玉音放送と承詔必謹
今年も8月15日、終戦の日が来ます。1945年のあの日は日本中が晴れていたようで、暑い日ざしのもと、天皇陛下のお言葉(玉音放送=終戦の詔勅)の意味を、ラジオの雑音の中から、何とか聞き取ろうと努力した経験をお持ちの方も、丁度今「後期高齢者」といわれる方々の中には多いのではないでしょうか。
私の住んでいた地方都市は、7月の初めにB29の空襲でほぼ全滅し、国民学校(今の小学校)は先生も生徒も散りじりになり、そのまま夏休みにはいってしまいました。我が家も全焼し、9月になって、私は疎開した親の実家の村の国民学校に編入してもらいました。
9月、2学期の最初の授業で、小学校の担任の先生は黒板に大きく『承詔必謹』と書かれ、「これはショウショウヒッキンと読みます。天皇陛下のお言葉を承ったら、必ず謹んでお受けしなさい、という意味です、終戦の詔勅が下されました。謹んでそれに従いましょう。」といった意味のことを、丁寧に説明されました。
この授業が、文部省の指導であったのかどうかはわかりませんが、結果的に、米軍の日本占領は、極めて平穏に進展しました。その経験が、イラク戦争の折にも、アメリカの(誤った)自信につながっていたようです。
最近、たまたま、ネットで聖徳太子の「17条の憲法」を見ていましたら、その第3条が『承詔必謹』でした。あの授業から数十年たった今、計らずも自分の無学を恥じることになりました。
『和を以て貴しとなす』(第1条)は有名ですが、1300年余を経た1945年、昭和の時代にも、日本人の心の源流とでも言うべき『17条の憲法』が生きており、終戦後の混乱を避けるために、国民学校の先生が、真っ先に、第3条の『承詔必謹」を引用して、生徒に、日本人としての取るべき態度を教えたということに、「さすが日本の初等教育」と改めて感慨を深くしました。
今年も8月15日、終戦の日が来ます。1945年のあの日は日本中が晴れていたようで、暑い日ざしのもと、天皇陛下のお言葉(玉音放送=終戦の詔勅)の意味を、ラジオの雑音の中から、何とか聞き取ろうと努力した経験をお持ちの方も、丁度今「後期高齢者」といわれる方々の中には多いのではないでしょうか。
私の住んでいた地方都市は、7月の初めにB29の空襲でほぼ全滅し、国民学校(今の小学校)は先生も生徒も散りじりになり、そのまま夏休みにはいってしまいました。我が家も全焼し、9月になって、私は疎開した親の実家の村の国民学校に編入してもらいました。
9月、2学期の最初の授業で、小学校の担任の先生は黒板に大きく『承詔必謹』と書かれ、「これはショウショウヒッキンと読みます。天皇陛下のお言葉を承ったら、必ず謹んでお受けしなさい、という意味です、終戦の詔勅が下されました。謹んでそれに従いましょう。」といった意味のことを、丁寧に説明されました。
この授業が、文部省の指導であったのかどうかはわかりませんが、結果的に、米軍の日本占領は、極めて平穏に進展しました。その経験が、イラク戦争の折にも、アメリカの(誤った)自信につながっていたようです。
最近、たまたま、ネットで聖徳太子の「17条の憲法」を見ていましたら、その第3条が『承詔必謹』でした。あの授業から数十年たった今、計らずも自分の無学を恥じることになりました。
『和を以て貴しとなす』(第1条)は有名ですが、1300年余を経た1945年、昭和の時代にも、日本人の心の源流とでも言うべき『17条の憲法』が生きており、終戦後の混乱を避けるために、国民学校の先生が、真っ先に、第3条の『承詔必謹」を引用して、生徒に、日本人としての取るべき態度を教えたということに、「さすが日本の初等教育」と改めて感慨を深くしました。