、毎月勤労統計では時系列比較のしやすい賃金指数で見てみます。調査産業計、5人以上事業所で(いずれも対前年同月比)です。

 現金給与総額の伸び:5月2.1%、6月3.6%、昨年の5,月、6月のそれぞれ0.6%、0.4%を大きく上回っていますし、所定内給与の伸び:5月0.9%、6月1.3%も昨年の5月、6月の0.7%、0.5%を上回っています。

 一方、家計調査の「勤労者所帯(2人以上)」の消費支出を見ますと今年5月は前年同月比マイナス5.3%、6月はマイナス2.2%と全く振るいません。

 結果的に平均消費性向は前年同月比で、5月:6.0%ポイントの低下(102.3%→96.3%)、6月:5.3%ポイントの低下(49.9%→44.6%)という状況になっています。
 
 ボーナスなどの収入が伸びた場合、収入の伸びが大きいと、消費支出の伸びが追い付かず、消費性向が下がるという事はあり得ても、収入が増えたにもかかわらず、支出が減るというのが最近の状況なのです。

 1~4月の消費性向の低下状況は この6月6日にも整理した通りですが、勤労者家計の節約志向は、異常とも思える状態ではないでしょうか。
 現政権は、春闘の時だけ、賃上げ奨励で、それで消費を増やす政策を打ったつもりでいるのかもしれませんが、消費者の財布の紐が固い真の理由と言われる「将来不安」「老後不安」の問題に手を打たれなければ、消費不振からの脱出は容易ではないでしょう。

 この問題は、最終的には「 政府の信用」という基本問題に行き着くのでしょうが、国際関係の混乱への対応のまずさ、気候変動による災害の激化、そして政治家も含む人災のひどさを見れば、国民が安心して消費行動を楽しめるようには、なかなかなりそうもないようで、これも将来不安を募らせているのでしょう。

「新」日本列島改造計画

2018年08月06日 22時58分21秒 | 政治
「新」日本列島改造計画
 今回の西日本豪雨で、われわれは気候変動の恐ろしさを思い知ることになりました。単なる豪雨災害で、死者220人、未だに行方不明が10人などという事が起きるのです。

 またこの2-3日、東北地方などで、記録的短時間大雨情報が出され、昨5日だけでも5か所に及んでいます。いずれも1時間100ミリから120ミリを超える豪雨です。

日本列島での雨の降り方が今までとは全く違ってきているように思えます。
 この何年か、初夏に猛暑が続くことが多くなっていますが、今年は、異常な暑さが長く続く気配です。
 恐らくこの暑さと、記録的短時間大雨とは関係があるのでしょうが、こうした状況は恐らく今後も続き、さらに激化していくのではないでしょうか。

 東京オリンピックがこの暑さの中でという事が心配されていますが、それと同時に心配しなければならないのは、こうした1時間100ミリを超える大雨が常態化するとすれば、日本列島のインフラは、現状ではそれに対応できないことが解っていることです。

 都市の下水道施設は1時間50ミリを基準にしているとのことですが、その2倍を超える降水量が常態化する様相です。

 さらに、戦後の住宅開発は、土地神話、土地バブルの影響もあり、大雨の際の危険地域も膨大な数に上っているようで、しかも古くからの山間部の住宅地でも、山の手入れの不足や、経験値を越える降水量で災害が起きる例も頻発しているようです。

 砂防ダムなども、従来の経験からでは予測をはるかに超えるような規模の土砂崩落で、全く役に立たないことも起きているようです。
 国交省によれば、全国の土砂災害危険個所は50万を越えているとのことです。

 こうした状況を見るとき思いますのは、かつてあった「列島改造論」を、今「列島インフラ改造論」に変え、安倍総理の言う「国民の生命と財産を守る」ための壮大で本格的な事業が必要になっているのではないでしょうか。

 国際紛争に対応するために、防衛費を増強するのも必要かもしれませんが、そちらは人間同士の話ですから、外交交渉で片付けることも全く不可能ではないでしょう。
 しかし、自然災害は、交渉では防げません。人間が、自然の猛威に対応するには自らの努力あるのみです。

 本気で安全を図っていけば、今迄の2~3倍の対応力のある都市、河川、道路、鉄道、中山間地の土砂崩れ対策など多様なインフラの長期にわたる整備が必要になるでしょう。
 コストは膨大でしょう。しかし、災害が起きてからの復旧にかかる時間と費用に比べれば、何分の1かでしょう。
 人命の問題を考えたら、そんな計算とは比較にあらない成果があるはずです。

 日本経済は、年々増える貯蓄、海外から批判の的の大幅経常黒字という問題を抱えています。日本経済に必要な内需拡大の基底として、まず必要なのはインフラでしょう。
 
 自然災害で痛ましくも失われる人命、多くに被災者の塗炭の苦しみを防止し、日本経済の国際的なバランスにも資するプロジェクトになりうる可能性を持つ「インフラ中心の列島改造」です。
 そんな議論が国会でなされる日を待ちたいと思うところです。

猛暑の夏にポインセチア?

