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自然紀行番組のあり方 NHKの酷さ  

2024-03-28 17:17:00 | 放送
自然紀行を扱う番組はNHKに多いが、そのほとんどが視聴に値しないと考えている。その理由は、やたらにスタッフが登場したがること。きちんとした意味と目的があって特定のスタッフが登場するのなら構わない。だが、NHKの場合、例えば「グレートネイチャー」など各種の自然紀行番組では意味もなくスタッフ、ディレクター等が出演している。場合によっては取材冒頭の自動車から降りてくるシーンからディレクターが登場したりする。ディレクターの降車シーンなど何の為に必要なのだろうか。自然紀行番組は地球の自然を深く分かりやすく映像として残し解説するところに意味がある。スタッフ、ディレクターの顔や姿など見たくもないのである。それ以前に不自然で違和感が大きい。

さらに、例えば「このシーンを撮影するのに、こんなに工夫し苦労したんですよ」と言いたげな撮影の苦労話をさり気なく入れてきたりする。阿呆か、と。番組は自然紀行がテーマであって、撮影の技術等は関係ない。誰も苦労話など求めていないのだ。これぞ厚顔無恥。それでも故意にそんな話を入れていくるのはNHK職員の意識が尊大に(自意識過剰)になり過ぎているからなのではないか、とすら思うのである。しかも精神年齢が幼い。褒めてほしいのだ。結局のところ、膨れ上がる受信料収入があるので、番組はスタッフ総出で取材と称した観光旅行のつもりで撮影しているのではないか、とすら考えられる。前出のディレクターの降車シーンなど、「皆様の受信料のおかげで僕ら贅沢旅行させてもらってます」と言いたげに見えてしまう。筆者も「あまりに酷い」と思ってスタッフが登場する自然紀行番組は一切見なくなったのは言うまでもない。見苦しいからである。

イギリスBBCにはNHKとは対極的な番組がある。動物学者・植物学者で自然番組制作者のデビッド・アッテンボロー氏が作る番組などはその典型と言ってもいいだろう。彼の自然紀行番組はアッテンボロー氏自身は登場するが、それは番組の大切な語り部としての意味があるからだ。他のスタッフやディレクターは一切登場しない。アッテンボロー氏の自然紀行番組には「いったいどうやって撮影したのか?」と不思議に思わせる驚異の映像も出てくるが、彼らはそれを「これはこんなに苦労して撮ったんですよ」などと自慢したりしない。そんなの必要ないからだ。そこで大事なことは「こんな苦労をしたこと」ではなく、「自然のあり方の真実」を視聴者に見せること・感じさせることが第一であり、それが全てと言っても過言ではないからだ。

NHKは有り余る受信料収入をどう使ったら良いのかわからなくなっているのではないだろうか。意味もなく番組画面に登場するのは自然紀行番組のスタッフやディレクターだけではない。アナウンサーや、キャスティングされた芸能人、などが、旅行やグルメを堪能したりする内容は結構増えている。もちろんその中にはスタッフが番組制作過程と見せかけて、実はレジャーを楽しみ遊ぶ番組が増えているのも事実だ。

その一方で、NHKは「BSニュース」を今年度で終了する、と発表した。そもそもNHKの報道は偏向しており、左翼のプロパガンダが含まれているものも多く、視聴に値しないものではあるが、しかしあからさまに「報道をやめます」、と開き直っているのはいよいよ腐敗がNHK全体に広がってもはや修復不能なほどゴミ化している実態を表しているのかもしれない・・・。トップから末端迄ゴミ。こうした実態のどこが「皆様のNHK」なのであろうか。実態は有り余る受信料収入で「職員や下請け制作会社関係者が贅沢を享受するNHK」と化しているのが実情なのだ。こんな放送局に受信料を払う意味(と価値)がいったいどこにあるのだろうか?


また、「NHK~」と言っているが、「出たがりディレクター」「出たがりスタッフ」については民放も同じだ。タレントでもない彼らは芸能人が一般人を見下すときに言う「素人」そのものである。誰がそんな連中を見たがるのか?ディレクター特権で映像に映ったところで、それを喜ぶのは本人と家族くらいだろう。それ自体がまさに彼らが馬鹿にする「素人」のやることだ。画面に自分が映って、それで彼らは満足するのだろうか。実に阿呆らしいことである。どこの局も等しく腐敗と劣化が進んでおり、テレビの終焉も近いことを感じさせるものである。





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