調べてみたらもう4年も前の事でした。この歳になると、月日の経つのが矢鱈と早くなるようです。
ひょんなことから家内が「なんで明治天皇と昭和天皇のお二方だけ誕生日が国民の祝日になっているんですか」と言って、しばし返答に窮した私が、とっさの思い付きで、明治の時代に日本は内戦をしない国になった、昭和の時代に日本は外国とも戦争をしない国になった、これは国民にとって大変大事なことだから明治天皇と昭和天皇の誕生日は国民の祝日にして当然でしょう」と答えたとブログに書いたのが4年前の天皇誕生日なのです。
当時の国民学校6年生の8月15日まで、徹底した軍国主義教育の中で育ち、はやく兵隊さんになって、戦地に行き、敵を倒し、自分も「天皇陛下万歳」と叫んで国ために命をささげることが本分と考えていた「昭和に日々」、これも昭和なのです。
「日本はもう戦争はしない、平和国家、文化国家、科学国家として新しい国造りに邁進しよう」、命を大切にし、より良い豊かな社会を作るという使命に生甲斐を感じるのが新しい生き方、というもう1つの昭和です。そして、私の今があるのです。
その両方の昭和を生きた人間として、この「2つの昭和」の生きる意味の違いを日本人の心の中に(出来れば世界人類の心の中に)確りと植えつけなければいけないと思うのが我々世代の役割だと感じるのです。
4年前のブログの最後は「このままで行くといいですね。」で終わっています。
今日振り返ってみれば、この最後に一言が、ますます強く意識されるようになってきているのではないでしょうか。
4日後には「憲法記念日」が来ます。話は今日に飛びますが、衆院補選では、国民は立憲民主党を支持したようです。
2つの昭和を生きた我々世代は、2つの昭和を截然と分けたのは平和憲法だとの認識を強く持っています。「戦争をする日本」と「戦争をしない日本」の違いを、それぞれの時代の毎日の日常生活の中で、噛みしめて暮らしてきた経験が、今も共存しているのです。
そして、2つの昭和の隔絶した相違、その人間の存在意義にとっての虚と実ほどの違いが人生のすべての判断に確りと影響していると感じているのです。
ユネスコ憲章の前文は「戦争は人間の心の中で始まるのだから・・・」という言葉で始まっています。そして歴史を見れば、その人間というのは「独裁者」だというのが経験的に共有される認識でしょう。
その結果、今の世界では、一国のリーダーとして独裁者(あるいはその可能性のある人)を選ばない事が重要という認識も一般化しています。
にも拘らず、この所、独裁的なリーダーが多くの国で出現しています。そうした中で、2つの昭和というある意味では稀有な歴史を持つ日本が、如何なる使命感を持って、混乱する国際関係の中で発言し、行動するか、戦後80年「非戦」旗印の下で国を維持してきた日本が何をすべきかは大変重要なのではないでしょうか。
「人の噂も75日」と言いますが、「平和の理念も75年」などと言う諺が出来ない事を願うばかりです。