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左翼が「芸術」を隠れ蓑に使う理由

2021-07-21 21:07:07 | 社会・政治
前回の記事(「左翼の道具としての”芸術” 不気味な巨大顔に思う」)にも関係する内容を記す。

左翼勢力がそのプロパガンダを一般国民に広めようとする時に「芸術」という衣(ころも)をまとうケースが目立ってきている。あいちトリエンナーレ・表現の不自由展で昭和天皇の写真を燃やして足で踏みつけるという極めて無礼で気色悪い展示をしたり、大東亜戦争の英霊達を侮辱するオブジェを展示する凶悪なマインドに見られるように、その展示物は言うまでもなく「芸術」ではない。主催者達は極左勢力のプロパガンダをやっているのである。左翼思想や左翼的な価値観を一般人にアピールするべく「芸術」を隠れ蓑にしているのである。

前回記事で扱った代々木公園上の巨大顔の気球も同様のケースであろう。プロパガンダそのものではないにしても、人々に不安と恐怖を与えるその無神経で悪趣味な展示はあいちトリエンナーレ・表現の不自由展の悪趣味に通底するものがある。巨大顔のモチーフが若き日の毛沢東主席(中華人民共和国の建国者)を思わせるのも左翼ならではのモチーフ、と考えれば納得いくものがあるのだ。

そして、あいちトリエンナーレも先日の巨大顔もどちらも見る者に「生理的な不快感」「根源的な恐怖」「不安感」「憤り」などを喚起させるところが共通しているのである。このあたりは深層心理学的に探ると左派系の人々に通底する普遍的無意識層のパターンが見つかりそうな話である。


左翼思想を持つ人が芸術の衣をまとって一般人にアピールしているのは、上述のように左翼のプロパガンダであることをストレートに出さずに一般国民の懐に忍び込もうとしているからであろう。一種の騙しである。ストレートにアピールできない理由は「左翼のいかがわしさ」を内包しているから、という理由の他に、「現代に於いては左翼思想が理論的な支柱を失っているので論理で訴求することができない」という事情も関係していると推測される。

この辺の事情を経済学者で大学教授の高橋洋一氏に依る解説をひとつの参考にしつつ記していきたい。


そもそも芸術家や文化系の人は人の感性に訴求する手法を用いる事が多い…というか、それがほとんどである。左翼思想のアピールにはロジカルな手段よりも感性に訴える手法が採用される場合が多い。

遠い昔ならカール・マルクスに依る左翼思想の理論的な基礎と呼べるものが存在したのだが、1991年にソビエト連邦が崩壊したことで、左翼理論も完璧に崩れてしまったのである。それまでは体制間競争として資本主義と共産主義がしのぎを削る競争をしていたのだ。資本主義も決して完全ではなく、まぁまぁ酷い制度ではあるが、それでも「共産主義よりは遥かにマシだよね」、という認識が支配的だったのだ。結果として、ソ連崩壊によって共産主義は全て駄目、ということになって左翼の理論的な部分が崩壊してしまったのである。


それで、共産主義は事実上、感性でしか理解できないものとなってしまった。前述のように理論が崩れてしまったので、ロジカルに訴求することができなくなったのである。それで感性の分野でしか訴求できなくなった、ということだ。

ソ連の崩壊によって共産主義を信奉する人々は目先の目標目的を見失った。理論も失われた。それでどうしたかといえば、感性の分野で少し残ったのが、環境系・LGBT・人権系といった分野である。

感性の世界に関心が無い人々からすれば、「左翼の人はどうして現実世界で既に否定された話を未だに信じているのか?」という至極真っ当な疑問を持つだろう。だが、感性の人々は「べき論」的な考えを持つことが多いので、実はこの思想だけで生き残れるのである。従って左翼は感性を中心に据える芸術家や文化系に共感を呼ぶ事が多いのではないか、と推測されるのだ。言っちゃ悪いが、現実を見ずに空理空論を並べ立てるような人々のこと、なのである。


そして、これは現実をしっかり見て把握してロジカルな考え方をする人々の立ち位置とは完全に異なる事は言うまでもない。例えば、高橋氏のように理科系から来ている人間にとっては、

「理論が正しいか否か」

というのは、

「現実が説明できるか否か」

で決まってしまうものである。

そう考えると、左翼には現実がないので理論もない、ということになる。全て否定されてしまっているからである。

こうして理論を失った左翼勢力は、芸術や文化系の人々によって思想や感性の分野で生き延びることになる。そうした人々に残されたのは「環境」「LGBT」「人権」くらいなのである。

冒頭に述べたあいちトリエンナーレ・表現の不自由展のような極端な表現に走るのも感性の奥、袋小路の突き当りまで行ってしまうとそうなってしまうのだろう。敢えて極端にやらないと自分たちの存在意義も見失ってしまう恐怖感があるのではないだろうか。

