tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

おカネの役割の限界: 取引と贈与

2016年04月11日 08時59分13秒 | 経済
おカネの役割の限界: 取引と贈与
 人間がお金(貨幣)を発明して、世の中は大変便利になりました。それはまず、いろいろなものの経済的価値を、共通な特定のものに換算して表すことが出来るからです。
 昔は大きな輪の形にした石が貨幣だったり、家畜を共通の価値の基準にしたりと、いろいろだったようです。

 英語にはpecuniary(金銭的な)という言葉がありますが、pecusはラテン語の「家畜」だそうで、家畜を貨幣代わりにしていた名残でしょう。
 最終的には貨幣は「錆びることのない金」が選ばれることになりましたが、経済価値の共通単位ができることで、貨幣は、「経済価値の基準」「交換の手段」「経済価値の貯蔵」の3つの役割を果たすようになりました。

 そして、あまりに便利なので、「おカネ万能」と考える人が増える結果となりました。
 最近の「パナマ文書」では、世界のリーダーの中にもおカネの亡者の居ることが知られてしまったりしています。

 かつては、インサイダー取引で捕まって「儲けて何が悪い」といった官僚出身のファンドマネージャーがいたり、最近では、賭博に手を出すスポーツ選手がマスコミに載ったり、人間にとって、おカネの魔力は極めて大きいようです。

 こうした話は法律違反と絡んだ話ですが、合法的な世界でも、FXをはじめ、各種の金融取引は、心理的にはまさにギャンブルそのもののようです。
 いま日本では賭博行為は違法ですが、安倍さんのお好みのように、カジノが合法化されれば、またおカネの亡者が増えそうですね。

 小はゴルフの「ダイヤモンド、金、銀、銅」のオリンピックや賭けマージャンから、大はヘッジファンドの国際金融場裏での巨大投機まで、おカネの魔力は、往々人間の心を狂わせるようです。

 確かに貨幣を使った取引は、合理的で便利ですが、その一方で、人間は本来的に「贈与」という行為が好きなのではないでしょうか。子供はオマケが大好きですし、人間誰でも、きっちりした計算以外に、何か贈与に当たるようなものがあると、何となく気持ちが和みます。
 この分は値引きさせて頂きますとか、気持ちだけ余分に入れておきました、などなど。

 きっちりしたカネ勘定だけの世界で生きていると、人間は世知辛くなり、温かみが欠落し、人間らしさがなくなってくるように感じるのでしょう。ソロス氏も慈善家という顔も持っていないと人間として気が済まないのではないでしょうか。
 この辺りに、「おカネの役割の限界」があるように思われるのです。

 確かにお金は便利です、きわめて合理的で、正確で、十分な納得性も持っています。しかし、人間は本来、そうした合理性尊重の上に、何か人間らしい、無償のモノや行為、+αの価値を表す「贈与」を付け加えて精神的な満足や心の安定を得ているのでしょう。

 人間がこうした精神構造を持っているのは、もともと人間が、太陽光線という、完全無償な太陽からの贈与によって生まれ、進化してきた生物の種の一つだからかもしれません。

 人間の社会生活、経済や経営の面でも、確かにおカネの計算はベースですが、それには「限界もある」ということを理解して、「贈与」という人間らしい要素をうまく取り入れた行動を考えていくと、世の中一味違う柔軟で、温かいものになるような気がします。