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tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

太陽エネルギーの効率的付加価値化:SDGsのために

2021年03月14日 16時52分43秒 | 環境
太陽エネルギーの効率的付加価値化:SDGsのために
 過日「番外編」で「付加価値って何ですか」を書きました。
 その時は、布地などの500円の材料からワイシャツをミシンを使って縫製し、1000円で売れ、500円の付加価値が生まれたと書きました。

 またその後日本の伝統文化がSDGs(持続可能な開発目標)の思想によく似合うとも書きました。これはともに、日本人がもともと綺麗な水と太陽エネルギーに感謝する気持ちを大事にするからです。

 そこで今回は、地球環境の素晴らしい自然を作り出し、維持してくれている太陽エネルギーと人間の経済活動を支える基本概念である付加価値の関係をどのように考えていったらいいかをSDGsの立場から見てみたいと思います。

太陽からの恩恵、毎日、無償で地球の生態系に提供される太陽エネルギーを最大限の経済価値に転換して週末時計を巻き戻すような生態系の循環を作り、われわれ人類も、より豊かで快適な暮らしをしていくために、いかに無償で万物に平等な太陽エネルギーを、より効率的に付加価値に変換する努力をすることが、いまこそ必要になって来ているのではないかという問題提起をしたいと思っているのです。

SDGsと日本文化について書いた折、自然は、人間が適切に返礼をすれば、それに対してより豊かな実りをもって報いてくれると書きました。これは、里山や水田を作ればより豊かな生物多様性を以て我々に応えてくれますし、畑は深く耕せが深く耕すほど、更に、適切な施肥をすれば、一層豊かな収穫を保障してくれるという意味です。

 しかるに、この100年~200年人類は、地球の自然を徹底収奪することによって、当面の豊かさを選び取ってきました。化石燃料を金に換えることに狂奔し、熱帯雨林を伐採して合板などの生産を優先し生物多様性に影響を与え、更に酸素の供給にも 負の影響を与えるような行動が加速し、更には、核分裂エネルギーの利用を進めることで地球の放射能汚染を急速に深刻化しつつある状況です。

 もともと太陽光線は時間をかけて植物を育て、植物が酸素を供給して生態系の循環を支えてきていたわけですから、そのサイクルを人間が支援し、より効率的そのプロセスが進められれば、あるいは代替物、だいたいプロセスが開発されれば、同じ太陽エネルギーで、至急環境を汚染しない、より効率的で豊かな生態系の循環が可能になるわけです。

 こうして太陽エネルギーがより効率的に使われるようになれば、もし太陽に心があれば喜んでくれるでしょうし、人類にとっても同じ太陽エネルギーからより多くの付加価値を生み出すことも可能になるわけです。言い換えれば太陽エネルギーの付加価値生産性の向上という事にもなります。

 勿論現状は、太陽が無償で提供してくれ、地球の生態系維持を可能にしている太陽エネルギーのうち、人間が付加価値化している部分などは知れたものでしょうから、太陽エネルギーの生み出す多様なエネルギー(光、熱、風、水力、海流、潮夕、などなど)、の効率よい付加価値化を追求することは、まさに、今日の人類の最大の目標の一つであるSDGsに合致するものであり、それは、顧みれば日本の伝統文化を貫いてきた思想ともまさに相容れるものでもあることに気付くのではないでしょうか。

 日本が世界に役立つことの重要な基盤に太陽エネルギーの効率的付加価値化という概念を組み込む必要があるように思うところです。

SDGsと日本の伝統文化:余談

2021年03月09日 21時17分18秒 | 環境
SDGsと日本の伝統文化:余談
 SDGs、持続化能な開発目標の大前提は先ず持続可能性でしょう。
 持続可能性ということになりますと、私は子供の時に教わったこんな歌を思い出します。
 あまり上品な歌ではありませんが

「世の中は食うて ばばして 寝て起きて
        子が親になる 子が親になる」

 これは、世の中というものは所詮こんなものだ、という事を言っているのでしょうが、考えてみると、随分意味は深いのかもしれません。
 因みに、何か解説する資料があるかと思ってネットを繰ってみましたが。この歌は発見できませんでした。

