転んでもただでは起きるな
コロナウィルスの脅威がどこまで広がるのか解らない状態の中で、こんなことを書いては不謹慎だとの批判があるかもしれません。
現状では、政府も、企業などの組織も、そして個人も出来る限りの感染ストップに知恵を絞り、努力をしながら、早期収束の努力をすることが最も大事です。
そしてコロナウィルスの脅威に打ち勝った時、その中で経験し、発見した重要なノーハウが、感染症対策以外でも、社会活動の多くの場で、色々と役立つことがあるように思われます。「転んでもただでは起きない」日本人の勤勉さを発揮する場があるはずです。
感染症対策としては、個人としては、手洗いうがいとか、風邪を人にうつさないようにするのがエチケット(昔は風邪は他人に移せば治るなどといったものです)とか、いろいろあるかと思います。
もちろんウィルスの突然変異のスピードが早くなっているので、政府の対応も後手後手に回っているようですが、その中から学ぶことも多いと思います。
企業にとっては、この際、学ぶべきことの一つに「テレワークの活用」の促進、そのための機器の開発、特に、それを使いこなすノーハウ習得・熟練があるように思います。
今日のニュースでも、資生堂、ユニチャームなどで、大規模なテレワークの実施に踏み切ったとの報道がありましたが、その経験は宝の山になるかもしれません。
勿論、製造工程など、機械に人がつかなければ不可能なものはありますが、それは省人化、無人化の対象分野として、従来は、人間同士が直接に顔を突き合わせて「会議・打合せ」することこそが大事と思われていたオフィスワークが、やってみれば、テレワークで可能ということになるケースも多いのではないでしょうか。
スマホやパソコンの進歩、特にソフトウェア(アプリ)の進歩によって、特別に高価な装置などを導入しなくても、テレワークの可能な仕事は随分増えてきたのではないでしょうか。
例えば、企画とか設計とシステム開発、プグラミングなどと言った仕事は、必ずしも会社の机でなければできないという事はないようです(守秘問題はありますが)。従来の風呂敷残業などで、それは証明済みではないでしょうか。
こうした仕事のやり方は、いわゆる過労死などの問題の際、実は長時間残業だけでなく、上司によるパワハラやいじめ(非生産的な人間関係)に類する問題がその背後にあるという実態からも明らかでしょう。
「濃密すぎる」職場の人間関係は、日本的人事管理、時にはOJTという名目である程度認められてきたのかもしれませんが、これは、日本企業における「ホワイトカラーの生産性の低さ」の一因と指摘する方もおられます。
ネットを介する仕事上のやり取りは、ある程度の人間関係の希薄化を齎すかも知れませんが、作業の中の無駄な流れを削ぎ落し、本当に必要な事だけのコミュニケーションを明確にして、所謂「スマートワーク」の実現に貢献することも十分考えられる(可能にもなる)ように思います。
よく言われる通勤時間の節約も含めて、テレワークの必要に迫られた導入が、日本のホワイトカラーの生産性向上の1つの契機になるとすれば、「転んでもただでは起きなかった」と言えそうな気もするのですがどうでしょうか。
コロナウィルスの脅威がどこまで広がるのか解らない状態の中で、こんなことを書いては不謹慎だとの批判があるかもしれません。
現状では、政府も、企業などの組織も、そして個人も出来る限りの感染ストップに知恵を絞り、努力をしながら、早期収束の努力をすることが最も大事です。
そしてコロナウィルスの脅威に打ち勝った時、その中で経験し、発見した重要なノーハウが、感染症対策以外でも、社会活動の多くの場で、色々と役立つことがあるように思われます。「転んでもただでは起きない」日本人の勤勉さを発揮する場があるはずです。
感染症対策としては、個人としては、手洗いうがいとか、風邪を人にうつさないようにするのがエチケット(昔は風邪は他人に移せば治るなどといったものです)とか、いろいろあるかと思います。
もちろんウィルスの突然変異のスピードが早くなっているので、政府の対応も後手後手に回っているようですが、その中から学ぶことも多いと思います。
企業にとっては、この際、学ぶべきことの一つに「テレワークの活用」の促進、そのための機器の開発、特に、それを使いこなすノーハウ習得・熟練があるように思います。
今日のニュースでも、資生堂、ユニチャームなどで、大規模なテレワークの実施に踏み切ったとの報道がありましたが、その経験は宝の山になるかもしれません。
勿論、製造工程など、機械に人がつかなければ不可能なものはありますが、それは省人化、無人化の対象分野として、従来は、人間同士が直接に顔を突き合わせて「会議・打合せ」することこそが大事と思われていたオフィスワークが、やってみれば、テレワークで可能ということになるケースも多いのではないでしょうか。
スマホやパソコンの進歩、特にソフトウェア(アプリ)の進歩によって、特別に高価な装置などを導入しなくても、テレワークの可能な仕事は随分増えてきたのではないでしょうか。
例えば、企画とか設計とシステム開発、プグラミングなどと言った仕事は、必ずしも会社の机でなければできないという事はないようです(守秘問題はありますが)。従来の風呂敷残業などで、それは証明済みではないでしょうか。
こうした仕事のやり方は、いわゆる過労死などの問題の際、実は長時間残業だけでなく、上司によるパワハラやいじめ(非生産的な人間関係)に類する問題がその背後にあるという実態からも明らかでしょう。
「濃密すぎる」職場の人間関係は、日本的人事管理、時にはOJTという名目である程度認められてきたのかもしれませんが、これは、日本企業における「ホワイトカラーの生産性の低さ」の一因と指摘する方もおられます。
ネットを介する仕事上のやり取りは、ある程度の人間関係の希薄化を齎すかも知れませんが、作業の中の無駄な流れを削ぎ落し、本当に必要な事だけのコミュニケーションを明確にして、所謂「スマートワーク」の実現に貢献することも十分考えられる(可能にもなる)ように思います。
よく言われる通勤時間の節約も含めて、テレワークの必要に迫られた導入が、日本のホワイトカラーの生産性向上の1つの契機になるとすれば、「転んでもただでは起きなかった」と言えそうな気もするのですがどうでしょうか。