働き方改革の今後を考える:1
働き方改革は、労使関係や、統計の利用法など、あちこちでいろいろな問題と国会の混乱を引き起こしたうえで、最後は強硬採決で成立しましたが、その後、仕事の現場では何か変わったのでしょうか。
今は、たまたま新型コロナウィルスのために職場だけではなく社会全体が混乱していて、働き方改革という難しい問題を考える時期としては、あまり適切ではないのかもしれませんが、コロナ騒動の中でも「就活戦線」もそれなりに動いていくでしょうし、企業の場では、否応なしのテレワークや在宅勤務の導入が、働き方改革とは関係なしに進んでします。
企業としても働き方改革を本気で考えるのは、新型コロナウィルス問題が鎮静化していからということにならざるを得ないような状況ですが、現状は兎も角、いずれ本格的に考えなければならない問題でしょう。
このブログの主要テーマは、タイトルの副題にありますように、「付加価値の生産とその分配」です。そして、そこでの最も重要な視点は、「分配のあり方」が「成長のあり方」を決めるという経験的事実にあります。
働き方改革の主要課題である2点、「労働時間の短縮」と「同一労働・同一賃金」は、付加価値の分配の基本に直接関連するものですから、このブログでは、折に触れて取り上げてきました。
勿論、今後も実体を見ながら、確りウォッチしていきたいと思っています。
という前提で、まず、日本企業としては、いかなる方向感覚で取り組んでいくことになるのか、あるいは取り組んでいくべきか、本当に目指すべきは何なのかといった点を些か整理しておきたいと思っています。
「働き方改革」というのが、一億総活躍社会という安倍政権のスローガンに関連してでしょうか、突然出てきました。
先ず出てきた論点は、「長時間労働の是正」だったように思います。
高度成長の末期のころから、「日本人は『ウサギ小屋に住む働き中毒』だ」などと言われていましたが(実は日本人が自虐的に作った言葉らしい)、当時、「一億総中流」などと言われる中で、日本人のウサギ小屋は清潔で住みやすく快適で値段を聞けばアメリカ人もびっくり(高価で)するなどと半分自慢していたものでした。
しかし、長時間労働は、そのころから種々深刻な問題を起こしていたようです。そしてそれは、長期不況になって、深刻の度を増しました。
ですから、一億総活躍を目指すなら、長時間労働など止めなければ、活躍などといった雰囲気は出てこない、長時間労働是正大賛成と、このブログも考えていました。
ところが、後から、統計を誤用して、裁量労働を積極導入しようとか、最後には、副業、兼業、二重就業を推奨すべきだなどという訳の分からない方針が政権から示され、安倍政権はいったいなにを目指すのか全く分からなくなりました。
「同一労働・同一賃金」については、このブログでは当初から、日本文化の本質を理解せず、机上の単純な合理性追求と、未だに残る舶来崇拝思想の混合の産物と見ていました。
そんなことで、世間や国会を混乱に巻き込みながら、無理に無理を重ねて成立させたものですが、余程活用の仕方を注意深く検討しないと毒になっても薬にはならないのではないかと心配です。
これからもこの点に関して、確りと行く先を見極めながら取り上げていってみたいと思います。
働き方改革は、労使関係や、統計の利用法など、あちこちでいろいろな問題と国会の混乱を引き起こしたうえで、最後は強硬採決で成立しましたが、その後、仕事の現場では何か変わったのでしょうか。
今は、たまたま新型コロナウィルスのために職場だけではなく社会全体が混乱していて、働き方改革という難しい問題を考える時期としては、あまり適切ではないのかもしれませんが、コロナ騒動の中でも「就活戦線」もそれなりに動いていくでしょうし、企業の場では、否応なしのテレワークや在宅勤務の導入が、働き方改革とは関係なしに進んでします。
企業としても働き方改革を本気で考えるのは、新型コロナウィルス問題が鎮静化していからということにならざるを得ないような状況ですが、現状は兎も角、いずれ本格的に考えなければならない問題でしょう。
このブログの主要テーマは、タイトルの副題にありますように、「付加価値の生産とその分配」です。そして、そこでの最も重要な視点は、「分配のあり方」が「成長のあり方」を決めるという経験的事実にあります。
働き方改革の主要課題である2点、「労働時間の短縮」と「同一労働・同一賃金」は、付加価値の分配の基本に直接関連するものですから、このブログでは、折に触れて取り上げてきました。
勿論、今後も実体を見ながら、確りウォッチしていきたいと思っています。
という前提で、まず、日本企業としては、いかなる方向感覚で取り組んでいくことになるのか、あるいは取り組んでいくべきか、本当に目指すべきは何なのかといった点を些か整理しておきたいと思っています。
「働き方改革」というのが、一億総活躍社会という安倍政権のスローガンに関連してでしょうか、突然出てきました。
先ず出てきた論点は、「長時間労働の是正」だったように思います。
高度成長の末期のころから、「日本人は『ウサギ小屋に住む働き中毒』だ」などと言われていましたが(実は日本人が自虐的に作った言葉らしい)、当時、「一億総中流」などと言われる中で、日本人のウサギ小屋は清潔で住みやすく快適で値段を聞けばアメリカ人もびっくり(高価で)するなどと半分自慢していたものでした。
しかし、長時間労働は、そのころから種々深刻な問題を起こしていたようです。そしてそれは、長期不況になって、深刻の度を増しました。
ですから、一億総活躍を目指すなら、長時間労働など止めなければ、活躍などといった雰囲気は出てこない、長時間労働是正大賛成と、このブログも考えていました。
ところが、後から、統計を誤用して、裁量労働を積極導入しようとか、最後には、副業、兼業、二重就業を推奨すべきだなどという訳の分からない方針が政権から示され、安倍政権はいったいなにを目指すのか全く分からなくなりました。
「同一労働・同一賃金」については、このブログでは当初から、日本文化の本質を理解せず、机上の単純な合理性追求と、未だに残る舶来崇拝思想の混合の産物と見ていました。
そんなことで、世間や国会を混乱に巻き込みながら、無理に無理を重ねて成立させたものですが、余程活用の仕方を注意深く検討しないと毒になっても薬にはならないのではないかと心配です。
これからもこの点に関して、確りと行く先を見極めながら取り上げていってみたいと思います。