「セカイの空がみえるまち」
工藤純子著 くろのくろ画
【冬枯れのホームに匂う異国臭】哲露
久しぶりに読書の時間が持てた。
工藤純子氏の新刊を読む。
本を開く前に、仕事柄で表紙の装丁をまじまじと見てしまう。
まずタイトルに惹かれる。
セカイを、世界としないこと、みえるまちを、見える街としないことにこだわりを感じる。
カッコいいと思った。
絵もいい。
期待に急かされるまま、ようやく頁を捲る。
新大久保は、大好きなサムギョプサルの店があり、15年くらい前から通っている。
ここでも触れられているように、その間嫌な事件がいくつも起こった。
怪しさと活気、隠微と表層はいつでもどこでも同居する。
新宿歌舞伎町の隣町、多国籍が織りなす怪しさが人々を惹きつけて止まない。
韓国アイドル好きが高じて、異国の言葉を話して暮らす人がいる一方で、
安いナショナリズムを声高に踊る輩もいる。
今や抑圧され肥え太った巨大な怪物が、世界中で安易な道を選ぼうとしている。
もう目を瞑り、知らん顔をしている時は過ぎた。
現状と真実を知り、深く広く考えることが喫緊の課題だ。
そして本論に戻せば、小説を書く上で、無駄な文章を省くことは常に命題として存在する。
私が知る限り、作者の中でも傑出した文章が連なる。
それにしてもこの骨太のテーマによくぞ挑んだものだ。
読み終えて思ったのはまずそこ。
工藤氏の常時の言動を見ていれば判ってたはずなのに、改めてその潜在力に驚かされる。
丁寧な街の描写が物語をリアルにしている。
間違いなく現時点での彼女の代表作だろう。
主人公の高杉翔、藤崎空良の周辺の人々の魅力が満載だ。
物語の大きな流れの中の、それぞれの小さな物語が重いはずのお題を小説世界として見事に結実させている。
もっとこの世界を知りたい。
同人の工藤氏に書くことの大切さを教えられた。
ただ一つ、工藤さん、ひとみは三丁目の住人だと思ってたよ。
その当ては見事外れたが、このお話しに厚みを持たせた一番のキャラだと感心した。
やっぱり小説は最高のエンターテイメントだな。
そう思えたことが何よりも嬉しい。