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週刊浅草「江戸っ子瓦版」 -のんびりHiGH句な日々-

文学と食とRUNの日々を、PHOTO5・7・5で綴るエッセイ♪

走る少女!

2011年10月20日 | ☆文学のこと☆

                       

                                「走る少女」

                          著:佐野久子 画:杉田比呂美

                        岩崎書店  初刊:2007年2月15日

 同人誌「季節風」の幹部でいらっしゃる、佐野久子さんの作品である

 主人公の比呂は中学一年生。

 かつて中学生のときに陸上部に所属して、学校の伝説となった兄。その兄が比呂をバイクから救うため、一生走れない障害を負ってしまう。落ち込み、悩む比呂に対して、立ち直りと切り替えの早い兄の天真爛漫さがいい。その根底にはたくさんの葛藤はあるのだろう。それでも、起こったことを受け止め、忽然と前に進む強さに惹かれる。いつの世も、なにが待ち受けているか分からない。未曾有の大震災に見舞われることもある、今この時にも身に迫る題材でもあるのだ。

 兄はストラディヴァリというヴァイオリンを産んだ街、イタリアのクレモナ公立音楽学院へ留学していく。ほどなくして、イタリアから陸上用のシューズが送られてきた。それがきっかけとなり、比呂は兄と同じ陸上部に入る
 
 そこには、やはり幼い頃にオリンピック候補だった父を持つ季里子がいた。父と離れて暮らす季里子はやはり何かを抱えて生きている。そこに、面倒見のいい先輩である千秋、比呂が少しだけドキッと感じてしまう男の子、達也、妹にかまけている母のためつい意地悪な行動に出てしまうカオリなど一癖もふた癖もある部員たちとキャラクターは豊かで、万全だ。
 
 比呂は胸に抱えたものを走るときにだけは前面に出していく。仲間たちとぶつかりあい、悪戦苦闘しながら、100mそして400mリレーへと進んでいく。はたして、それぞれが抱えた思いは前に進めることができるのか。一番やっかいで、切なくて、やりきれない大人になる前の中途半端な時期。それを乗り越えたとき、人はいつしか人生でいちばん愛おしいと思えるものに変容した、かけがえのない青春の宝物を得ることができるのだろう。

 この兄貴のように達観した男になりたいもんだ

 それにしても、比呂って名前、絵を描かれた杉田さんの名と同名。関係あるのかいなや。いま頃気付いた
 
 その比呂や登場人物たちのひたむきに走る姿が、切ないほどエネルギッシュで爽やかな印象が心に残る作品である

               「秋穂ゆれ 走る気持ちを わすれない」
                                海光

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 佐野さん、季節風108号に掲載の拙文への評論、ありがとうございました

 筆者の表現したいものを怖いほどよくご洞察頂けているのだなあと、なによりもそれが嬉しい。

 先輩たちの作品を評するのは、気が引けて温めていたのだけど・・・

 一年前に書いた書評を掘り起こし、お礼方々、ブログに掲載させていただく。

 拙い評ですみませぬ。

 ヨチヨチですが、あっしも走り続けやす

 佐野さんのご健筆を祈りつつ。。



 2011年TOTAL RUN 1672.3km    10月20日現在  


永遠の旅人

2011年10月07日 | ☆文学のこと☆

                
  
 深川を散策中、仙台堀川の海辺橋を渡ったら、俳聖がさりげなくお座りになっていた。

 かの「奥の細道」の旅はここからはじまったのだ

 芭蕉庵を売り払い、この地に構える杉山杉風の採茶庵にしばし身を寄せて、長い旅路の支度をしたのだろう。

 当時の深川はベニスのような水の町。千住までは舟でいったそうな

 せっかくの聖地、この建物を木造建てにしたほうが情緒がでると思うなあ。

 堀川沿い、水辺の散歩道に旅先で詠んだ18の句が立てられている

 俳聖に見られて、僭越ですがいつもの一句。

 柔らかな秋虫の声を聴き、十三夜でも愛でながら、創作の進む季節を大切にしよう

           「旅行かば 夢追い果てに 何思ひ」
                             海光

                     


     2011年の目標達成まで残り15.7km、この週末には達成するつもり


2011年TOTAL RUN 1584.3km  10月7日現在          


樋口一葉のこと

2011年09月21日 | ☆文学のこと☆

                  

 9月30日(金)~12月25日(日)

 筆者の生誕の地に近い、台東区竜泉町の「樋口一葉記念館」の開館50周年イベントがある。

 「樋口一葉ゆかりの人々」と題した、記念特別展だ。

 会期中、一葉祭もある。

 若き頃、原文のたけくらべ、にごりえに挫折した苦い記憶がまだ新しい。

 だが、昨今時代物を書くようになって、江戸時代の息吹が、一葉女史の小説、文体を通して、新鮮で、往時が生々しく肉薄して感じられるようになった。

 今年は、三の酉。お酉さまの日も館は営業しているそうだから、この機会に明治の才女の功績と息遣いを感じてみてはいかがだろうか
 
            「龍泉の 月夜も過ぎる たけくらべ」
                           海光
 
 一葉記念館HP
 http://www.taitocity.net/taito/ichiyo/


伊東屋の原稿用紙

2011年09月12日 | ☆文学のこと☆

                                    

 旧い友人から、伊東屋の原稿用紙をもらった

  
 ITOYA
と云えば、銀座文具の老舗である。
 今回、同人誌に投稿した創作は当初原稿用紙に書き始めた

 思えば、はじめてである。

 
 やはり、慣れて便利とはいえ、キーボードを打つのと、ペンを持って書くのとでは、脳内スイッチが違うのではないかと思うのだ。


 例えて云うなら、直火で焚いた炊飯と、電子ジャーで炊いた炊飯の違いか。便利で美味しいと云われる十万円以上する電子ジャーでも、直火炊きには適わないはず。ジャーのご飯で十分だと云われればそれまでだが、こだわる方なら分かる違いだ

 たまには、直火の文章もいい。きっとアドレナリンやドーパミンが違うのだろう。
とはいえ、ようするに、中身がよければすべて良しなのだから、道具は使い様。

 

 初掲載の祝いにくれた友人の気持ちとセンスがうれしい

 原稿用紙に書いたことなど漏らしてもないのに・・

 
 同人誌というと一般的なイメージで、入会すると自動的に書いたものが掲載されると思っていたわけだが、わが季節風は大所帯で、毎号投稿作品の当選倍率が東京マラソン並み。

 
 丸々一年かかった。


 まずは、はじめの一歩。


 でも、どうやらこれで晴れて同人の一員になれた気がする


 ようやくスタートラインに立てたということだ。

 友人に報告すると、もつ焼き屋で乾杯しようと、用意してくれていた。


 原稿用紙の神様が囁くようだ、「これからだよ、本番は」


 プロットは出来ているが、いまいち筆が進まないのはどうしたことか。

 

 ありがとう、J。

 升目を埋めるべく精進を続けるよ



     「澄む秋の 天地に描く 筆いっぽん」
                      海光




2011年TOTAL RUN 1421.3km  9月12日現在


童話の力

2011年08月25日 | ☆文学のこと☆

                     
          
                            「白いガーベラ」
                                            今人舎 2011年8月1日第1刷
                         漆原智良 編纂、監修
                           
                            花言葉:希望

               「ひぐらしや さらばさらばと秋の風」
                              海光

  漆原氏が問う。

  あの大震災のあと・・・

  私たちに何ができるのでしょうか?