 この歌の通りに世の中が進んでいけば、人類社会の持続可能性は保証されるわけです。しかし、例えば。今回の新型コロナ禍の様な事が起きると持続可能性はあちこちで切れてしまいます。
 今日は3月10日ですが自然災害でも同じです。さらに悲惨なのは、人と人とが殺し合う戦争でしょう。

 今、SDGsで主要な課題になっているのは温室効果ガスによる地球環境の変化ですが、原爆戦争で地球環境が人が住めなくなる可能性も無きにしも非ずでしょう。( アインシュタインの予言)
 現に、一部には、化石燃料の代わりに原子力を使おうという意見もあります。

 しかし、原子力には環境汚染はないかというと、とんでもありません。核融合は別として核分裂のエネルギー利用は、長期かつ広範な放射能汚染を伴います。
簡単に言えば、時間をかけて少しづつ原爆戦争をやっておるようなものです。

 オンカロの事はすでに書きましたが(下記10万年前、10万年後参照)、放射能は10万年も残ります。トイレの無いマンションにトイレを作り結局は埋めたり海に流したり空中に放出したりで汚染は10万年後迄堆積します。放射能の半減期は決まっていますからどうにもならないでしょう。

 例えば東海事業所の汚染水も、フランスの再処理工場の汚染水も結局は海に流す以外にはないのです。
 10万年前、ホモサピエンスは何をしていたか「 10万年前、10万年後」で触れましたが10万年はホモサピエンスの歴史には長すぎます。

 SDGsの立場からは、結局、核分裂のエネルギーは利用しない方が良いのでしょう。
 こうして結論は矢張り太陽エネルギーに戻って来ます。

 太陽光も、太陽熱も、風力も、水力も、海流もすべては日々降り注ぐ太陽エネルギーの所産です。これを如何に巧く活用するかが腕の見せ所でしょう。

 「子が親になる 子が親になる」というサイクルが安定して繰り返されるためのエネルギーは、幸にも太陽が無償で提供してくれているのです。

日本の伝統文化はSDGsに良く似合う

2021年03月09日 00時19分17秒 | 環境
日本の伝統文化はSDGsに良く似合う
 現在、終末時計は残り100秒だそうです。
 SDGsが言われる所以ですが、方向転換は容易ではありません。 

 何とか終末時計を少しでも巻き戻すには、SDGsを徹底する以外にありません。
 SDGs(Sustainable Development Goals 持続可能な開発目標)の、問題は「持続可能」という言葉でしょう。

 今やっていることを続けていくことが出来るのか出來ないのか、あらゆることにこの判断が必要になるのでしょう。

 今、喫緊の課題は、温室効果ガスの削減です。このままCO2をはじめとした温室効果ガスを出し続けることは地球環境を壊滅させると予想されています。日本も2050年までにCO2排出実質ゼロを掲げました。

ところで、ここで考えてみたいのは、日本は伝統的に「自然」を大事にしてきたということです。
地球環境を守るということは、地球の自然を大事にするということです。

 地球は46億年の歴史の中で火だるまの鉱物の塊から多様な変遷を経て生物の原型が発生し、それが進化してヒトにまでなったのが400万年ぐらい前、いわばつい最近です、我々ホモサピエンスが生まれたのはせいぜい30万年ぐらい前の事でしょう。

そんな奇跡の発展を可能にした地球の自然を、ホモサピエンスがこの100~200年の間に生物多様性の存在を許さないような環境にしてしまう可能性があるというのです。
具体的にいえば、多様な生物が住めないような自然環境にしてしまうということです。勿論多様な生物の中には人間もはいることになるのでしょう。

残念ながら、今の日本人は舶来尊重のあまり、日本の伝統文化を忘れ去ってしまったような気が私はしているのです。

日本人はもともと自然を大事にして繁栄してきたのです。山川草木に霊性を認め、自分たちも自然の一部と認識し、自分たちの生存の原点が自然の恵みにあることをよく理解し、常に自然にその返礼をしながら発展してきたのです。

