Altered Notes

Something New.

マスコミ報道は常に事実を捻じ曲げる

2019-09-23 18:25:00 | 社会・政治
あいちトリエンナーレの「表現の不自由展 その後」の展示中止について共同通信は20日、河村名古屋市長が大村愛知県知事に展示作品についての「芸術性」について質問状を送ったという記事を掲載した。

河村氏「少女像、芸術性説明を」県知事に質問状、謝罪要求

大村知事が自己保身の気持ちから悪意ある決めつけをしているのはともかく、記事としては特に問題はなさそうに見える。だが、実はここに大きな情報操作・印象操作が潜んでおり、共同通信は事実を矮小化して伝えようとしているのである。

普通に読むと記事の趣旨は元慰安婦像を象徴した「平和の少女像」について河村市長が大村県知事にその芸術性について質問した、という形に読み取れる。

だがしかし・・・。
本当は違うのである。
実際の公開質問状ではそうは書かれていないのだ。

実際の公開質問状では少女像よりもむしろ「昭和天皇の御真影を燃やして踏みつけて顔を損壊させる映像」の事を大問題として最初に挙げており、これの芸術性を説明せよ、と言っているのだ。

昭和天皇の顔を焼いて損壊するのは余りにもショッキングである。芸術性ところか、人としてのまともな心理状態すら破壊しかねないほどのインパクトが有る。なぜなら「人の顔写真を焼いて踏みつける行為」は深層心理学的には「象徴的な殺人行為」に相当するからである。もしもこの展示物をまともに報道してしまったら一般国民は「表現の不自由展」とそれを主催した人々を悪しき勢力として認識し憤りの感情を持つだろう。それよりも「少女像(慰安婦像)」の事だけ報じていれば問題の本質は日韓問題にあり、それが全てであるかのような誤解を読者に与えられるのだ。そして慰安婦像を問題と指摘する河村市長をそれとなく悪者にして大村知事の方を韓国にやさしい善なる人物として描こうとしているのは間違いないだろう。

そしてこれは共同通信だけでなく、日本のほとんどのマスコミがこの姿勢この方向で報道しているのである。

繰り返すが、河村市長は「昭和天皇の写真を燃やして踏みつける映像」について、これの圧倒的な非人間性について最も大きな問題として質問状で提起しているのである。それを共同通信の記事ではあくまで「少女像について質問している」という形に事実を矮小化して伝えているのだ。そうして問題の矮小化とある種のテーマのすり替えを記事で行っているのである。


そもそもその国の元首の顔写真を燃やして踏みつけるような行為をして無事でいられる国は日本以外にこの地球上にはないだろう。本来はあり得ないことだ。

表現の自由について「無制限だ」と大村知事は言っている。河村市長は「無制限ではない」と言っている。表現の自由という崇高な理念を実現するには人としての節度と常識、そして責任が必要であることは言うまでもない。

報道機関としてはそこをきちんと理解できるように伝えるべきであるはずなのに、日本マスコミの報道は単純に「大村知事が善、河村市長が悪」という図式に持っていこうとする。だから嫌らしくひん曲がった報道ばかりになるのである。

表現の不自由展で津田大介氏や実行委員会がやりたかったのは「芸術の展示」ではなく「左派政治勢力のプロパガンダ」であったであろうことは諸々の状況証拠の数々から明らかと言える。彼らはこれを公費を使って公的な場所でこそこそやろうとしたのだ。そして日本のマスコミはこうした「本当の事」「真実」を一切伝えようとしない。

これが日本の報道の実態である。真実を正しく報じるメディアがほぼ無い現実に幻滅するところだ。