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週刊浅草「江戸っ子瓦版」 -のんびりHiGH句な日々-

文学と食とRUNの日々を、PHOTO5・7・5で綴るエッセイ♪

ベトナムを経て!

2011年12月15日 | ☆文学のこと☆

                   生き残った直後(秋山氏撮影)
                   秋山カメラマン(開高氏撮影)

 1964年11月のこと。

 師、開高健は朝日新聞社の臨時特派員として、戦地ベトナムへ向かう。

 そこで待っていたのは、人間の内外に潜む闇。

 2月14日作戦決行日。

 政府軍の掃射作戦に同行したものの、反対にベトコン(民族解放戦線)に一斉に掃射される。政府軍大隊200名のうち、生き残りは開高と秋山(カメラマン)を入れたわずか17名のみだった。

 週刊朝日のルポが全面改稿され、帰国後「ベトナム戦記」が刊行された。

 そして、あっしが生まれた1968年に、名作「輝ける闇」が誕生した。

 闇三部作の第一作である。

 司馬遼太郎が永眠した師に語りかける。開高健はこの作品を書き上げるために生まれてきたと。

 その珠玉「夏の闇」が世に出る4年前のことである。

                    
               

 1965年、「ニューヨークタイムズ」にベトナム戦争の反対広告を掲載する。
 翌1966年、サルトルとボーヴォワールを迎えて、ベトナム戦争と反戦の原理という集会に主催者の一人として参加。

                 

 サイゴンで、世界各地で、そして茅ヶ崎で…。

 師は何を想い、濃い酒精をいれたグラスを傾けたのだろう。

 その応えは、作品のなかにある。読むたびに震える豊穣な語彙のなかにある。
       
               
               

              「事起きて すべて変わった 冬の旅」
                               海光
  


やるき地蔵!

2011年12月13日 | ☆文学のこと☆

                     
                        作:岸史子  画:植垣歩子

                    岩崎書店刊 2011年10月20日第一刷


 先日わが季節風同人のデビューに触れたが、その作品を読んだ

 主人公の兄弟の名は、川原まゆとてつ。弟はなんとあっしと同じ名じゃないか。親近感が沸くなあ

 五年生のまゆは、天真爛漫のままの一年生てつが羨ましい。そんな弟のことはなんでも知ってると思ってた。

 でも、じつは知らないことがいっぱい

               

 弟だけの世界……。緑のトンネル、やるきじぞう、佐伯のおばあちゃんや山口りゅうのこと…。

 仲良しのきくえと林間学校の班になったまゆだったが、不登校の山口君のことが悩みの種だ。まさか、弟のてつがホントの兄弟のように親しかったとは……!

 また、町に一軒の和菓子屋さんで、苦手な学級委員の本田さんと鉢合わせたまゆの家族。本田さんの下ろした綺麗な髪に驚きのまゆ。普段みえない友だちの一面に触れると、少なからず新鮮な衝撃を受けたりするよね。

 クヌギ、ナラ、コナラ…。リスが隠したどんぐりに新芽が生えるなんて知らなかった。下町育ちでさらに無知のあっしは、自然のことに疎いのである。それだけかっ!

 まるで、木立からくる素朴で爽やかな風に吹かれたような、ほのぼのとした読後感

 有象無象、有益無益の情報が溢れる世の中。子どもたちはそんな世に右往左往する大人たちの鏡なんだ。

 大人びた子どもたち、萎縮した子どもたちそれぞれにあるであろう、緑のトンネルをみつけてほしい。

 格好の本が絶好のタイミングで登場した。良質な物語は寒風吹く師走を灯してくれる
 
 やる気地蔵!

 岸さん、ありがとう

 ちと、やる気になりやしたぜ


               「枯れ葉舞う あの空越えて 緑色」
                            哲露(海。)



   2011年TOTAL RUN  2045.5km    12月13日現在  


仲間のデビュー!

2011年12月05日 | ☆文学のこと☆

                      

 師走に入った

 幾分冷えるようになったが、やはり昼間の温かさは昭和生まれには尋常じゃない気配がある。温暖化については昨今、議論の分かれるところであるが、個人的にはあったかいのはうれしい。昔から寒いのが大嫌い。いつかお金持ちになったら、冬の間はハワイか沖縄に住むのだと決めているのだが、ついぞ実現する目処はたたない

 吉野杉の香りがぷんぷん香る、樽酒をいただいた。明治の麦酒を復刻した、アサヒビールのラガーで喉を潤したあとに、燗をして升で飲む。はるか西の森に佇んでいるような心地良さだ。すっきりとした辛口はクセになりそうな味である

 12月4日(日)18時この時間は季節風同人、岸史子さんの初出版記念パーティーの時刻。
 ときを同じくして、浅草の拙宅で祝杯をあげさせてもらった

 岸さん、おめでとうございます

 文章を書くという業。喜びより、書けない苦悩や文字、表現が浮かばないもどかしさ、悲しみ苦しみが先に立つ因果な物書き商売。書き上げた達成感は、それら艱難辛苦を経てこそ、到達できる一瞬の光なのだ。それでも、作家は文章をつむいでいく。まさに因果なもんだ。 
                                
                             「緑のトンネルをぬけて」
 
                                                文:岸史子 画:上垣歩子

                                              岩崎書店 刊  初版 2011/11/12


 
 岸さんは最初の関門を越えられたけだし本番はこれからだ

 本という形になる。この初めての嬉しさを忘れず、苦難のときこそこの日を何度も咀嚼しながら、もう一段高みにお進みくださいまし。同人の後輩として、後に続けるよう精進あるのみ、ですな

 いやあ、嬉しい日でござる


             「師走入り みどりがにょきと 芽吹くよる」
                               海光

 


市井を描く!

