tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

力の解決、知恵の解決

2014年05月07日 10時50分09秒 | 国際政治
力の解決、知恵の解決
 前後に2分されたような今年のゴールデンウィークでしたが、忙しい日常から解放されて、多くの方は、何となくホッとする時間が過ごせたのではないでしょうか。

 しかしその間も、世界の多くの地域では紛争が続いています。シリア、アフガニスタン、ウクライナ、・・・・。
 純粋に客観的な意識でニュースを見ていると「人間というのは、まだまだかくも愚かなものなのか」と悲しくというか情けなくなくなってきます。もう少しましな解決策というのを考える余裕はないのだろうかと思う人は多いのではないでしょうか。

 人間はまだ「力による解決」に頼ろうと考えることが多いようです。力による解決は必ず犠牲を伴います。そしてその犠牲は、力による解決を考えた人びと以外の多くの人に及びます。

 力による解決を考えてしまう最大の理由は「意地を通す」という意識でしょう。「意地を通す」か「妥協を図るか」の選択を迫られた時、リーダーは、妥協を図ると多分「弱腰だ」といった批判を浴びるだろう。ここはなんとしても「リーダーとしての意地を見せなければ」と考えるのかもしれません。

 しかし、漱石も「草枕」の冒頭で「意地を通せば窮屈だ」と言っています。窮屈ぐらいならいいのですが、各地の紛争の場合には死者を含め多くの犠牲者を出すことになるのは、皆様ご承知の通りでしょう。

 犠牲者を出さないために必要なのは矢張り「知恵による解決」でしょう。
 紛争の当事者には、どちらにも自分たちとして「通すべき筋」があったり、自分たちにとっての「合理的な根拠」があったりします。だから意地を通そうとするのでしょう。

 日本人は昔から、こういうことは良く解っていて、意地の張り合いが喧嘩になった時は「喧嘩両成敗」という最も単純で解り易いルールを持っていました。
 これも一つの知恵でしょう。

 もう少し深く考えてみれば、人間は誰しも『安全で、より豊かで、より快適な生活』を望んでいます。ですからどうすれば、そうした人間の基本的な願望に沿うベターあるいはベストの解決が出来るか、を基準に判断をすることでしょう。

 連休中には憲法記念日もありました。いま日本でも憲法論議が盛んです。平和憲法が縄文時代に日本人が培った 「争わない」という考え方にマッチしているのではないかということはすでに書きました。

 安倍政権の願いは「憲法9条の見直し」でしょうか。しかし「意地を通す」ための憲法見直しであれば、それは知恵の後退であり、恐らく人命を含む多様な犠牲を生むことに「近づく可能性」を選択することでしょう。

 ここで日本の世論がいかなる選択をするか、これこそまさに「日本人の知恵」が問われている問題という事ではないしょうか。