Altered Notes

Something New.

芸人が理解できてないブラックユーモア

2021-07-26 16:16:36 | 社会・政治
7月22日に、過去にユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)を扱ったコントをしたとして東京オリンピック・パラリンピック開閉会式でのショーディレクターを解任された小林賢太郎氏の一件に関連して芸人の土田晃之氏が下記のような発言をしている。


「土田晃之 小林賢太郎氏のネタ否定も「若手の時のネタなんて出されたら」と恐怖感」


土田氏の発言要旨は次の2つ。

1.過去の発言やネタ内容の評価をされたら自分たちも安閑としていられない。

2.現在は問題となるネタも昔は看過されていた。それは教育が追いついていなかったせい。


1.の件は、そもそも芸人の人間としての質の問題にも関係する。上岡龍太郎氏が言う「基本的に芸人はクズである」という認識に立つならば、倫理的にも道義的にも問題となるようなテーマを彼らはそれと認識できずに軽率に扱ってしまう。その理由は人間的な未熟さと思い上がりにある。テーマが内包する重い事実や思想的な価値を認識すらできずに面白半分にふざけて取り扱ってしまうのが彼らである。

2.の件は、土田氏だけでなく芸人達の聞き苦しい言い訳にも聞こえる。「当時の教育が追いついていなかった」というのは「時代のせいだ」と責任を丸投げしているのと同じだ。この土田氏というのは、彼ら芸人にとって都合が悪い事実を突きつけられるとすぐに言い訳して逃げようとする傾向が強いような印象があって見苦しいし不愉快でもある。(*1)


実は、2.の問題は難しい本質が絡むものなのでもう少し掘り下げて記しておく。


「笑い」「ユーモア」、特に「ブラック・ユーモア」の類は、それを発信する側と受信する側が共通の価値観を持っていることが重要であり、その場合に限って「笑い」として成立するのである。

どういうことか。

前提として、そのネタの発信側と受信側が共にきちんとした常識を備えていて礼儀も弁えている成熟した人間であることが必要である。そのブラックユーモアの”ブラック”な部分について適切な価値判断ができる事が必要なのだ。(*2)

そうした前提が存在した上で、その人々だけの閉じた空間で供される(演じられる/発信される)事が必須なのである。その理由は前述の前提条件が満たされない人が見聞きしてしまった場合に、そのネタを発信側の意図通りに受け取れないが故に”社会問題化”してしまうからである。

ブラックユーモアが計算通りに成立するには発信者側と受信者側双方が成熟した人間であり、ブラックな部分についての正しい価値判断ができることが必要なのである。従って、それは決して一般社会に向けて発信されてはならないのである。ネタを正しく受け取れない人々が問題化して騒ぎ立てる流れは本来的な意味でナンセンスだからだ。

ブラックユーモアにはネタとしての普遍性は「無い」。そもそも「無い」。無いから受け取る人を選んでいるのだ。普遍性が無いが故に広く世間一般に向けて発信することは適切とは言えないのである。



昨今の芸人たちはしきりに「最近は(周囲から色々言われるので)やりにくい」とボヤくのだが、当たり前だ。普遍性の無いネタを世間一般広範囲にバラ撒くから、だから必然的に問題が起きるのだ。芸人がクズである理由の一つは、「自分が仕事や生活の中で見出した経験や価値観が世の中一般全体に通用する(共通する)」と無意識的に思い込んでいるところである。ここが阿呆である。世間一般には色々なレベル、様々なタイプの人間が存在する。しかも昔の日本(少なくとも昭和の時代)とは違って価値観は多様化しているので、一つのネタに普遍性(普遍的価値)を持たせられると考える事が難しい。


ちなみに「価値観の多様化」は左翼勢力が好んで推し進めてきたムーブメント(*3)に依る一つの結果でもある。左派系の人間が多い芸人の世界だが、正に彼らの先達が彼ら自身の首を絞めるようなムーブメントを推し進めてきたのであって、皮肉なものと言えよう。残念!(蔑笑)



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(*1)
他分野には厳しいが、芸人には甘い。正に「芸人はクズ」を地で行く実態である。この程度の人物が番組でコメンテーターとして偉そうに宣っているのである。(蔑笑)テレビの”程度”とはこんなものなのだ。

(*2)
例えば、ホロコーストが「絶対的な悪」であることをきちんと認識できている人同士でなければ、それをブラックユーモアとして成立させ笑う事は不可能である。逆に日本人ならば、西洋人が面白半分に「原爆」を扱ったブラックユーモアを演じたりすると不愉快に思う人がほとんどであるが、この場合の西洋人が「原爆」についてきちんとした認識を持っていないが故に、発信側の西洋人と受信側の日本人の間に一緒の価値観が共有されていないから、だから不愉快に感じるのだ。ブラックユーモアがブラックユーモアとして成立しない典型的なケースである。

(*3)
日本人社会を分断させる目的を持つ左派勢力は常にこのような社会的価値観の統一性を破壊する動きを見せている。それは現代でも変わっていない。