自然の恵みに感謝し返礼をすれば、自然はより豊かな恵みを与えてくれる、というのが基本的な思想だったのです。

典型的な例は、里山や田んぼでしょう。急峻な日本地形の山と里の中間に、動物と人減の緩衝地帯を作り、また急峻は流れを蛇行させ網の目の水路を作り、水田耕作をする。
人間が自然に手を入れることにより、人間と動物の交流の場、狩猟の場が生まれ、網の目の水路は扇状地の上にも豊かな水田が可能なるのです。
また、山を育てれば海が育つといった関係を理解し、山林面積を多く残し豊かな海産物を利用しているのです。
これらはすべて人間と自然のwin=winの関係で、持続可能な開発を可能にするものです。

本来地球上に生物が発生し、ホモサピエンスにまで進化したのは、地球に水があり、太陽が無償のエネルギーを与えてくれているからにほかなりません。

こう考えてくれば、SDGs実現の基本は、水を汚さないこと、そして太陽エネルギーを感謝しつつ最大限の利用をあらゆる科学技術の開発で実現していくという事でしょう。
毎日無償で与えられている太陽エネルギー、これを徹底利用すれば人類にはあり余る程のエネルギー活用が可能になるのではないでしょうか。

三寒四温、遅咲きの豊後梅の蕾膨らむ

2021年02月26日 19時54分16秒 | 環境
三寒四温、遅咲きの豊後梅の蕾膨らむ
 日本列島も気候変動で大雪、旱魃などいろいろと大変ですが、有り難い事に今年の都下国分寺は比較的平穏な天候です。

 昔から、この時期には、三寒四温、五風十雨などと言われますが、幸なことに何かそれが当て嵌まるような気もするなどと言いながら、コロナ蟄居で窓から外を眺めています。

 三寒四温の方は、もう少しサイクルが早く日替わりのようで、昨日は風が冷たくても日差しが強く日中は暖かく、今日は風はありませんが曇りで薄ら寒い日です。明日はまた晴天の予報です。そして今年も桜は早いようです。

 五風十雨の方は、関東平野は、必ずしも中国の諺どおりではありませんが、5日に1日風の日、10日に1度雨の日、という所でしょうか、これで今年も豊作なら結構という感じです。

 勿論桜の蕾はまだ膨らんでいないようですが、 我が家の遅咲きの豊後梅はようやく蕾が膨らんできました。
豊後梅は梅の中では遅咲きですが、わが家の遅咲きは日当たりが悪いせいで、近所ではもう咲いています。



ところで話の本題は、我が家の豊後梅は二代目で、先代はずいぶん実がなったのですが、今のは殆ど実がなりません。花は綺麗に咲くのですが、品種の違いか日当たりのせいかなと思っていました。  

ところが先日友人が、「家の梅も実がならないので、去年思いついて花が咲いた時、受粉をしてやったんですよ。そしたら結構実がつきましてね・・」という話をしてくれたのです。