義援金を送りますか?

絵本を送りますか?

  読み聞かせにいきましょうか?

  そうだ!

  みんなで子どもやおとなのよろこぶ童話を書きましょう。

  希望の湧く童話を・・

  そうして、生まれた奇跡の8つの童話。笑いは希望


  漆原氏は呼び掛ける。

  さあ、童話で元気に立ち上がろう

  8人の作家と5人の画家が手を組んだ、ファンタジーと生活童話をご紹介



  「ぽにょりぽにょり」  文/内田麟太郎 絵/ひだかのり子

 タヌキのおじさんが次々といろんな動物やホニャララに遭遇するファンタジー。
 まんげつさんやいがくりさん、白いハコさんやウサギさん、はてはけむくじゃらの大男おばけと交流する不思議でおかしなお話。
 最後のセリフが秀逸。クスって笑えたら、キミはきっとよい子なのだ

 「わたしたち うんこ友だち?」  文/高橋秀雄 絵/岡本美子
 
学校でうんこしたくなったこと、あるよね~。でも、学校でうんこすると笑われるかも・・・そんな経験きっとあるはず。ヒナちゃんもそう。女の子だってそんな日もあるんだ。マキちゃんと友だちでよかったね、ヒナちゃん。
  年頃の繊細な男の子(かつての筆者も)にはある意味、女の子への幻想を打ち砕くお話
  このテーマでくるなんて、さすがに高橋さんだ。

 
ないても いいんだよ  /光丘真理 絵/岡本美子

  6歳のルコちゃん。祖父母と母と白ネコのタロウの4人と1ぴき家族。ある日、祖父と喧嘩したママと一緒に2人暮らしすることに。昨今云われて久しい食育を自然に心配するルコちゃん。おばあちゃんの手料理から出来合いの食事に・・でも、そこは親子、同じことを考えていた。
  さあ、ルコちゃんとママ、泣いた後に笑顔は見られるかな

    魔女の大なべ  /金治直美 絵/進藤かおる

 ひとりぼっちで暮らす魔女キニーネ。くすりを作るのが仕事。ある時いくら飲んでも治らない病をもらい、いい薬を作るためにひこうきと電車でニッポンの山奥の村にきた。うつくしい山、あたたかくやさしい風。ムカゴ、きのこ、とろろ和え、きんぴらきりぼしだいこん、ほうれんそうごま和え、手作りみそで作った芋煮で力が湧き、若返る魔女キニ。
  
ここは東北、魔女キニにとっても桃源郷だったんだね

    発車オーライ  /最上一平 絵/進藤かおる

  35年つとめた、バス会社を定年でやめる三五郎。最後の運転、廃線になる予定のバスに乗り込むと、いつもガラガラのバスにたくさんの人が乗ってきた。きつねのかんざし、きつねはな、きつねざか・・・35年間、お稲荷さんへお参りをつづけた奥さんが奇跡を起したのか。
   はたして、山に帰った乗客はきつねさんたちだったのでしょうか

  青空のランドセル  /高橋うらら 絵/ひだかのり子

   12組に入るつばさ。ぴかぴかのランドセルがうれしい。ところがランドセルがふたをぱたぱたとしゃべりだした。しょくにんのおじいちゃんがつくったランドセルはすごい。特別なんだ。つばさは「ドセル」と名付ける。新入した学校でひとりぼっちのつばさはドセルに助けられてばかり。ある日怒ったドセルに云われて、はじめて勇気を出してクラスの子に声をかけた。そしたらすぐに友達ができた。この一歩が大切なんだね。それを見たドセルは空を飛ぼうと挑戦する。さあどうなるか。なんてったって、つばさの名付けもおじいちゃんなんだから。お楽しみだ
  うららさん、秋の大会ではお手柔らかに・・

   浩太と子ねずみ  /深山さくら 絵/おのかつこ

  6つになった浩太。りんごの狩りが終わると、年の暮れまで父と母は出かせぎに出てしまう。浩太はじいちゃんと留守番だ。両親をみおくる浩太が泣いていると、子ねずみも鳴いていた。くしゅん。どうやら風邪をひいたようだが、りんごをかじって治ったみたい。雪の降る日に、じいちゃんが置いた新芽の枝でうさぎやねずみたちもうれしそう。りんごってすごいね。父ちゃん、母ちゃんももう少しで帰ってくる


 ぼくの頭はトサカがり  
/漆原智良 絵/山中桃子

  けさはべたなぎだ。台風でうごけなかった、ミドリ大島からのていき船がようやく届いたのだ。そんな折、主人公海くんの髪をとうちゃんがバリカンで刈ってくれた。ところがまるでにわとりのトサカのようになった。大ショックをうける海くん。唯一同じ二年生の空くんにも云われてしまった。台風のあとでモリをついたじいちゃんは大漁。そのたくましいじいちゃんにも山本先生にも「かっこいい頭だ」と云われまんざらでもない海くん。山本先生は云う、いまクニ(本州)じゃギンザでもはやりだよ。そうして島中みんなトサカ刈りになったとさ。
   想像したら思わずニヤっとしてしまった

 

音筆というIT機器を使うと、作家の声で読み聞かせができる本だという。

児童文学界初の試みも用意しているすごい童話集。

セーラー万年筆やウィズコーポレーションが提供してくれたそうだ。


  光の輪は広がるんだね。皆さんの行動力がすばらしい

   文字、絵、コミック、映像、音楽・・・

  創作人がもてる力を結集する動きがいまだやまない。

  こうした一連の流れは、一過性でなく、継続することが肝要なのだ。

  大好きな桑田さんも、病を乗り越えて、宮城で大々的なライブを決行するという。

  創り手のはしくれとして、筆者の微力でも役立つことがあれば、すぐにでも行動したい。

  いまは、あせらず、一歩ずつ進むしかないが・・


昭和の風

2011年08月05日 | ☆文学のこと☆

                     