2018年08月05日 15時23分34秒 | 環境



猛暑の夏にポインセチア?
 なんて仰言る方もおられるかと思って、写真を載せました。

 勿論ポインセチアではありません、ポインセチアの親戚筋だそうですが。

 昨年夏にもこのブログを見て頂いた方はとうにご存知と思いますが、「 しょうじょうそう」、漢字で書けば「猩々草」です。
 
 あまり見ることはない草ですが、乾燥にも強く丈夫な草なので、それに花は写真の通り小さくてきれいではありませんが、上部につく葉が元の方から次第に赤くなって、かわいらしいので、少し殖やしてみようとトライした結果、我が家では至る所に出てくるようになりました。

 夏は花が少なく咲いているのは「百日紅(さるすべり)」と「のうぜんかつら」ぐらいですので、赤い葉が結構目を楽しませてくれます。

 そういえば、猛暑、酷暑の割に、我が家では今年は「すすき」が早めにもう穂を出して、何となく秋の気配を演出してくれています。


生産性と再生産性:言葉のお遊び

2018年08月04日 13時29分08秒 | 社会
生産性と再生産性:言葉のお遊び
 最近マスコミで生産性という言葉がよく出てきます。このブログでも生産性は大変重要な概念で、「社会の豊かさや快適さは生産性の向上によってのみ可能になる」などと書いてきています。

 生産性はそれほど重要な概念ですから、生産性活動自体を目的にした団体「日本生産性本部」も存在し、その活動の歴史を積み重ねて来ています。
 その意味では国会やマスコミで、「生産性」が取り上げられることは素晴らしいのですが、見たり聞いたりしていますと何か全く違ったことを議論しています。

 「え、なに、それ生産性問題とどう関係あるの」と思ってよく見たら、LGBTなどという言葉が出て来て、「あ、そうか、人間が人間を作ることを『生産』と言ってるんだ」と解りました。
「生産性がない」と言っているのは「生殖能力がない」という意味でした。

 人間が人間を作ることを「生産」と言うのでしょうか。「出産」ならわかりますが、出産能力、生殖能力に「生産性」という言葉を当て嵌めるのはちょっと違うのではないですかと思ってしまいます。
 日本生産性本部も迷惑しているのではないかなどと、生産性本部のご意向を忖度したりしています。

 本当の言葉の使い方から言えば、同じものを作るのは「再生産」という事になっています。
一般的に生物学では、人間が生殖作用で人間を作るのも、人間だけでなくて、生物が子孫を残すことは「再生産」という言葉で定義されています。
英語ではreproduction形容詞にすればreproductiveその能力ならreproductivityです。

でも、「生産性」という言葉がこれだけマスコミで使われていて、みんな子供を作ることだと解っているんだからいいじゃないの、と言えばそれもその通りですね。

 余計なことを付け加えますと、男性同士や女性同士で結婚しても、何時か子供が欲しくなって、他の異性と協力して子供を作ることも可能ですから、「生産性」は潜在しているわけで、無くなってしまうわけではありません。
ただ、それを生かすか生かさないかは、別の問題だったりするのでしょうか。異性同士で結婚しても、子供は作りたくないという人もいたりします。

言葉をきちんとしないで、興味本位に取り上げてもあまり意味はないように感じますがどうなのでしょうか。

日銀:中央銀行の独立性の行方

2018年08月03日 11時50分20秒 | 経済
日銀:中央銀行の独立性の行方
 連日長期金利の上昇が報じられるようなことになって来ました。
 日銀も、世界の情勢が金利の正常化に動いていく中で、かたくなに「ゼロ・マイナス金利」ばかり言っていたのでは、世界から批判を浴びるか、あるいは相手にされなくなるかといった事態を感じ取ったのでしょう、長期金利の上昇を容認する雰囲気を演出しています。

 しかし金融の世界環境はマネーゲーマーたちの活動が主体ですから、ボラティリティー選好は強いようで、ついつい行き過ぎるのが一番怖いのでしょう。突然とか臨時とか言われる長期国債の購入などご苦労が多いようです。

 大鬼・小鬼のマネーゲーマーたちの思惑が交錯する中で、長期金利を安定させることは大変に困難でしょう。こういう時は、こちらの強固な意志を明確に表示し、乱高下はあっても結局はそこに落ち着くというイメージを確定させることが、思惑封じに有効なのかもしれません。