ということで、やっと蕾が膨らんできたところですが、満開になったら、友人の真似をして受粉をしてみようと思っているところです。

これでうまくいったら、また以前のように、わが家の梅で自家製の梅酒が堪能できると、「取らぬ狸の皮算用」です。

結果は、時期が来ましたら、是非、報告させて頂きたいと思います。

大寒の霜柱、片隅の春:リュウキンカ

2021年01月31日 10時12分16秒 | 環境
大寒の霜柱、片隅の春:リュウキンカ
 今日で1月も終わり、もうすぐ今年は1日早い立春です。

 暦が「まだ大寒ですよ」と言いたかったのでしょうか、都下の国分寺では早朝の気温は零下2℃、寒い朝でした。

 朝の日課、生ごみを庭の端に掘った穴に捨てに出ましたら、狭い庭もチューリップの球根を植えた花壇も霜柱で一段高くなっていました。

 今年はずっとカラカラに乾いていましたので、霜柱が立たなかったのですが、先日来の霙や雨で立派な霜柱が立ったようす。

「 サクサクと霜柱を踏んで」という昔の教科書の一説を口の中で暗唱しながらごみを処理して、振り返れば、踏んだところは、2㎝近い霜柱が横倒しに倒れていました。



 その足で玄関わきの塀際のリュウキンカ(立金花)を見に行きました。ここは午前中だけ日が当たるところで、ここのリュウキンカの株は開花が最も早いのです。開花に気づいたのは昨日夕刊を取りに行った時ですが、予想通り、未だ1輪だけですが綺麗に咲いていました。





 このところ、わが家の庭で最も早く咲いてくれる花としてリュウキンカの事は、毎年このブログで取り上げているのですが、昨年「今年は早く」と書いたのが 2月の15日です。

 それにしても今年の早さは異常で、まだ1月、大寒の最中です。(なぜこんなに早いのかは解りませんが)
 確かにあけぼのつつじの下の株などは、未だ良く見れば蕾が出てきた程度ですが、玄関の塀際の株の開花の速さは驚きです。

 やはり毎朝、朝日を浴びると植物も特別元気が出るのでしょうか。そういえば今年は晴天の日が多かったですね。よく見ると同じように日の当たる玄関わきの窓の下の原種のチューっリップも、細い鋭い浅緑の葉が、少しづつ伸びてきていました。



 狭い庭でも、大寒と早春が混在する面白さを、すっきり晴れた空の下で爽やかに感じる日曜日の朝でした。 








 

皇帝ダリア今年は順調

2020年11月12日 13時38分52秒 | 環境
 秋が深まると楽しみにしているのが、皇帝ダリアの開花です。
 今年は、都下の三多摩地区は、有り難いことに、台風の直撃もなくて、皇帝ダリアは順調に育ちました。




 風で倒れないようにと丈夫な幹4本を、なるべく広がらないように、お隣の庭までフェンスを越えていかないようにまとめ、風で倒れないように、出来るだけ直立すように、ノウゼンカズラの根にまとめた紐を引っ張って結んでおきました。

 皇帝ダリアの幹は夏の間ぐんぐん伸びて太くなり、9月ごろ一度伸びが止まります。そして少し寒くなる9月下旬あたりでしょうか、その上に新しい幹が急速に伸び、3mぐらいまで背丈を伸ばし、10月下旬ぐらいにはその先に蕾の枝分かれが出て来るという育ち方です。

 去年は台風で倒れたのを折れていないものだけ何とか起こして花まで持っていきましたが、丈は2mちょっとぐらいでした。今年は優に3mはあります。蕾の数も随分多いようです。
 
 昨日は朝から真っ青な空でそたから、「今日がチャンス」と写真を撮りました。
 一番高いのにまず花が開き、2、3日遅れて二番目に高いのに、3番手、4番手は今日少しほころび始めています。通りを通る人にも眺めて頂けそうです。

  皇帝ダリアは霜が降りれば枯れてしまします。初霜までの短い寿命で、蕾が全部開くのは難しいかもしれませんが、ここ当分楽しめそうです。

自然の造形の妙、こんなキノコも!!

2020年10月25日 14時37分00秒 | 環境
 我が家では、台所のごみはすべて庭の隅に穴を掘って埋めることにしています。

 直径30㎝位の穴をなるべく深く掘って毎朝捨てに行くことになっていますが、シャベルでつついて土と混ぜておくと1か月以上OKです。一杯になったら隣に穴を掘ります.。それが一杯になる頃には初めの穴のごみは良い肥料になっています。