                        「地をはう風のように」
 
                      高橋秀雄・著 森英二郎・画 
                      2011年4月25日初版 福音館書店

 高橋氏にしか書けない昭和の田園風景、じつに骨太の作品である。

 四季のそって章立てされた形は読みやすく、児童書としてとても好感を覚える。
 

 春:土色の風の中で

 土色の壁のように立ちはだかる冷たい風を、自分に見立てるシーンからはじまる。貧乏を卑下して生きるコウゾウ。荒ぶりもって行き場のない鬱屈を抱えるコウゾウのいらだちが伝わってくる。学校に、コウゾウを無視する担任藤岡に、キチガイとののしるのぼるに、勝弘に・・。
 日本が中産階級社会となる前の、昭和30年代の日本のあちこちで見られた話なのかもしれない。貧富の差が、子供たちが成長する過程に、どういう影響を与えているのか、考えさせられる。

  夏:ちがや咲く道

 本宅と呼ばれる、コウゾウ一家が世話になっている忠明さんの苗床を作業するくだり。遊びたい盛りのコウゾウが、まだ無邪気な弟と苗床植えを手伝う。筆者も知らなかった苗舟を背に、横たわる兄弟の画が美しくて、つい惹きこまれた。
 本宅の仕事を断ってまで、工事現場の飯場で働くことにした母キヌエ。淡々とコウゾウたちの暮らしが描かれていく。
 キヌエが泊り込みの飯場に早朝出ていく。
 「濡れっから、来んじゃね」キヌエがコウゾウを気遣ってどなるが、コウゾウは眠い目をこすって母を見送る。置いていくしかない親として気持ち、かつての子供として思いも伝わり、胸にじんと沁みた。

  秋:ぴちぴち、ちゃぷちゃぷ、らんらんらん

 この地方で行なわれていた慣習、葬式の際の花かごが興味深かった。死体が腐り、線香をどんなに焚いても悪臭をまく。そんなリアルな人の生き死にをきちんと表現しながら、児童文学に必要なコミカルさを失わないのはさすがだ。葬式の儀式で、花かごを揺らし歩くたびに、お金の包みが落ちる。コウゾウでなくても、子供ならワクワクする行事だろう。弟の稔は甘納豆くじを引き、月光仮面のメガネのためにがんばる。コウゾウは転校生文子の母へ祖母キヨが借りた金を返すため・・。
 はみ出しもののコウゾウだが、転校生の文子にだけは、本当の自分を、素のままみてほしいと思っていた。ある日の教室でかばってくれた文子と啓子。突然の帰りの雨に、文子に傘を渡し、里芋の葉をさして「ぴちぴち、ちゃぷちゃぷ・・」と歌って帰るコウゾウが微笑ましかった。

 冬:いなりずしの季節

 学芸会で「勧進帳 安宅の関」を演じることが決まった。主役格の義経は校長の息子で優等生修、弁慶は斉藤幸一。驚いたことに、四天王の一人、駿河次郎にコウゾウが選ばれた。大好きな吉田先生はきちっと子供たちを、コウゾウを見ていたのだ。一際暴れん坊の役はコウゾウにぴったりだろう、とあえて生徒に云う先生の優しさがうれしい。
 借りた金を返さないキヨの所業は、劇の衣装を買いにいった店の大人から思い知らされた。大人のくせに・・この言葉は、キヨだけでなく、すべての大人の行いに向けられた吐露であろう。小学生のコウゾウが悩み、してはいけない行動で返そうとする。そして、キヨは?・・・その葛藤が泥臭く巧みな筆致で書かれている。

 ふたたび春:オリオン座の星たち

 肺病とあらぬ噂を立てられ、コウゾウ一家が不穏に晒されている。しかし、とかく暗くなりがちな貧乏暮らしや回りの偏見は、コウゾウの持つ、少年が成長する力によって開かれていく。
 本宅の古い風呂をもらった。新しい風呂に入らせてもらえない悔しさもあるが、ようやく気を使ってもらい風呂をしなくてもよくなったんだ。キヨがぺこぺこする姿を見なくともいいのだ。忠雄さんと稔と運んだ風呂は屋根がかけた場所に設置された。おかげで星が見える。そう、ものは考えようなのだ。
 ラストにかけ、結婚を前に酔っ払った忠雄さんがいいことを云う。

  「あれがベテルギウスだ。よく覚えとげ」
 
 コウゾウの肩をがっしりと掴んで離さない忠雄さんの手に、明日への希望がみえた一瞬である。

 昨年の季節風で後藤さんに語りかけたように、間違いなく高橋秀雄氏の最高傑作のひとつであろう。

 とても、清々しい読後感を久しぶりに味わった。

 「どん底にこそ本物の幸せがある」と帯に銘打ってあるように、昭和30年代の栃木県今市の地に足をつけ、どっしりと踏ん張り生きてきた高橋氏ならではの真骨頂だ。

 日光はたびたび訪れてきた、浅草からは行きやすい避暑地。その隣の今市市の昭和30年代の話。

 これは子供にも読ませたいと思った

 恥ずかしいことを書け、とお会いするたびにおっしゃる氏の言葉通りの迫力で一気に読まされた。本物の児童文学とはなんぞや、ということをつくづく考えさせられる。
 
 といって、筆者にはこの世界、この文体では書けない。己の生まれ育った地、浅草にこだわって、そこに住まう人々、子供たちのことを、己の言葉で、文章を紡いでいきたいと思う。できるか、できないか。書くしかないのだ。とほほ。。


               「露天入り 希望の見ゆる夏夜かな」
                               海光


 高橋さん、サインありがとうございました。                 


紅玉忌

2011年07月26日 | ☆文学のこと☆

           


 7月23日、後藤竜二氏の一周忌、紅玉忌が行なわれた。  

 あさのあつこ代表の元、書き手や版元など関係者合わせて総勢約40名が聖地中野に集った。

 後藤竜二氏の著作を読み、語り合う。研究会形式の追悼だ。

 次世代を担う書き手の発掘と育成に心血を注ぎ、季節風という組織を束ねてきた、稀有な作家はこのような研究会として集まることを望んでいるのではないか、という委員の発言に誰もが無言でうなづく。

