生き残った直後(秋山氏撮影)
秋山カメラマン(開高氏撮影)
1964年11月のこと。
師、開高健は朝日新聞社の臨時特派員として、戦地ベトナムへ向かう。
そこで待っていたのは、人間の内外に潜む闇。
2月14日作戦決行日。
政府軍の掃射作戦に同行したものの、反対にベトコン(民族解放戦線)に一斉に掃射される。政府軍大隊200名のうち、生き残りは開高と秋山(カメラマン)を入れたわずか17名のみだった。
週刊朝日のルポが全面改稿され、帰国後「ベトナム戦記」が刊行された。
そして、あっしが生まれた1968年に、名作「輝ける闇」が誕生した。
闇三部作の第一作である。
司馬遼太郎が永眠した師に語りかける。開高健はこの作品を書き上げるために生まれてきたと。
その珠玉「夏の闇」が世に出る4年前のことである。
1965年、「ニューヨークタイムズ」にベトナム戦争の反対広告を掲載する。
翌1966年、サルトルとボーヴォワールを迎えて、ベトナム戦争と反戦の原理という集会に主催者の一人として参加。
サイゴンで、世界各地で、そして茅ヶ崎で…。
師は何を想い、濃い酒精をいれたグラスを傾けたのだろう。
その応えは、作品のなかにある。読むたびに震える豊穣な語彙のなかにある。
「事起きて すべて変わった 冬の旅」
海光