昔の日本でしたら、今年劈頭の能登の災害は「天が怒っている」と考えたでしょう。沖縄の辺野古では県民の意思を無視して粛々・着々と進む軟弱地盤補強工事、能登では現地の人達は天を仰ぎつつ天災の不運に耐える辛苦の毎日です。
今の日本では、こうした極端に鮮烈な対比が「天の意思」と考えなくてもよいのかもしれません。こうした今の科学では「偶然」として見過ごすような自然現象を、かつってのにほんでは「天の意思」と受け取り自らを省みる文化がありました。
そしてそれが、権力者の行き過ぎた権力の乱用を許さないという権力者への自戒の圧力、更には優れた社会的な意識や行動に繋がっていたことは、人間の知恵の深さを感じさせるものではないでしょうか。
「小人玉を抱いて罪あり。」選良の先生方を小人と例えては恐縮です。これは諺です。「権力は腐敗する。」という諺は洋の東西を問いません。
罪や腐敗を防ぎ、新しい人々が新しい思いで国造りに励むことの繰り返しが進歩発展を生むのでしょう。徳川260年の歴史なかでも3回の改革が行われています。
技術革新のない時代、今でいえばGDPは増えません。権力が無駄をすれば幕府の財政は保ちません。「倹約令と新田開発」の享保の改革(1716)、「不作・凶作に備え備蓄」を図った寛政の改革(1787)、「インフレ対応」の天保の改革(1841)です。
こうした改革があって、260年に及ぶ幕府の存続に貢献したという事でしょう。天保の改革はマネー経済の発達と貨幣発行のバランスの問題の理解不足が社会の混乱につながり、外国船の来訪もあって幕末に突入、国際情勢の変化に幕藩政治が対応できず明治維新という大改革になったのでしょう。
つまり、国という社会は、統治者を必要とするのですが、統治者は、「権力は腐敗する」の原理や、時代の変化に対応できず、改革が必要となり、改革が成功して社会が安定し進歩するというサイクルを繰り返しているのです。
戦後の日本を見れば、戦後の政財界を背負ったのは40代ぐらいの若い人たちでした。この清新の気迫が、抑圧された軍国主義から新たな平和と民主主義の社会をめざす、国民の真摯な努力に支えられて高度成長の実現につながったのでしょう。
しかしこの間権力を維持した自民党政権は、長期化と共に驕り高ぶり、1985年のプラザ合意による円高の本質の理解も怠り、その後は政権維持が目的という時代に入ってしまったようです。
この傾向は安倍政権以来急激に高まり、マネー経済と天保銭の増鋳(赤字国債増発)、新たな黒船を受け入れ、カジノもミサイルもという、明治維新の自主性もない民意と離れた支持率の極端に低い日本になりつつあるようです。
徳川時代の改革は老中がやったのでしょうか。今の日本の改革は誰がやるのでしょうか。今の日本は民主主義国ですから、矢張り国民がやるのでしょう。その手段は現実には「選挙しかない」のです。今の日本人は、能く必要な改革をやり遂げることが出来るでしょうか。