Altered Notes

Something New.

忌避される男性 女尊男卑の現実

2019-12-06 20:02:01 | 社会・政治
読売新聞で連載されている歌人・穂村弘氏のエッセイ「蛸足ノート」に現代を映し出す興味深い話があった。

穂村弘氏が電車内で座っているとなぜか隣の席が最後まで空いているという悩みを打ち明けている。

最初はゆったり座れてラッキーだと思った穂村氏。しかしあまりにも誰も座らないのでショックを受けたとか。足を広げて座っているでもなく服装も普通、変な匂いが出ている訳でもないのに隣りに座ってもらえないため穂村氏は隣に座らなかった人に「なぜ私の隣ではなくそちらに座ったのか?」と尋ねたくなる気持ちにかられる、とのことである。

実はこうした事例は非常に多い。社会のそこかしこにある。殆どの場合は
「男性の隣が空いていても女性はそこには座らない(忌避する)」
というパターンである。

なぜそうなるのか。

現代はマスメディアによって女尊男卑の思想が隅々まで行き渡っており、男性が「男性である」というだけで嫌われる時代なのである。女性一般は男性一般に対して始めから警戒心を持っており、しかも女性側から「気持ち悪い」「気色悪い」認定されたら完全に不審者扱いとなり排除対象者となる。いわば人間失格を宣告されたようなものである。(*1)

電車の座席において一般女性の通常よくあるケースは、ただでさえ男性が嫌いで警戒しているのに、さらにその女性から見て「気持ち悪い」「怪しい」認定されたら女性はそこ(男性の隣)には絶対に座らない。他の座席を探すか立ったままである。そして女性はそうした「男性を忌避する行動」をあからさまにとる。男性に『対して失礼になっても知らん顔だ。しかも「気持ち悪い」認定は女性の恣意によるものであるから男性側の異議申し立てなどあり得ない。申し立てた瞬間に通報されて官憲が介入する事態となるだろう。笑い話ではない。本当に起きかねない現実なのである。

少し毛色の異なるケースもある。これはフリーアナの大橋未歩さんの事例である。大橋さんは空いている座席の隣が格好良い人(イケメン)だったら逆に「座らない」と言う。その理由は自分のイケてない面を見られたら嫌だから、という「イケメンに好かれたい気持ち」(*2)を前提とした発言をしている。そして空いている座席の隣が非イケメンなら遠慮なく座るそうだ。一切気を遣う必要がないからだ。前述のパターンとはやや異なるが、イケメンが女性にとって特別扱いであることと、イケメン以外の一般男性に抱く嫌悪感は当然のように持っているところは女尊男卑の思想がすっかり定着している現代社会を映し出している事例と言えるだろう。

現代はこうした女尊男卑の発言が平然と公共の電波で流されるほど男性受難が普通であり日常になった時代なのである。(*3)

女性から見ればイケてない男性など生きる価値もない虫けらのような存在なのだろう。「イケメン以外は死ねばいいのに」くらいに女性たちは普通に考えているのであり、これが紛れもない現実なのである。そして、こうした風潮を作りだして煽ってきたのはテレビや出版等のマスメディアなのだ。

こうして男たちはますます居場所がなくなってゆき、社会は行き詰まってゆくのである。




------------



(*1)
もちろん「イケメンは別」である。そこに座っているのがイケメンなら女性はむしろ進んでイケメンの隣に座る。

(*2)
評論家の岡田斗司夫氏によれば、「イケメンを好きな女性」は「巨乳好きな男性」と同じ、だそうで、女性のクズさ加減を現すメルクマールである、という趣旨の発言をしている。

(*3)
現代は女性が己の欲望を一切の躊躇なくストレートに出してくる時代である。この場合の欲望とは「男性はイケメンのみ存在してよし」「イケメン以外は近づくな/皆消えろ/排除しろ」であり、こうした欲望を男性の前で平然と言動や行動で出してくるのが現代の女性なのである。


------------


<2021年1月5日:追記>
参考記事
41歳元保育士男性が語る「罰ゲームのような人生」の要因