三権分立、残業、居酒屋タクシー
三題噺みたいですが、本当は大事なことだという気が強くしています。
近代国家は、「立法、司法、行政」の三権が互いに独立しているのが原則だと思いますが、日本の場合は、本来、行政官である霞ヶ関のエリートのお役人が立法をしているようです。よく「あの法律は私が作った」といった話をお聞きします。国会で審議する法案を作り、与党の議員諸氏に説明・根回しし、時には答弁までして、法案成立に漕ぎ着けたという達成感があるからでしょう。
法律を作る人がその法律の行政をするのですから、よく解っていて結構かもしれませんが、往々にして、国民には大変わかりにくくて、自分たちには良く解る法律・規則や、行政の裁量の余地を広く取るような巧みな技が駆使されているように感じられます。今回の後期高齢者の医療制度でも、負担軽減措置なども含めて、なんと解りにくく、お役所の説明を鵜呑みにしなければならないようなことが多いことでしょう。
霞ヶ関の官僚は、立法の仕事もするのですから、当然国会対応があるので、国会がやっていれば、夜中でも何でも、待機していなければなりません。だから、深夜までの残業も、泊まり込みも厭わない、という気概です。しかしこれは本来の行政の仕事とは関係のないことです。もちろんこれは、官僚の方々が悪いのではなく、立法府が行政官僚を使うという今の「システム」がさせることです。だから、国家公務員法改正で、官僚の国会議員との接触を制限しようという案が出たり、あまり制限するなということになったりするのでしょう。
こうして深夜の帰宅が当たり前になると、タクシーでしか帰れません。タクシー券という制度が出来るのでしょう。東京の通勤距離は長いですし、電車は終電まで混んでいます。それなら、終電が無くなるまで待って、タクシー券という誘惑・・・・・、人間の心の弱さも出るかもしれません。
不況の中で、タクシーに長距離の客はなかなかつきません。多くの企業は昔と違って厳しく制限しています。タクシーのサイドから見れば、長距離固定客をつかめればこんないいことはありません。多少のサ-ビスは・・・・・、となっても不思議ではありません。
こうして事態は進展してきたのでしょう。本当に悪いのは何なのでしょうか?
三題噺みたいですが、本当は大事なことだという気が強くしています。
近代国家は、「立法、司法、行政」の三権が互いに独立しているのが原則だと思いますが、日本の場合は、本来、行政官である霞ヶ関のエリートのお役人が立法をしているようです。よく「あの法律は私が作った」といった話をお聞きします。国会で審議する法案を作り、与党の議員諸氏に説明・根回しし、時には答弁までして、法案成立に漕ぎ着けたという達成感があるからでしょう。
法律を作る人がその法律の行政をするのですから、よく解っていて結構かもしれませんが、往々にして、国民には大変わかりにくくて、自分たちには良く解る法律・規則や、行政の裁量の余地を広く取るような巧みな技が駆使されているように感じられます。今回の後期高齢者の医療制度でも、負担軽減措置なども含めて、なんと解りにくく、お役所の説明を鵜呑みにしなければならないようなことが多いことでしょう。
霞ヶ関の官僚は、立法の仕事もするのですから、当然国会対応があるので、国会がやっていれば、夜中でも何でも、待機していなければなりません。だから、深夜までの残業も、泊まり込みも厭わない、という気概です。しかしこれは本来の行政の仕事とは関係のないことです。もちろんこれは、官僚の方々が悪いのではなく、立法府が行政官僚を使うという今の「システム」がさせることです。だから、国家公務員法改正で、官僚の国会議員との接触を制限しようという案が出たり、あまり制限するなということになったりするのでしょう。
こうして深夜の帰宅が当たり前になると、タクシーでしか帰れません。タクシー券という制度が出来るのでしょう。東京の通勤距離は長いですし、電車は終電まで混んでいます。それなら、終電が無くなるまで待って、タクシー券という誘惑・・・・・、人間の心の弱さも出るかもしれません。
不況の中で、タクシーに長距離の客はなかなかつきません。多くの企業は昔と違って厳しく制限しています。タクシーのサイドから見れば、長距離固定客をつかめればこんないいことはありません。多少のサ-ビスは・・・・・、となっても不思議ではありません。
こうして事態は進展してきたのでしょう。本当に悪いのは何なのでしょうか?