Altered Notes

Something New.

WRCとジャズの共通項

2018-11-23 04:11:50 | 音楽
今年(2018年)のWRC(世界ラリー選手権/World Rally Championship)は先日のラリー・オーストラリアで幕を閉じた。年間チャンピオンはMスポーツ・フォードのセバスチャン・オジェだったが、先月のラリー・エスパーニャ(*1)ではスポット参戦したセバスチャン・ローブ(シトロエン)が優勝をかっさらっていくという痛快な出来事があった。ローブは過去に9年連続年間優勝したリビング・レジェンドだ。WRCは6年のブランクがあったにも関わらず、優勝したのは流石である。

さて、ここで書きたいのはWRCの解説ではない。
WRCの国際映像を見ているとジャズ演奏との共通性が見えてくるので、それについて記したい。

WRCはご存知の通り、一般道を市販車をベースに強化されたレースカーが疾走してタイムを競うものだが、その一般道はたいてい幅員が狭小な田舎道が多く、そこを時に200Km近いスピードで駆け抜けていくのである。
道路そのものには大きく2つあり、グラベル(未舗装の道路)とターマック(舗装された道路)である。グラベルとターマックではドライビングの感覚も相当異なる上に各々に合った技術で運転することが必要になる。さらに天候によっても路面コンディションは相当変わってくるので困難の度合いが増す。雨で濡れたターマックなどは意外にグラベルよりもグリップが下がるので難しいようである。

幅員が狭小な道路と書いたが、そこを200Km近い速度で走行する為にはドライビングに対して意識を相当集中させなくてはならない。道路は直線だけでなくカーブも多いし、路肩部分が土になっている場所や硬いガードレールや石でできた壁面だったりもする。そのような所を高速で走行するにはハンドリングやアクセル・ブレーキ等々の操作に精神を集中し、コースアウトや周囲の壁面への車体のヒットを避けながら進行する必要がある。下手にコースアウトしてディッチと呼ばれる窪地に嵌ったりすると容易に抜け出せなくなる場合もあるし、断崖部分の道を走行している時にコースアウトすると崖を転がり落ちて致命的な状況になる可能性もある。相当に難しいコントロールが瞬間瞬間に要求されるのである。

ジャズにおけるアドリブ演奏も同様で、曲の進行に対して常に神経を集中して何をどのように展開するかを瞬間瞬間に判断しながら演奏を進めてゆくのである。言葉で書くと簡単そうだが、何をどのように演奏するかをその場で決めて実際に音楽的なサウンドとして提示することは精神的にハードであり、いわば「命を削るようなもの」とも言い表せるし相当のエネルギーを要するものなのだ。

ジャズの即興演奏というのは何をやっても良い自由があるのだが、その代りその演奏は「良いもの」でなければならない。これは大変なことであるし、これができる人がプロのジャズ演奏家になれるのである。上述のように曲の展開に際してその瞬間に良いものを見つけ出して、同時に音楽として提示しなくてはならない。これを曲の最初から終わりまで、ステージの最初から終わりまで、明日のステージも来週のステージも来月のステージも同様の水準で演奏してみせなくてはならない。それができてプロである。

WRCも同様で、狭小な幅員の道路を高速で安全に飛ばすには瞬間瞬間の判断と操作が肝心であり、ステージの最初から最後までその判断と運転操作がいまくいって初めて無事にゴールできるのである。ドライバーの精神的な集中には相当なエネルギーが必要となるだろうことは容易に想像できる。しかもただ単に集中するだけでは疲労する一方であって良くない。狭小で難しいコースをうまく切り抜けられるドライバーはその状況を「楽しむ」のである。人間は楽しむことができれば多少疲れても大したダメージは受けない。楽しめれば精神的にリラックスもできる。リラックスして楽しむと同時に緊張して集中しているのだ。矛盾するような2つの状況が同時に成立しているのである。

これはジャズのアドリブ演奏が非常にうまくいっている時の精神状態とほぼ同じであることが興味深い。ジャズ演奏でも真に良い演奏が出来ている状況では「リラックスと緊張」という本来相反するものが同時に成立するのであり、音楽においてはそれを「スイングしている」とか「グルーブしている」などと表現する。

WRCのドライビングもジャズのアドリブ演奏も実行中は”じっくり考えている”暇はない。考えた時には既にそれを実行(ドライブ操作 OR アドリブ演奏)している。それくらい切迫した状況下でパフォーマンスしているのがWRCでありジャズ演奏である。

この状態をさらに別の言葉で表すと、一種の「躁状態」とも言えるかもしれない。例えば参加している祭りが最高潮を迎えた時の祭事参加者の精神状態にも似ているかもしれない。躁状態でありながら、その状態を自分で制御できているのだ。それはある種の「悦楽」を本人にもたらしているかもしれない。それが気持ち良い・心地よいから、だからジャズもWRCもまたやりたくなるのではないか、と想像されるところだ。そうして沼にはまってゆくのである。これが楽しいのだ。




------------


(*1)
ラリー・カタルーニャとも呼ばれる。