 昨日の朝、ごみを捨てに行ったとき、その穴の縁あたりに、何かカビのような小さな灰色の塊が群生しているのを見て、何だろうと思っていました。

 老眼鏡をかけてなかったのではっきり見えませんが、キノコなど菌類には興味を持っていますので、後から確り見に来ようと思っていました。

 午前中は忘れていて、午後、庭の雑草かじりでもしようかと庭へ出て思い出し、老眼鏡とスマホを用意してみてみました。

 よく見ると直径1㎝弱のカビの塊と思ったのはキノコなのです。掘った穴の左側の縁のあたりに何10本か生えてきています。



 なんで急に生えてきたのか解りませんが、捨てたごみに菌糸があったのでしょうか、それとも、よく来る雀やムクドリ、ひよどりなどのおみやげか、いずれにしても面白いので写真を撮った次第です。

 以前も皇帝ダリアの枯れた後に ムササビタケ というキノコが生えてきたことを書きました。これは昔から持っている『菌類』という図鑑で調べたら「むささび茸」というキノコだと解りました。食用と書いてるので、お付けの身にしようかといって、家内に一言で拒絶されたことはこのブログでも書きました。

 今回のキノコも、見たこともないものなので、早速上記の図鑑で調べてみましたが、残念ながら出ていませんでした。

 しかし、上の写真を見ていただくとお分かりのように、とても美しいキノコで、まさに自然の造形の妙というべきもののような気がしています。練達の職人が作った蛇の目傘にうっすらと雪、とでも言えばいいのでしょうか。

 狭い庭の台所のごみ捨ての穴の縁でも、自然は、こんな美しいものをそっと置いてくれるのです。お蔭様で昨日は1日いい気分でした。今朝行ってみましたら、もう新しいのがほんのまばらに開いているだけでした。

 


雨のち晴れ、ススキは元気

2020年10月15日 11時26分19秒 | 環境
雨のち晴れ、ススキは元気 
 今年は、例年晴れの特異日だった10月10日の体育の日も、8月にとられてしまったせいか雨でした。なにか「秋の長雨」の気配の日々です。

 その中で一昨日の13日は朝から晴れでした。天気予報が「洗濯日和」といっていましたが、その通りでした。朝日を浴びて庭のススキが光っていました。



 もうだいぶ昔ですが、家内が「葉が矢絣だから」と言ってススキの株を分けてもらってきました。その後、ススキの株は毎年大きくなって、この数年は毎年真ん中だけ残して、周りは春から夏まで伸ばさないように刈り込んでいます。

 今年は思い切って刈り込んで、一握りぐらいだけ残したつもりでしたが、それでも、立派に伸びてくれて8月末には出穂、遅かった中秋の名月までもつかと思われましたが、ずっと元気で、台風崩れの雨た、その後の秋の長雨にも耐えて、未だすっきりと端正にしています。

 ススキが高く伸びていると、狭い庭も少しは広く見え、毎年これこそ秋の風物詩だと、何時もいい気分で見られるのは大変有難いことだと思っています。

 もう少しするとススキの穂もぼわっと膨らんで、縁起物のフクロウを作るのに最適のようになるのでしょうが、それまではもう少しの間、日々楽しめると思っています。

暑かった夏、秋の気配と残暑の花

2020年09月17日 15時43分35秒 | 環境
出穂が例年より遅かったススキ


夏から秋まで100日頑張る矮性の百日紅(さるすべり)


今年は残暑も乗り切って元気なノウゼンカズラ



 今週末からの連休は秋の彼岸、「熱い、寒いも彼岸まで」と言われますが、暑かった夏も過ぎたようで、漸く涼しくなりました。

 今最も暑いのは政治の世界といいたいところですが、何かこちらも、半分とは言いませんが3分の1ぐらいしらけていて、熱気や期待感も、もう一つ足りないようです。やはり「安倍路線の継承」という一言が影響しているのでしょうか。

 涼しくなって、 熱中症の恐れはなくなりましたが、今度は、インフルエンザと新型コロナも競合問題でしょうか、当分安心できない状態が続きます。

 今月19日から、県をまたいでの往来の自由化で、国内ならどこからどこへ行ってもOKという事になり、経済活動は一層活発になるという予想で、期待の声も多く、街も少しづつ活気が出て来るのかもしれません。