 この度課題とされた作品は3作。

 傑出した作品群には、作者が訴えたかった一貫する真と芯があることが読み取れる。


     1 真田十勇士 猿飛佐助 
   
 イノウエミホコ氏がレポート。
 
 猿飛佐助を読んで、ロックと称した。児童文学において、その分かりやすさが大切だと云う信念の人ならではのコメントに感嘆する。まるで難解な外来語も、氏にかかると電子辞書で翻訳されるがごとき、明快なインスピレーションをみせる。「他者からの支配を拒絶するリベラルな精神もまた、反逆と情熱のロックスピリットだ」と痛快だ。そして、後藤氏が楽しんで書いたと会場からも声があった猿飛佐助。その小気味いいほどの文体から、音読した時のテンポがロックだと云うもう一つの解釈も述べられていた。混迷の世だからこそ、取捨選択するのは自分でしかないと云いきる、その歯切れのよさはまさにロックンロール!  
 後藤氏の文学ロック魂を受け継ぐものが、ここにいるのだ。


     2 尼子十勇士伝 
 
 横澤彰氏がレポート。
 
 後藤竜二を私淑する横澤氏は、後藤氏を「個」と「連帯」を書いてきた作家と云い切る。一人ひとりの生き方や思いがあってこそ、はじめて連帯する意味が生まれる。かつて講談で語り継がれてきた、山中鹿之助。われに七難八苦をあたえたまえ、の名言で有名な鹿之助は主君に対し、絶対的な忠義を尽くした。ただ、鹿之助を調べるほどに、ゲリラ的な戦法にあたり、後藤氏も感情移入しにくく、苦労されたという。現代も変わらない、乱世に、後藤氏が生きていたらなんと云うか。彼を知る誰もが聞きたいことであろう。尼子を読んだ横澤氏は、「信義、つらぬけ」と云うに違いないと締めくくった。


     3 白赤だすき 小〇の旗風

 今本明氏が「小〇の旗風はベルバラを凌げたか?」と題したレポート。
 
 日本の一揆とパリの革命を比したことを後藤氏が語っていた話が興味深かった。毎度、新橋界隈の紳士淑女たちで話題になりつつ、わが国で革命が起きない不思議。それは不思議でもなんでもなく、隠された歴史の中に答えがあったのだ。
筆者は今回この作品を一夜で読み、たいへんショックを受けた。卒論で論じた、差別されるものの中に、またたち現れる差別。権力と権益に立ち向かう民の中から生まれる疑心や裏切り、大衆革命の困難。史学を学びながら、その肝心、要諦を何も踏んでいなかったことになる。己の無知と怠慢をかみ締める。

 それとは別に、読中読後に、鮮明な映像がみえた。
 太平洋の大海原と壮大な空に向かい、棒術を模した棒踊りを舞う若者たちの姿が頭に浮かぶんだ。
 北野武監督の「座頭市」のラストシーン。
 時代劇に西洋の踊り、タップダンスを持ち込んだ斬新な手法には、新鮮な驚きがあった。
 機会があったら、ぜひ北野武氏に東北の百姓と漁民の土着してきた者の強さ、熱いドラマを再現してほしいと思った。
 彼でなくては小〇の映像化はまことに陳腐なものになるだろう。

 いみじくも、1992年に吉橋通夫氏が訃報に際して書いた最後にこうある。
 
 「万吉たちが抱いた『民百姓の天下をつくる』夢は、140年後の今日、実現しているのだろうか。『生まれた村で、あたりまえに働きながら人らしく生きたい』との願いは、かなえられているのだろうか。」
 
 核による、遠大なる人体実験に子供たちを晒してはいけないのだ。1000年に一度という未曾有の震災を体験した今、この言葉が重く、筆者を含む現代に生きる大人に呼びかけているように思えてならない。

                   

 冊子「思いをことばに」。
 
 後藤さんが講演したときの講演記録、機関誌などに寄せたエッセーなどを収録したもの。北海道子どもの本連絡会が、その活動を活かして約40年間の後藤氏の軌跡を1冊にまとめた。

 せいの氏が云われた、後藤歴という重み。筆者は皆無である。ただ、季節風に入会し、同人の言動に触れることによって、後藤氏の分身が迫ってくるように感じている。
 後藤氏の長年の執筆への精力、季節風を生み育てた胆力、子供たちに言葉と勇気を伝える忍力、そして優しさ、その偉業が筆者の中で日増しに大きくなっていく。

 合評会や研究会の後、同人が口をつく。書く勇気をもらった。筆者も感じてはいる。ただ・・・

 なぜ、こんな苦しいことをするのか。葛藤の日々が続く。創作の苦しみは知っていたはず。でも、書き手は己のみ。才があるかなきか、より書き続ける苦しさに耐えられるのか。喜びはその先に待っているのだろうか。答えは、きっと、書き続けることからしか見つけられないのだろう。

 後藤竜二氏にめぐり合った、ご縁を信じて・・・

 合掌。


身の丈とは・・

2011年07月16日 | ☆文学のこと☆

身の丈・・
高慢と謙虚双方が跋扈するこの世の中に、なんて素敵なフレーズだ。
今この時の日本人の心に響く、等身大の言葉ではないだろうか。

             
 
               
              「みのたけの春」志水辰夫著

   「みのたけの 食と酒さえ満ち足りて」 
                               
  海光
 

「みのたけの春」
      志水辰夫著・集英社刊
      装丁菊池信義・装画小山進
      2008年11月10日第一刷発行
 
筆者と同じ、出版社で働いた経歴を持つ志水氏の書き下ろしである。
 
「弘法山に筋雲がかかると雨が降る」
 
 三省庵の師柳澤宋元の娘みわが話す
この言葉にして情緒があふれる。
物語はそのみわから渋々晴れた日に傘を持たされた主人公榊原清吉が、諸井民三郎と待ち合わせて、学友の武川庄八を見舞いにいくところから静かに始まる。
 三人とも剣術の道場、尚古館の学友でもある。八井谷峠から日本海まで一帯に広がる山からの土地が北但馬、その中心が清吉の住む貞岡である。
天領時代の名残で貞岡領とも呼ばれるこの地は、生野銀山、算出が減り、今では石見銀山にその地位を預けている。ただ、養蚕に活路を見出したため、
かろうじて往時の体面を保っているといえるのだ。
 
 京都を中心に尊皇攘夷が叫ばれる時代。
民三郎と手附代官代行格の新村格之進との浅からぬ宿縁。公儀の侍のプライドに翻弄された郷士民三郎だが、物語が進むにつれ、それも単純な話しではなく民三郎の血の濃さゆえのものだと思うようになる。
 格之進を斬り付けて、民三郎とその兄弟の命運が激しく変わる。長女かよ、次女なえ、又八、文吉は若さを理由に、てんでばらばらに里子に出された。