LGBTで騒いでいる人々も徐々に極端化の方向にあるようだ。オリンピックで元男性の女性が「いや、トランスジェンダーだから」と言って重量挙げに出場してくると、もう訳がわからない領域に入ってくる。元男性が普通に女性として扱われたら、筋力勝負においては元々女性の人は勝負にならないのは言うまでもない。やることが極端化・先鋭化しているのだ。

環境系の過激派で有名なシーシェパードもそうである。共産主義崩壊の後、左翼系の人々は生き場所を見失って大変だった。そうした人々が環境系に流れて暴力的な活動に身を投じているのである。そもそも左翼系の人々は暴れるのが好きである。これは世界中の左翼活動を見れば一目瞭然だ。昨年の米大統領選挙の時も左翼勢力の暴力は凄まじかった。そして昔から左翼の中では内ゲバ(内部ゲバルト)が凄いのだ。いつも最後には暴力をふるう事になって最終的に殺人まで行ってしまう…それが左翼、極左活動家の習性なのである。

ロジカルな世界ではなく、感性の領域だけで生きていると価値観の異なる人間の存在が許せないと感じてくるようで、それが左翼勢力の特徴となっている。
そうした精神的な傾向は筆者の以前の記事にも記している。参照されたい。↓

「左派系の人々に共通する人格」

そもそも左翼勢力を構成する人々は自分たちと異なる意見が存在すること自体が許せないのだ。今の中国と同じである。ひたすら共産党と習近平主席を崇め奉る人間だけが生き延びられる。そうでない奴は一切許さない…そういう硬直化した姿勢であり、その原点は「異論は認めない」という態度だ。その姿勢が高じて最終的には内ゲバで相手を殺すところまで行ってしまうのである。存在の全否定だ。共産主義国でしばしば大量虐殺が起きる現象には左翼人のこうした傾向が源流として存在しているのではないだろうか。


筆者も昔は左翼的なスタンスを持っていた。だが、今思うと、それは無知故に夢を見ているような幼稚なものであったと考えている。一種のドリーマーだった、ということ。だが、幼い頃からマスメディアが常に日本を悪者にして報道する自虐的な姿勢に薄々疑問を感じていた事や、左派系がおしなべて日本を貶めようとする姿勢への疑問は、知識・情報を学ぶことで確信に変わっていったのであった。どう考えても左翼勢力が主張する内容では日本という国は良くならず、逆にやがて崩壊する方向に向かうであろうことが容易に想像できるようになる。それは必然の帰結であった。


最近になってあいちトリエンナーレ・表現の不自由展は大阪で展示会を実施した。政治活動家でアメリカなど海外での取材経験も豊富な我那覇真子氏がこの表現の不自由展を訪れたところ、なんと入場を拒否されたという事である。表現の不自由展公式ページには『「観客の知る自由」も表現の自由の中に入る』と記されている。(*1)それにも関わらず、特定の人間には入場させないという客の選別・差別を平然と行う表現の不自由展。正に”表現の不自由”を自ら体現することで大きな矛盾を露呈させたのであった。

これが左翼の実態であり実情だ。都合の悪いことは理屈もすっ飛ばして否定に走る。そして異論反論は認めない…まるで中国共産党のやり方と同じである。このように左翼勢力は非論理的で独善的かつ感情的で一方的である。そうした理の通らない滅茶苦茶な実態を隠すために「崇高な芸術」という隠れ蓑が必要だったのであろう。これはすこぶる都合の良い隠れ蓑であり、一種のアンタッチャブルな扱いをされる為のイージーなツールと言えよう。「芸術だ」「表現の自由だ」と言えば無理を突き通すことができると思っているのだろう。このような人々・勢力に日本を好き勝手にいじられたら、たちまち国家が瓦解に向かうであろうことは想像に難くない。(*2) 実にとんでもないことなのである。




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(*1)
表現の不自由展の公式ページには次のような文章が掲載されている。
『つまり、「表現の自由」とは、表現する者の自由、観客の知る自由、そして、作品と観客、観客と観客、作家と観客の「表現の伝達と交流の場」の実現を含むということである』
こうして堂々たる大見得を切っておきながら実態は「彼らにとって都合が悪い人には見せない」という子供のような狭量な態度を露呈したのである。自ら宣言した「観客の知る自由」とは相容れない矛盾した態度を彼らは示すのだ。全然筋が通っていない。これが左翼の”実態であり程度”なのだ。

(*2)
現実に2009-2012年の民主党政権は正に悪夢の時代であった。現在の立憲民主党などを見ていると、あの時に民主党政権が続かなくて本当に良かったと思うところである。



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