 とは言え、新型コロナ対策は、何も変わった事はないので、これで第3波が来るのかどうかも誰にも解りません。

 勝手な予測をすれば、やはり新規感染者は多少は増加するでしょう。しかし、前回のこのブログの「うつのみや観光」の例もありますように、民間では企業も個人も、政府の言葉を借りればまさに「自助努力」でいろいろな対策を講じ、新規感染者が増えないように多様な努力するでしょうから、大きな波にはならないと考える(本当は「願う」)所です。

 それでも、我々のような高齢者は、まず感染したら「アウト」でしょうから。中央線に乗って都心へ行っても、新宿や神田や丸の内のレストランで食事をしても、車で出かけて、サービスエリアや道の駅で食事や買い物をしても、感染の確率が100万分の1以下になるまで(確率が100万分の1以下になると人間は確率ゼロと同じに認識するそうですので)出来るだけそれまで家に謹慎蟄居して安全を守り、家族感染も絶対しないように努力するしかないと思って行動しています。

 お蔭様で、いままで、スーパー、コンビニ、近所のかかりつけ医、車の高齢者講習、免許更新で試験場など行きましたが、運よく無事過ごしていますので、ここにきて、九仞の功を一簣に欠くようなことはしたくないというのが正直な心境です。

 という事で、狭い庭の花などを愛でて、四季のうつろいの中に感受性の涵養や自然への感謝と同化のすすめを実行することにしています。
 以上年寄りのたわごとですが、季節の花なの写真に免じて、御寛恕ください。
  









ムラサキツユクサとショウジョウソウ

2020年09月12日 16時38分36秒 | 環境
紫露草と猩々草


 テレビで、記者クラブ主催の自民党総裁選の3候補の意見を聴く会をやっていました。記者さんたちも随分大勢おられて、3密になりそうなくらいでした。3候補のテーマ別の意見の開陳、記者さんとの質疑応答も、それぞれに発言が整理されて、3人の候補者の意見、共通点と相違点なども良く解るような感じがして、見てよかったなと思う番組でした。
 
 見ながら思ったのは、とても良く解るように企画されたいい番組なのに、いくらこちらが参考になったと感心しても、総裁選の結果は疾うに決まっているんだったな、という事でした。現実の政治とは距離がありますぅね。でもいつかはこうして得た情報が役に立つのだろうと理屈をつけることにしました。

 そんなことで、草むしりでもしようかと雨もよいの庭に出ましたら、庭の片隅の、写真のような「可愛らしい情景」が目に入りました。
 咲いているのは、何の変哲ない花と葉ですが、偶々入り混じっているのが楽しく見えて、つい写真を撮りました。

 撮ったところが、ブログに出すほどのものでもないと思いながら、それでも折角撮ったのだから、あるいは折角咲いてくれているんでから、これも何かのタイミングかハプニングと思って、少しトリミングなどしてみました。

 難しいテレビ番組を見た後なので、こんな小さな情景が、新鮮で可愛らしく見えてのかも知れません。世の中ますます難しくなってくるので、人間の性で、小さな安息を求めるのでしょうか・・・、などと何でも理屈をつけるのが悪い癖だと思いながら書いています。



今年も「るりふたもじ(瑠璃二文字)」が咲きました

2020年09月03日 15時36分58秒 | 環境
清楚な小さな花「瑠璃二文字」が今年もノウゼンカズラの下で咲いてくれました。



 安倍首相が辞任し、後任選びで賑やかでしたが、マスコミによると、選挙を待たず、菅官房長官に決まりのような雰囲気が見られます。
 先に立候補した石破さんと岸田さんは、人気低迷となった安倍さんとは一味違ったものを出そうといった様子が見えますが、後から立候補の菅さん は、安倍政権の路線を確り継承といっています。
 
 安倍さんの路線を確り継承する人が当選となれば、安倍さんが辞めても、結局同じことが今後も続くという事になるわけで、政治というか、政治家の動きというのは庶民には解らないものです。

