コロンビア発の涼風、その後
去る6月「 コロンビア発の涼風」を書きました。コロンビアのサントス大統領の、いわば「粘り勝ち」でしょうか、コロンビア革命軍との和平が成立、革命軍の武器は全て国連に引き渡され、半世紀ぶりにコロンビアに平和が戻ったのです。
サントス大統領がノーベル平和賞を受賞したのも、誰もが納得でしょう。
そのサントス大統領が、8月30日、朝日新聞との会見に応じ、その信念を披歴、その内容が今朝の朝日新聞で報道されています。
折しも、北朝鮮が核開発を進め、米朝の威嚇のしあいのような状況になってしまってますが、国内問題とはいえ、長きにわたった国内の武力抗争を、最終的に和平という形での終息にもっていったサントス大統領の指摘は傾聴に値するように思います。
サントス大統領の発言の要点だけ述べますと、「コロンビアの和平は逆戻りできないもの、和平合意の内容が果たされた分だけコロンビアにとって多くの機会が巡ってくるから」、「双方の意志で対話し、明確な目標を持てば、武力紛争や戦争は終わらせることができる」また、「重大事項を決める手段として、国民投票は適切でない」などとのことです。
現状、国連の最大の関心事は米朝対立をいかに解決に導くかということでしょう。米朝だけでなく日本をはじめ極東の国々は、この対立に巻き込まれざるを得ません。
国連安保理では、アメリカ主導で、北朝鮮への圧力強化を中心に解決策を模索していますが、圧力だけで解決できるとは思わない国も多いでしょう。
アメリカ自身の内部からも、 ティラーソン国務長官の発言のような明確な対話へのメッセージも出されているわけで、相互不信の中での対立から胸襟を開いての対話へ、いかなるプロセスで進みうるかが問題解決のカギになるのでしょう。
もう1つ、国民投票に対する問題意識も、考えさせられるところです。経営や経済の問題でも痛感するところですが、多くの人々のものの見方が、次第に短期的になり、その分皮相的なものの見方「ポピュリズム」の風潮が高まり、一時的には世論が誤る可能性が無きにしも非ずです。
サントス大統領には、国民投票で、和平合意が否決された経験があります。和平合意が成立して、コロンビアが新しい一歩を踏み出している中で、「あれは何だったのか?」という思いと、国民投票が万能ではないという意識が胸に畳まれているのでしょう。
浮薄化する民主主義、ポピュリズムの盛行という状況の中で、民主主義の本質が問われているかもしれない現状への頂門の一針のような気もするところです。
去る6月「 コロンビア発の涼風」を書きました。コロンビアのサントス大統領の、いわば「粘り勝ち」でしょうか、コロンビア革命軍との和平が成立、革命軍の武器は全て国連に引き渡され、半世紀ぶりにコロンビアに平和が戻ったのです。
サントス大統領がノーベル平和賞を受賞したのも、誰もが納得でしょう。
そのサントス大統領が、8月30日、朝日新聞との会見に応じ、その信念を披歴、その内容が今朝の朝日新聞で報道されています。
折しも、北朝鮮が核開発を進め、米朝の威嚇のしあいのような状況になってしまってますが、国内問題とはいえ、長きにわたった国内の武力抗争を、最終的に和平という形での終息にもっていったサントス大統領の指摘は傾聴に値するように思います。
サントス大統領の発言の要点だけ述べますと、「コロンビアの和平は逆戻りできないもの、和平合意の内容が果たされた分だけコロンビアにとって多くの機会が巡ってくるから」、「双方の意志で対話し、明確な目標を持てば、武力紛争や戦争は終わらせることができる」また、「重大事項を決める手段として、国民投票は適切でない」などとのことです。
現状、国連の最大の関心事は米朝対立をいかに解決に導くかということでしょう。米朝だけでなく日本をはじめ極東の国々は、この対立に巻き込まれざるを得ません。
国連安保理では、アメリカ主導で、北朝鮮への圧力強化を中心に解決策を模索していますが、圧力だけで解決できるとは思わない国も多いでしょう。
アメリカ自身の内部からも、 ティラーソン国務長官の発言のような明確な対話へのメッセージも出されているわけで、相互不信の中での対立から胸襟を開いての対話へ、いかなるプロセスで進みうるかが問題解決のカギになるのでしょう。
もう1つ、国民投票に対する問題意識も、考えさせられるところです。経営や経済の問題でも痛感するところですが、多くの人々のものの見方が、次第に短期的になり、その分皮相的なものの見方「ポピュリズム」の風潮が高まり、一時的には世論が誤る可能性が無きにしも非ずです。
サントス大統領には、国民投票で、和平合意が否決された経験があります。和平合意が成立して、コロンビアが新しい一歩を踏み出している中で、「あれは何だったのか?」という思いと、国民投票が万能ではないという意識が胸に畳まれているのでしょう。
浮薄化する民主主義、ポピュリズムの盛行という状況の中で、民主主義の本質が問われているかもしれない現状への頂門の一針のような気もするところです。