 現状、日銀が、何か自らの意思をぼかしつつ、あいまいな態度をとっているのには、それなりの理由があるのでしょう。
 我々素人目から見ればその理由は計りかねますが、もしかしたら、大きく2つあって、1つは何とか円高が進まないようにしなければならないという点、もう1つは金利が上がって国債価格が下がると問題が起きるという点辺りではないかと思うところです。

 しかし、まず1つ目の円高の問題についていえば、超短期の思惑が支配するマネー市場で、その動きにいちいち対応するといったことは至難ですし、ある意味では無駄かもしれません。
 それよりも、日本は円の価格についてはこの程度が適切という基本的な見方をしていると表明(トランプさんは111円とかいった?そうですが)、それを基軸に行動をとる。場合によっては「 固定相場制もOKですよ」「本当はその方が世界経済の安定発展のためになるのですよ」ぐらい言うべきかもしれません。

 2つ目の国債価格の問題については、当面は国債価格が下がるという問題ですが、長期的には、 金利上昇で財政再建を困難にするという財政とのからみが出てくるのでしょう。
 これは政府の「財政再建」の問題で、日銀はそれを忖度する必要はないでしょう。基本は中央銀行の中立性に関わることです。

 ここからは蛇足かもしれませんが、今、世界の金融市場は勿論、政治についても、視点がどんどん短期化した「近視眼的な行動基準」に支配されているようです。
 世界の政治・経済が混乱している大きな理由の一つにはそれがあるように感じています。

 ならば日本は、そうした中で常に長期的視点に立ち、10年後、50年後、100年後の世界のあるべき姿を常に世界に語り掛け、行動としても働きかけていくというスタンスを維持するのはどうでしょうか。

 例えば、「アメリカ・ファーストは、関税やドル安でやるのではなく、アメリカの実体経済の強靭化でお願いします」と安倍さんがツイートしたらどう(なる)でしょうか。
 近視眼的なツイッターより、確りした長期的視点の話し合いの方がいいことは解っていますが・・・。

平成という時代:リーマンショックの前と後、4

2018年08月02日 15時27分47秒 | 経済
平成という時代:リーマンショックの前と後、4
 前回最後に触れましたように、リーマンショック後の極端な円高による不況は、日本人の経済、経営についての認識を変えたようです。

 問題は、何がこの変化を齎したかです。そこで1つの仮説を立ててみました。
 リーマンショックが齎した$1=¥75~80の期間はそんなに長くなく4年ほどでしたが、このレベルの為替レートに対応することはほとんど絶望的に感じられました。
 そのうえ、このままでは円レートは50円になって日本経済は潰れるなどと予言するエコノミストもいました。

 日本企業も消費者・家計も円高の恐ろしさ骨の髄まで染み付いたようです。その背後には、日本の場合、円高・コスト高で経常赤字を出して行き詰まるのではなく、それに対応するまでコストを削減し、GDPを縮小してでも赤字は出さない努力をするという大変日本的な企業や家計の生真面目な体質があったのでしょう。
 
 1ドル75円でもペイするようなコスト削減は容易でないことは良く解っていているが真面目に最大限の努力をする、しかし一方では、日本経済が赤字にならないよう真面目に努力すればするほどさらに円高になるのではないかという危惧があったわけです。

 日本人の伝統的な真面目さからすればまさにそうなのですが、現実には、この円高の解決は、全く違った極めて簡単な方法で行われました。それはFRBのバーナンキさんがアメリカでやったことの踏襲、ゼロ金利ベースの異次元金融緩和で為替市場を動かし、円高を解消するという手法です。
 
 現実には2発の黒田バズーカです。1発目で円レートは80円から100円に、2発目で100円から120円にと1年半で円レートは購買力平価相応の所まで安くなりました。企業も経済も忽ちにして生き返ったのです。
 
 黒田日銀は、全く違った円高に対する対応に出たのです。
プラザ合意による円高(240円⇒120円)への対応は地道なコスト削減努力でした。ですから、克服の可能性が見えた時、企業も家計も頑張れば自分たちの力で克服できるという自負も自信もあったでしょう。
 
 しかし、リーマンショック後の円高(120円⇒75円)は、黒田日銀の、「 マネーマーケットの働きかけるという金融操作」でした。日本の経済政策が、マネー経済学に目覚めた瞬間だったという事でしょうか。
 結果は成功でした、しかし、真面目で勤勉な日本人は、マネー経済学有効だったが、「それに頼っていていいのか」という疑念を未だに持っているようです。