人別帳が存在した時代。

 郷士の入山衆。
肝胆相照らす仲である。
 
 この蠢く時代に、神官石渡孝臣、中村久作は尚古館を出て、都を目指す。長州勢の言葉に誘われ、若者として行動せずにはいられなかったのだ。
入山衆の出自は、山陰一帯を支配する戦国大名尼子氏一統と云われる。山中鹿助が尼子勝久を擁し、宿敵毛利に戦いを挑んだ。
貞岡から二十里西南、播磨上月城において、天正六年(1578年)入山衆は鹿之助に馳せ参じ戦った。二百年続いた尼子氏は滅亡。
入山衆は但馬、因幡の鉱山に潜む。異説では入山衆そのものが鉱山の開発に携わった一族なのだとも云われる。
 毛利が狙い、秀吉が直轄天領とする肥沃な鉱山を土地に持つ宿命か。
 盟主格橘川家を中心に結束を誓う入山衆。
主従でなく寄り合いとして入山講が誕生する。清吉の一家もこの講のおかげで助かる。
 そしてこの事件の始まりの四年前の安政六年。この田舎村に宋元がくる。
 江戸の流行り病「ころり」から逃れ逃れてきた宋元だったが、この村で皮肉にもころりにかかり妻を亡くしてしまう。世を儚み、酒に溺れる宋元。娘みわと弟子の存在がかろうじて、生きながらえる宿亜を残したのだ。
 仙寿寺尭海和尚との酒飲み。二人にとって酒と漢詩と午睡を愛すことがすべてだった。
 回りの若者と一線を臥した清吉の心も平静ではいられなかったに違いない。ただ、母と家を守る、この一念をぶれることなく、清吉は坦々と、家を尚古館、三省庵を守るのだ。
 
 尚古館館長橘川雅之は次から次へと弟子が去るのを見守るのみ。
斉藤国弥は幕閣、侍大将として、石渡たちと農兵を説得にあたる。
 
 そして、民三郎は「惨めに生き長らえるより雄々しく死ぬ」この言葉を残し、橘川師範の弟、京都高倉忠政の元、京都に暗躍し、果ては捕らえられたすえに、人を殺め、脱獄してしまう。  
 
 入山衆の二十年、三十年先、公儀が改めざるを得なくなるような死に方を目指した民三郎。そして、清吉は自ら、民三郎と決着をつけようと、死を賭して、長女かよの住む、羽倉、杵島家へ向かった。
子を宿した尚吉とみわは、二男文吉を呼んだ兄との間で葛藤するが・・

 家から母の眼を暗ましてまで持ち出した二寸長い刀を捨て、竹やり(真竹)で最後の戦いに挑む。十四歳で熊を殺した、名人忠兵衛の再現である。
覚悟を決めた俊才は巧妙に、柔軟に民三郎と対峙する。小さな鳥居を利用して、槍先に全ての念をこめる。

 一突きで終った。苦しみながらも清吉の手によったことで、運命を受け入れた民三郎を、逆手に持ち替えた刀で止めを刺す。

 霧、闇、わずかな濃淡、夜気が動く・・
深い自然の描写が、そこかしこに流れ、読み手の前に静謐な気がたゆたう。

 著者は1936年高知生まれ、作家デビューは40代。
志水氏に勇気をもらい、筆者も精進しようと思う。

 前作、秀作「青に候」からはるかに飛躍した時代物の傑作である。



  

ご愛読感謝のご報告

ついに、gooブログ開設1年半にして、3万人突破
本日のカウント 訪問者「30210IP」閲覧「49591PV」

これもひとえに皆様のご愛読の賜物。
本当にありがとうございます

まだまだ続けて参りますよ~

どうぞ末永くご贔屓によろしくお願いします

2011年TOTAL RUN 1038.3km7月16日現在 


旬の野菜喰らう!

2011年06月20日 | ☆文学のこと☆

梅雨真っ盛り、皆さんいかがお過ごしかな

ここ浅草ではお祭りの中止が相次いだ淋しい、皐月、水無月でやんした。

なれど、お富士さんこと、植木市は無事開催された。次回は6月25日、26日の予定。
規模は縮小されたが、季節の風物詩に出会えるってぇのは、やっぱりうれしい

そして、7月合羽橋の「七夕祭り」6~10日に、観音様の「ほうずき市」9、10日と続く。
      *おそれ入谷の鬼子母神、入谷の朝顔市は残念ながら中止。

ちょいと早いが、尊敬する大兄から句作が届いたので、ご紹介。

    「ほおずきの、君の手に触れ宵の市」
                         正木                   


季節を感じることは、人々の暮らしの中の平穏を保つためにも大切なことなんだ。





さて、タイトルの、「旬の野菜喰らう」である。

現在は、農業技術の進化、肥料やハウス栽培など技術革新により、冬でもきゅうり、トマトを食せる時代。
それって、やっぱ変?
夏野菜は、いまこの時期からが本番
本物の野菜の旨味を味わうには、旬なくしてはありえないのだ。
今回ご紹介する本もその旬の野菜を素材にして、書かれたもの

そう、イノウエミホコ氏の「男子弁当部」の続編である。

                   
              「男子弁当部」第1巻、第2巻

「男子弁当部」2  ―弁当バトル!野菜で勝負だ!!
                 (イノウエミホコ・作 東野さとる・絵)ポプラ社刊

第1話では、男子弁当部の結成、そして最初の活躍が描かれている。
誰にでも敬語で話す不思議な、でも優しい母さん、考古学の教授で単身赴任中の父さん、日本全国で暮らす夢を実現するため放浪中の兄ミライ、この4人家族で構成される手良ソラの家族。
ありえなさそうで、どっかで聞いたことある衛星家族(まるでTファミリー)。
主人公ソラは留守がちの父と兄に代って、栄養学を教える多忙な母さんを補佐するために調理するようになった。今では小学5年生ながら、料理歴4年のベテラン料理人。
こんな子ホントいるの?ってくらい、一見クールでシャイ、でも有言実行できるかっこいい男子だ。
ソラの持つ魅力が分かる友達が集まってくる。
それがお調子ものの滝口ユウタに、しっかりものの高野タケル。
ここに、北原レイラ、母さんの友人ミズホさんがスパイスとなり、美味しい弁当ができるのだ。
そう、男子弁当部の誕生である