 政治のどろどろした話は、つまるところ庶民には解らないことと諦めて、狭い庭に伸びてきた雑草(地縛り)を少しかじっておこうと庭に出ましたら、ノウゼンカズラの下に、2本目の「瑠璃二文字」の花が咲いていました。

 8月中旬にも咲いていたのですが、写真を撮ろうと思ったっら、日照り続きで花が元気なく、今年は駄目かと諦めたところでした。
 昨夜この辺りも豪雨があったのですが花は倒れずに 小さいながら瑠璃色に元気一杯咲いていました。

 まさに楚々とした花ですが、名前が良いので今年もブログに載せたくなった次第です。
  名前の由来については、この花とトンボを一緒に取り上げた何年か前のブログに書いてあります。

 花のあと、実をつけるようなので、出来れば今年は種を取って、鉢で少し増やしてみたいなと思っています。、


 
 
 

やっぱりヤブカンゾウ(藪萱草)でした

2020年08月13日 17時20分46秒 | 環境
やっぱりヤブカンゾウ(藪萱草)でした
 先日、蛍飼育用のU字溝をキレイにしました。
 ヘイケボホタルの幼虫が上陸しやすいようにU字溝の中にセリ(芹)を茂らせ、ボウフラ退治のメダカはその間を通って遊弋していましたが、セリを全部引き上げ、周りのドクダミやミズヒキソウも整理して、メダカがゆっくり泳げるようになりました。



 その際、あれ!こんな所に花が咲いていると気が付いたがカンゾウ(萱草、甘草)です。大きく育ったオオムラサキ(写真に幹が写っています)の下ですので、気が付かなかったのですが、家内に話したら、「随分前お友達の家に咲いているのを見て、分けていただいたんですよ」「あんまり咲かなかったけど、今年は咲いたんですね」とのことでした。

お友達の家の広かった庭は家が建ってカンゾウはなくなってしまったとの事で、我が家に生き残っているというわけです。

 家内はカンゾウといっているのですが、カンゾウ、キスゲ、スカシユリ、などはよく似ていて、必ずしも区別がつかないので、疑ったわけではありませんが、写真を撮ってスマホのアプリで照合してみました。

 私のスマホにも、この春、便利なスマホアプリを入れたので、この所よく使っています。
 調べた結果はやっぱり「ヤブカンゾウ」でした。ヤブカンゾウにももっと豪華な花のものもあるようで、我が家のは極めてシンプルな原種に近いようなものでしょうか。

 カンゾウは朝咲いて夜には萎んでしまうとのことで、毎日違う花が咲いているという事だそうで、よく見れば細長い蕾がいくつもついています。

 我が家の狭い庭の中でも、この部分はホタル上陸用に小藪にしてありますので、ヤブカンゾウには住みやすいのかもしれません。
 ただ今年は、ホタルの羽化率が非常に悪かったので、来年は少し綺麗にしようと思っています。ヤブカンゾウも少し目立つように咲いてくれるかと思っていますが、さて、どんなことになりますか。

今年は綺麗な大葉が沢山取れます

2020年08月02日 16時32分55秒 | 環境
虫に食われていない綺麗な大葉


 新型コロナの第二波で、今年の夏は残念ながら鬱陶しものになりそうですが、先ずは関東地方も梅雨明けになって、庭の緑が太陽の光に輝くのを見ると、何かほっとします。

 今年はホタルの羽化率がことのほか悪く、この所孵化してきた幼虫の数も大変少ないのは残念ですが、狭い庭の中でも様子を見ていると、何か虫の発生が例年より少ないように感じられます。

 最初に気が付いたのは、矮生の百日紅が芽吹いた時です。若芽が10㎝位に伸びてくると例年は黒くて極く小さい甲虫のような虫が、芽の先端を噛んで樹液を吸います。芽の先端は若葉が黒くなって枯れるのです。

 毎年気を付けていてもやられるこの虫は今年は皆無で、百日紅の芽はみんな順調に伸び、雨の中で花をつけ始めていました。

 豊後梅につくアブラムシ(アリマキ)も今年は殆どつきません。チューリップの後に植えた胡瓜の雌花が受粉できずに萎んだのもいつかありました。そんなことは例年ないので、人工授粉など考えもしませんでした。