 マネー経済学で為替レートを操作することになれば、またいつ理不尽な円高が押し付けられるか解らない。という疑心暗鬼が残っているのでしょう。
 今、企業が未曽有の内部留保を持ちながら、極めて保守的な行動をとっている理由、家計が世界の誇る1800兆円を超える個人貯蓄を持ちながら、消費性向を低め貯蓄に励むのは、いつまた円高にされるか解らないという不安があるからではないでしょうか。

 日銀が、アメリカの金融正常化を横目で眺めつつ、自らの政策を金融正常化の方向にもっていくことに極端なまでに臆病なのは、アメリカの意向、国際投機資本の思惑など、いろいろ考えれば、下手にアメリカの金融正常化に追随して利上げなどしたら、また円高に逆戻りという懸念が頭から離れないからと読めるように思います。

 リーマンショック以前は、円高を自分の努力で解決したという自信が持てました。しかしその後の円高は、自力では解決不能と思われる水準に達してきました。
しかも「 円高とデフレ・経済縮小のスパイラル」の怖れが実感され、これは「マネー経済学でしか対応できない新しい時代になった」という意識が一般化したようです。
そして、このことが、企業、家計の行動様式が変わった主因ではないか、というのがここでの仮説です。

 やはり日本人は、リーマンショック後の異常な経済を経験して、戦後積み上げてきた経済発展への自信を喪失したのではないでしょうか。
 そしてその背後には、 ブレトンウッズ体制から「変動相場制」というアメリカ主導の大変化、言い換えれば「実体経済重視からマネー経済重視へ」という世界経済認識の変化という潮流があったように思われます。

 恐らく、これまでの、またこれからの日銀の金融政策の中で、この仮説への回答が出てくるのではないでしょうか。

平成という時代:リーマンショックの前と後、3

2018年08月01日 15時32分39秒 | 経済
平成という時代:リーマンショックの前と後、3
 円レートが$1=¥120に戻ったのですから、日本経済の国際環境としては、リーマンショック前に戻ったことになりますが、その後の日本経済の展開は何か「いまひとつ」といった感じです。

 企業も消費者も、経営者も労働組合も、どういうわけか積極さを欠いているように思われます。
 最大の問題は、景気回復が言われ、企業収益が改善しても、企業は相変わらず非正規従業員を多用し、正規化もなかなか進みません。
 労働組合も春闘の賃上げ要求の引き上げには慎重で、代わって政府が無責任な賃上げ奨励をするといったおかしな状態です。

 それでも賃金はじりじりとは上がっているのですが、消費者(家計)は財布の紐を締めたままで、消費性向は下がりっ放しで、この消費不振が経済活性化の足枷になっています。
 日銀が2年で達成できるといったインフレ目標は、 5年たっても1%に届かない状態(生鮮食品とエネルギーを除く総合指数)です。企業も家計も、現在の好況に対して何か本気で信用していないように思われます。

 この状況と「いざなぎ越え」の時の状況とを、具体的な例で比較してみますと、企業や家計の意識が何か違うような気がしています。
 「いざなぎ越え」の時は、景気認識としては、まだまだ不況という感じが強かったのですが、企業も家計も、「これから不況を克服して前進するぞ」という気持ちが強かったように感じられます。

 例えば、春闘賃上げ率は2003年から2008年まで1.63%から1.99%までコンスタントに上昇を続けていますし、 企業の教育訓練費の支出を見ますと明らかに支出増が見られます。
 これに対して2013年以降の景気回復の中では、13年の1.8&%から14年、15年と2.19%、2.38%と上げましたが、その後は17年の2.11%へ下げて来ています。
 企業の教育訓練費は、企業収益好調にも拘らず減少傾向のようです。

 一方、家計の方を見ますとリーマンショック前、 平均消費性向に上昇の動きがみられましたが、今回の景気回復過程では逆に低下がみられ、消費不振が経済にブレーキをかけている状態です。

 実は、こうした違いがどこから来るのかがずっと気にかかっていました。簡潔な表現で言えば、
 「いざなぎ越え」のときは、景気回復の実感はないといわれましたが、経済主体である企業や家計は経済の微妙な好転にまともに反応していました。
しかし、今回の景気回復過程では景気の回復は急激で、好況の実感は強いのですが、企業や家計は何か好調の経済を信頼せず、疑心暗鬼で「何か起きたら」と将来への不安に備えることに執心するという状態ではないでしょうか。

 さらに言えば、いわゆる日本的経営についても、「いざなぎ越え」のとき迄は「優れた経営手法」という意識が一般的でしたが、現状は「日本的経営は失敗だった、欧米流を学べ」といった感じでしょうか。
 「働き方改革」自体が、明確に欧米流が優れているという意識で出来ています。この変化はかなり激しいように感じられるのです。(以下次回)