読者の期待度っていったら、いわゆる続編のハードルは高いはずである。
それゆえ、書き手の真価が問われるのだ

さぁて、どきどき、わくわくしながら続編のページをめくる。
そんな本に出会えるのも、幸せなことだ。

まず、子供フリマのチラシが目に飛び込んできた。市役所勤めのミズホさんが仕掛けた、男子弁当部の新たな出番からお話がスタートする。たくさんの料理を手がけてきたソラだったが、このところ気になることがある。旬の野菜が持つ色と香りと存在感。
メニューは弁当部のメンバーと決めたはずだったが・・・

祖父と一緒に野菜作りをする新しいキャラクター泉田ジュキの登場が、この第2話に広がりを見せる。
自然から恵まれる水、たっぷりとふり注ぐ夏の日差し、豊かな土壌。
畑を育てる人間の愛情が、旬の野菜に魔法をかけたごとく、甘く瑞々しい命を与える。
旬の野菜にこだわるソラとジュキ、二人のこだわりが今回の見もの、なのだ。

○○を使った鮮やかなイエローライスに、夏野菜の素材を活かした視覚も、味覚も楽しめるとっておきのサプライズの弁当が待っている

ラストには、次作への伏線、ソラとほのかに思いを寄せる北原の意味深なやり取りも・・

ところで・・せっかくの衛星家族。
父さんの暮らす山形の地の物、ミライの訪れる多種多様な町の調理法。そんな地産地消の食もあれこれと取り入れたら面白いと思う。
例えば、父さんが暮らす山形には馬肉や山菜に蕎麦がある。北海道のアスパラにポテト、新潟の川魚、栃尾の油揚げ、徳島のカボスに香川のうどん、宇和島のじゃこ揚げ、鹿児島の黒豚にサツマイモ、沖縄のゴーヤ、黒糖、どんどん取り入れて、シリーズを長く続けてほしい。
そうです、寅さんのように・・・(映画化だってありえる

筆者としては、下町の味にこだわった弁当も登場させてほしいなぁ。
しょっぱい味付けは、お弁当に最適のはず。

そんな楽しく、美味しい男子弁当は、この本をめくればすぐに味わえる!

まずは、弁当箱を開かなきゃ、損、損。

さぁ、みんなで旬を丸ごと喰らおう

そんな野菜本来の魅力がギュっとつまった、野趣溢れる児童文学の誕生だ


     「炎天下 がぶりとトマト汁あふれ」
                         海光 



今夜は、よ~く冷やしたきゅうりに天然塩をぶっかけてそのままいただこう
きっとビールがうまいはず(おっと、児童文学の紹介でした)

では、お後がよろしいようで・・・


2011年6月20日現在 TOTAL828.3km


物語をつむぐということ。

2011年03月27日 | ☆文学のこと☆

       一葉通りの桜

     「彼岸明け ビール片手に東風を待つ」
                              海光 

春分を過ぎ、彼岸も明けたのに、まだ北風の強い日が続く

その風に乗って、見えない恐怖が飛ぶ。
不安になる、パニックになる、かの地の人を思い吐き出せない鬱屈が溢れている。
それでも、かの地で暮らす人々に思いを馳せ、人間の温もりを再確認したいと思う。

東北で自然と人工の双方の敵と対峙し、疲弊しながらも戦う同人がいる。

この時、だからこそと、季節風の同人たちが新宿歌舞伎町に集った。

その行動を支持すべく、筆者も合評会に参加する。

あさのあつこ代表を筆頭に居並ぶプロの作家と同人たち。
そして、大先輩の編集者も顔を揃えた。

この場にいる幸運。
お誘い頂いたT女史に深く感謝。

昨年の大会、研究部会の緊張感を思い出した。

楽しい・・とは違う。
充足とも違う・・

「物語をつむぐ」ということ。

この大命題を前に、真摯に向き合う同人たちのパワーにたじたじとなる。
頭から体、足の指まで感電し、今日一日しびれが止まらない。

襟を正さねばいけない。

書き続ける勇気を持ち続けられるだろうか?

ふたたび、己に問いかけながら、今朝もRUNする

       浅草寺 五重塔
       浅間神社の桜の木

4月2日(土)は、全そ連の花見句会
ここでも義援金をつのり、同志で文字を媒介に友好を深めたい。
この時を大切にする、それがいまの日々に肝要なことなのではないか。

どんなに寒く、長い冬も、東風吹く春に移り変わる。
そう、季節は巡るんだ。

五重塔奥にそびえるツリーも健在。

浅間神社では蕾から、いまにも花びらが飛び出しそうな勢いだ。

         蕾と空

春はもうすぐ。

一日一生。

悔いのないように、前に進みたい!

決意を込めて、一句・・・


    「我思う ゆえに逡巡し春に立つ」
                         
海光

児童書の老舗、某版元のT大兄が誘う店は、なんとしょんべん横丁
どさんこ、通る度に気になっていたんすよ。
さすがのチョイスに、思わずニヤリ

     刺身盛り
     味噌きゅうり

宝来家がもつ焼きの雄なら、こちらは峻烈な活きの魚介が揃う穴倉。

昆布入りの焼酎は、薄い琥珀色からして魅惑そのもの。
グルタミン酸を完備した、海の豊穣の旨味エキスが舌の上を滑り落ちる。
そして、話題の成分ヨウ素は不埒な呑んべにも一瞬の安心をもたらしてくれた。

水分をたっぷり含んだ野菜の鮮度と、甘い味噌の熟成が口をすすいでくれる。

同人たちと交す、言葉の切っ先に怯えながら、蛤の塩っけの強い肉汁に、さらに強く香る海のお湯割りを流し込む。

    

四次会出て、終電一本前。
二丁目はまた今度、ですな・・

   

2011年3月27日現在 419,2km走破 

 


海の館

2011年03月07日 | ☆文学のこと☆

         大いなる師の書斎

この冬、茅ヶ崎海岸に近い、師の書斎を探訪した。
感ずるところ多し・・

今朝の朝日の読書欄に載っていた。
「私淑」という言葉。
何でも、直接は教えを受けていないがその人を慕い、言動から学ぶこと。
大兄の著作や言動に感銘を受け、作家を目指す僕もまた私淑しているのだな、と思った。

前に、師のラジオドラマや映画化された作品のことに触れたが、作品を紡いだ現場はまさに神聖な場所への希求。
まだ訪れていない方にも分かるように、写真をふんだんに撮った。
版元の先輩が原稿を受け取りに、集英社時代に通った家は、いまや記念館に。

書く勇気を見失いそうな時に、書いて何かが見えた時に、再訪したい場所。

   
  ベトナム従軍時のあの日の・・            師の生き方を変えた

 
    いまでも息遣いが聞こえるよう        現地の僧侶がお守りに書いてくれた

 師にも同人誌時代があった
        
        名作オーパの遺産       常に頭の片隅にサルトルがいた


     世界中を釣った!            まず、書くこと!書けない時は・・・
 
      飲んだのでしょうな。強い酒で書くことができる作家だった

           
                 ワルシャワの強制収容所から肉声

    いまでも師ならペンを持つのか?