 そのお陰でしょうか、あちこちに出てきた大葉(青紫蘇)の葉が、あまり虫に食われないのです。
 無傷の大葉がいくらでも取れるので、30枚ぐらい纏めて取ってきて、洗って重ね、ぐるぐる巻いて3㎜幅位に刻み、刻んだのに縦にも包丁を入れて、大葉の細かい短冊が沢山出来ます。これは、どんな料理でも添え物になります。

 ネットで調べると、ビタミンAが豊富で、喉、鼻の粘膜の強化、自己免疫にも役に立つなどと書いてあるので、新型コロナ対策にもなりそうだと喜んでいるところです。

 陽が出て来るとあ赤くなるのが、胡瓜の隣に植えたミニトマト、それに猩々草の先端の葉の付け根の部分です。
 これも写真を載せます。こんな様子を見ていますと、しばしコロナを忘れます。

赤くなった猩々草の葉


収穫したミニトマト


雨に咲く花たち

2020年07月04日 14時16分07秒 | 環境
雨に咲く花たち
 今朝からTVで見る熊本の水害には、本当に心が痛みます。
 「こんなことは今までなかった」という現地の人の言葉は、気候変動の現実を実感させます。
 たまたま東京都下国分寺辺りは、いまは平穏というだけの事なのでしょう。
 国民の生命と財産の安全のためには、先ず国土の徹底した強靭化が必要のようです。

 新型コロナがあっても、風雨が多少強くても、平穏に暮らせる今に感謝するだけです。

 狭い庭ですが、季節はその時の表情を見せてくれます。

 「のうぜんかずら」咲き始めました。


 「あじさい」は小ぶりの玉になりましたが、次々咲いてくれています。


 「アガパンサス」は咲きそろい、今が盛りです。


 これは花ではありませんが、「半夏生」は白い葉が綺麗です。


 チューリップ花壇のあとでは、そろそろ、茄子、胡瓜、トマトの収穫が始まるところです。(アガパンサスの後ろ)

ホタルの光をお届けします

2020年06月10日 16時48分16秒 | 環境
ホタルの光をお届けします
 5月の23日に「我が家の庭はホタルのシーズンです」と書いてから大分経ってしまいましましたが、ゲンジボタルの羽化が今年は遅くてやっと6月に入って始まりました。
まだ1日に1匹か2匹の羽化ですので、これから本格化と思っていますが、先ずは写真が撮れたのでご紹介することにしました。







 この所毎晩、8時過ぎになりますと、玄関の電気を消してU字溝の周辺を暗くし、ホタルが羽化しているかどうか探しに行きます。カンゾウやセージ、アガパンサス、ホトトギス、ドクダミなどが伸び放題になっているところを少しずつかき分けながら「ほわー」と光るゲンジボタルを発見して、とまっている草を下からちぎり、そーっと籠の中に入れます。
 巧く行く時と、ホタルが下の地面に落ちてしまったり、ふわっと飛んでオオムラサキの枝にとまったりして大変なこともありますが、何とか確保して、籠に入れています。

 籠は、U字溝の上に置いてあって、ホタルは下に水があると安心するのかよく光ってくれます。
 メスの方が大型で、おしりの光の帯は1本、オスはしっぽの先の3角になった部分も光ります。

 籠の上の方に舞い上がって動き回るのはオスで、メスは下の産卵用のミズゴケのあたりであまり動きません。
 したがって写真に写っているのは多分オスが多いと思います。

 「蛍がいます」と書いて貼っておきますから、通りがかりの人も覗いていきます。来週あたりが最盛期で1晩に5~7匹ぐらい羽化することもありますので、親子連れで見に来られて、捕まえるのを手伝ってくれる方もおられます。

 6月末からは、ヘイケボタルの時期になりますが、これから7月初めまで、「わが家庭ののホタルの季節」です。