 寿屋(原サントリー)宣伝部時代 

      
            家族に宛てた手紙                東京への一歩

           
                       師の最高傑作

司馬遼太郎氏曰く、開高健は「夏の闇」この一作を書くために、産まれてきた。


          ご存知芥川賞受賞作

          玄関脇に

        
                          珠玉の名言

            
                       閉館まで飽きない・・

師がたしかに生きていた気配を感じながら、息ができないほどの感嘆しかない。

海に近い館を後にする。

空を見上げると、彗星か、衛星か、戦闘機か、館に真っ直ぐに伸びた白い筆跡・・・

ご縁。奇跡。いろいろなことが判ってくる歳。
でもいまだに、何も判ってない、とも思う。

そして、何も為していない。

今日は誕生日。

進歩か、退歩か。深慮か、浅慮か。巧緻か、拙速か。

中国の諺にある通り・・気がつけば、馬馬虎虎の日々。

とにかく、少しでも前に進むことだ。

まさに、

悠々として急ごう!

師に恥じぬように・・・

      「茅ヶ崎で 見えぬ糸を手繰る冬」
                           海光


風刺映画の元祖!

2011年02月06日 | ☆文学のこと☆
     大映1958年の作品

これぞ!資本主義の行き着く先を暗示した社会風刺映画の手本ではなかろうか

開高健生誕80周年イベントで実現した上映2作をご紹介します
川口探検隊で晩年名を馳せた故川口浩が、西洋介というキャラメル会社の宣伝マンの功罪、光と闇を好演した快作です。
町で出会った貧乏な家庭に育ったが明朗快活な島京子役を野添ひとみが伸びやかに唄い演じる。
西が憧れる上司合田竜次役の磊落ぶりを高松英郎が魅せてくれます。

キャラメルを売ろうと競合三社が行う宣伝レースを超現実主義的にコミカルに皮肉ったもの。
広告宣伝の力に過信し溺れて、商品そのものから徐々に剥離し、大衆を甘く見たまま逆にナルシシズムの罠に嵌った合田と会社ワールドキャラメル。
戦後カラダを張って生きてきたからこそ、資本主義のやりすぎへのアンチテーゼだろう。
サントリーの前身寿屋の宣伝マンだった開高氏ならではの洞察である
当時から、薄っぺらなマスコミの操作に一喜一憂する企業や大衆の行く末を案じて書いたのではないだろうか。
見事に、現代を言い当てた「巨人と玩具」を映画で表現したのが増村保造監督。
1958年大映の作品だが、古くて新鮮味のある映画に出会えた。

ビデオとDVDで鑑賞することができます
     1965年の作品

続いて山本薩夫監督の「証人の椅子」。
冤罪に焦点を当てた、怖い作品である

昨今でも、周防監督の「それでもボクはやってない」で映画化されたり、新聞や週刊誌でも冤罪事件は後を断たない。昨年最新のDNA鑑定で無罪を勝ち取った刈谷さんの事件も記録に生々しく残っている。

検察という官僚組織の中での絶対的な出世、エリートとしての性、なにかが、正義を見失わせ、焦りや慢心からの立件、誤認逮捕、拘留、冤罪への流れを作っているのかもしれない。

大きな組織が方向性を示したときに、疑念に気付いたとしても描いた脚本通りに進めることしかできず、後戻りできないという身勝手なエリート意識がくどいほど描かれて怖かった。
身内である民間人が少年の証言の不確かさを、問い、歩き、説いていく様は、途方もない徒労である。
裁判のことに疎いひとりであるだけに、こうした機会にそれぞれが問い、考えることが大切なのではないかと、思った。

原作は開高健の「片隅の迷路」

氏の時代への鋭敏な感覚に黙って頷くしかあるまい

    「力とは 市井の為に使うなり」
                                 海光


    

聖地後楽園でプロレスを観る!

2011年01月27日 | ☆文学のこと☆

 後楽園の新たな聖地JCBホール

お祭り騒ぎです
学生時代以来の20年振りの後楽園でプロレス観戦です
といっても、新しいビルに入った大型のJCBホールでしたが・・・
超大入りの観衆で埋め尽くされてました

    

1月24日、CSスポーツチャンネルのGAORAのプロレスイベントが開催された!
一夜限り、この夢のビッグイベントは、
「GAORA開局20周年記念 スーパーファイト2011~全日本プロレス・ドラゴンゲート夢の競演~」
として生中継でオンエアされた模様
全日本プロレス×ドラゴンゲート×みちのくプロレス×パンクラス×せんだいガールズなど普段ならありえない組み合わせが実現
メインイベントは、
武藤敬司(全日)&CIMA(ドラゴンゲート)&獣神サンダー・ライガー(新日)vs諏訪魔(全日)&吉野正人(ドラゴンゲート)&ザ・グレート・サスケ(みちのくプロレス)という豪華カード!
熱い6人タッグマッチが行われた!
若かりし、武藤が、船木が戦っていた頃を思う・・・隔世感を味わいます

世間は、タイガーマスクであり、伊達直人が話題をさらってますな。
地元の泪橋はあしたのジョーをテーマに商店街の復活に動いてます。
こういうのも昭和への回帰でしょうか。

横綱を張った曙が、ライガー、ムサシが・・・馴染みのレスラーもあり、OZからおばちゃんの猛者たちが参戦。ミラクルな組み合わせ、久々のプロレスに筆者も、会場の皆さんも一様に愉しく、興奮しながらこれも名物の野次を飛ばす
「きょうへい」って、審判への野次がもっとも面白かった~

純粋に面白かった~!
今度はどの団体の観戦に絞ればいいのか、迷うばかりのカードでした。

筆者の年代でいうと、当時地上波他チャンネルで交流がありえなかった国際プロレスと新日、またイデオロギー闘争で燃えた新日とUWF軍団の戦いが記憶にある。

思えば、筆者の学生時代の20年前・・・

    

筆者はこのような学生サークルに所属!
格闘技の聖地、後楽園ホールや両国国技館などでプロレスを観戦し、ルポやエッセイを同人誌に書いて出版してました。
若かったから・・先輩も後輩も、熱い、熱い思いで書き上げました。
学園祭では、あの前田日明さんを呼んで、アキレス腱固めをかけてもらったのも懐かしい思い出(笑)

     同人誌「格闘公論」

年末の大掃除で我が家から再び発掘された同人誌「格闘公論」
御茶ノ水や秋葉原にある書店、書泉の格闘技コーナーで完売したのはうれしかったなぁ!
僕の宝物です

筆者は巻頭記事を担当、当時ベストセラーになった村松友視氏の著作を文字って、「それでも私プロレスの味方です!」という原稿を書きました。
これが、なんと今読み返すと、創作ものなんですね。
そう、物語に仕立ててあったんです。
先輩に絶賛されたのが思い返されました。
プロレス!
同人誌!そして、創作!

ここ一年、「原点回帰」ということをツラツラ考えます。

この日後楽園にきたのも、グリコのK氏と信頼する広告会社のK氏のお誘いから・・・
そして、この二人に引き合わせた元同期の女子から第二子誕生のメールが届く。
なんかすべてご縁なのだなぁ、とつくづく感じた夜でした

結局、ヒトって、元々鮭や野生の種と同じなんだな。
大海を回遊し、たくさんの辛酸を舐めて、喜怒哀楽、生存競争に勝ち抜き、負けたり耐えたり、進化と退化を繰り返し、生育の川、出発した場所、原点に帰ってくるんですね。

それって、輪廻転生でも、妥協でも、敗北でもなく・・
若い時におぼろげだった何かを、成熟した感性で掴んだということでもあるんじゃないか。

原点回帰!

大海原を自らの力で泳いだからこそ、原初の目指すものに向かって、さらに進みたいと思う。

皆さんも、若い頃に描いた夢や目標を思い返してみたらどうでしょう

人生まんざら捨てたもんじゃない!
成長したいという気力さえ失わなければ、素敵な出会い、いいことあるかもってことですよ

    「春一番 蒼い思い出夢を追い」
                         海光

明日は全そ連&句会。
先に紹介した味ちゃんともつ煮ストリートからリポートします
浅草からの更新お楽しみに・・

ラジオドラマという娯楽!

2011年01月23日 | ☆文学のこと☆

    

今日は昭和の時代、メディアそのものに気概と力強さが満ちていた頃の話
旧きよきラジオの話をします。

ぼくのもっとも尊敬する作家、故開高健さん。
その開高さんの芥川賞受賞作「裸の王様」が、かつて全盛のラジオドラマで放送されていたことを知りました。

きっかけは・・・

文化放送のアナウンサー野村邦丸さんがお孫さんに会いに茅ヶ崎の地へ。
たまたま気が向いて訪れた開高健記念館で、ある脚本を発見します。
そう、野村さんの所属する文化放送の旧い旧い脚本です。
普通だとそこで感慨に耽って終わるところですが、さすが業界最先端で生きる野村さん。
心に感得するものがあったようです。
局へ帰って、「裸の王様」の脚本を探し当てたのです
普通なら時代的にとっくに処分されたであろう脚本。
残存していたことが奇跡だと話されてました。ラッキーだったと・・
幸運だったのは、ぼくもこの場に居合わせた方々も同じでしょう
記念館の存在、野村さんの行動力、生誕80周年事業という偶然、お堅い役所ものっかったこのイベントそのものも、開高健さんの足跡がもたらした必然なのかもしれません。

     温和な印象に語り草もさすが現役アナ

すべてはここから始まった

     貴重なラジオドラマの脚本

開高健さんの「裸の王様」を読んだ、若かりし自身の風景が蘇える

文字から心の一角に刻んだかつての秀作を、名優が演じる声により耳から聴くことが叶い、時を越えてゆったりと心の襞に浸透していきました。

尊敬する偉大な作家の記念作に、こういう形で出会えるとはなんとも幸せな時間

野村さんがおっしゃっていましたが、現代のラジオ放送では著作権で放送自体が難しく、
また、セリフが少なく、主人公の語りが多いことは今は倦厭されるとのこと。
聴いたぼくは、スピードと効率のみ優先されるこの時代にあって至極新鮮に感じました

ラジオドラマ全盛の時代、いみじくも日本人が見えない頂上を目指して、意気揚々と登っていられた時代なのかもしれません。
その時代において、すでに儲かれば全て善という大衆心理の傾倒への怖さを予見していたかのように、自ら警鐘を鳴らしはじめたのもこの作品からかもしれません。

師のその洞察力に、天国から尻をたたかれる思いがしてます。

気持ちが奮います。

作家を目指すきっかけとなった師との再見。
偶然であり、必然とも感ずるこのご縁

野村さんに深く深く、感謝します


さようなら後藤竜二先生

2010年12月04日 | ☆文学のこと☆



11月22日、早稲田の杜近くのホテルで、後藤竜二先生を偲ぶ会が行われました。
季節風に入会した矢先の訃報に、この会に、後藤先生の死に、どのように関わるべきか・・
生前の交流がなかった筆者。
入会してからその作品に触れ、また季節風の関係者の方々との大会、研究部会を通して後藤先生のお人柄や功績を伺うにつけ、ほんの少しでもこの会にご協力できればと、皆さんの後押しもあり、会社を早々に会場へ訪れました。

献花させていただきました。
会の進行中には何をしていいか判らず、ただうろうろと貴重な展示品を写真に・・

会もお開きとなり、
大切なイラスト画や絶版となった作品や写真などの梱包と整理をお手伝い。
無事にホテルの発送の担当者に手渡すことで一つ季節風の創始者である、後藤先生に手を合わせることができたような気がします。

これから季節風に積極的に関わっていくにつれ、後藤先生の足跡がより偉大に感じられてくるような予感がしてます。

少しでもこの偲ぶ会に関わることができたことは僕の中に何かを残したと思う。

  代表作の一年一組シリーズのイラスト
  
             遺作となった尼子十勇士伝のイラストと著作
  野間児童文学大賞時のことば
  破綻した夕張市の学校で

誰よりも子供たちの未来を案じていた後藤先生ならではのエピソードや展示写真に心が打たれました。
破綻した夕張市では率先して講演会をお開きになり、お気に入りの一年一組ドタバタを読み聞かせなさっていた。

  季節風の創刊号

すべてはここから始まった。

季節風の存続こそが、そのご意志なのだと思います。

 

合掌。。