2011年11月27日 | ☆文学のこと☆

                                 
                           合評の同人誌とレポート

 霜月もおわりに近づいた26日(土)、旧暦でいうところの11月2日
 
 この日は三の酉。その昔は寒さに震えたこの時期も昨今はだいぶに暖かい
 新吉原も活況だが、内藤新宿の酉の市も靖国通りまで人が溢れ盛況な様子だった 

 その内藤新宿のとある部屋で、わが同人季節風の合評会が行われた 106号と107号に掲載の創作9編評論1編と不掲載1編。名うての書き手が集っての季節風伝統の合評である。辛辣と率直、愚直と真摯な言葉が飛び交った。相変わらずの熱さが、同人でいることの喜びでもある。

 あっしは23日の午後をつぶして、寸評を書いた。咄嗟に指名されると真っ白になってしまうから、アンチョコの答弁を用意した。官僚任せじゃありませんぜ、一応自分の感ずるままに

 手前が一冊も本を出したこともないのに、人様の作についてあれこれ語るのはおこがましいのだが、そこはそれ、季節風の慣習にのっとって何作かレポートを読み上げさせていただいた。

 現役で活躍する作家や同人たちの肉声が聞けるこの同人の質たるや、文学を志すものなら言わずもがなの昇天級である。関西から飛んできた同人はあさの代表のレポートを宝物のように鞄につめていた

 あっしは、好き勝手に評を論じながら、はたまた気楽に同人の手厳しくも愛のある指摘を聞きながら、そのたびに目を通す投稿評にある自作の評に感慨に浸っていた。106号のファンタジー、107号の昭和の下町話。書いた原稿の枚数分の痛み、悔しさ、落胆、才能のなさ自覚ゆえの渇望と絶望。けだし、いまここにいることが、継続の証なのだ。

 二次会は、某居酒屋。三次会道産子まで夜を徹した話し、笑い、語った思いはここでは云うまい。

 ただ、学生時代から物語を書いてきたという同人、また10年、20年と書いてきた同人たちのその思いの結晶に圧倒され、屈服され、次第に言葉少なになった。近々デビューする同人二人も挫けずに書き続けてきたのだ。その勇気と不屈に乾杯!

 駆け出しには、駆け出しのハイハイしながらの濃密さしかないのだな、と自覚する。

 108号に掲載していただいたのは、江戸は文化文政の裏店の話。あれから、今戸金蔵店の子どもたちや町人たちが己のなかに息づいている

 ささやかな日常の一遍を拾いたい。何気ない一言に傷ついたこと。見た目怖い兄さんの人助けに遭遇した日の爽やかさ。たくさんの人がそれぞれの何かを背負って、一生懸命生きているんだ。けっしてヒーローなんかじゃない……。地味だが、確実に生きている証。それをいまは無性に書きたい。

 師藤沢周平亡きあと、浅草の市井を書くのはあっししかいないんだ。そのくらいの気概なくして、ここには踏みとどまれない。

 酔いに任せてここまで云って……。

 有言実行しなきゃ、同人たちに笑われちまって寝覚めが悪い。

 書くしかないな あはは。。


             「新月や 集う思いの 三の酉」
                          海光
 
<追記>

 大兄ひでじぃさまが終電逃し、みなと一緒に新宿駅まで歩いた時のこと。
 沈黙で柱に立ち、詩集を売る若い女性に出会った。その詩集に300円コインを出しながら、徐に名刺を差し出し、ブログに載せるよと云った。その姿がかっこよかった。また同人の推薦に満面で応える姿に、ひでじぃさま書くところの作品の主人公が重なって見えた気がした。こんなお人だから人が書けるんだな。そう思った。あっしなぞ、まだまだだ。とほほ。。



   2011年TOTAL RUN 1961.5km   11月27日現在  


江戸の暮らしぶり!

2011年11月22日 | ☆文学のこと☆

      

 ご存じ江戸は平安後期に江戸氏が居館を構えたのが始まりと説に云われている。太田道灌、扇谷上杉氏の知行を経て、家康公が東の都としようと苦心したうえに、実に260年余の太平が花開いたのだ

 裏店の長屋は、戸と畳、家財は個人の所有であった。建物の基礎が同じだからできたのであろう。地方から身をたてようと上京する独身所帯が多かった。自然、元手いらずの棒手振り商売から始めるのが目立ったようだ。長屋の障子戸には屋号を書いて、宣伝も兼ねていた。中でも、しじみ、あさりの棒手振りは安価に始められたからどの長屋にもいたようである。江戸は湾を目の前に発展した水の都であったのだ

                     表通りから裏店へ通じる木戸口

 町を隔てた町木戸と、表店から裏店へ通じる木戸の二つを抜けて、住民はようやく長屋へ帰ることができた。大家さんがいて、表札も掲げられている。怪しい人が来たら、目立ったことだろう。これも自衛手段に一つであったようだ


        師匠の家

 三味線や和歌などお稽古事を教えてくれる長屋。深川の資料館にあったのは女性のお師匠さん。裏店にも寺子屋はあったようだ

 寺子屋の形態も様々。裏店の女の子は掛け持ちで師匠のもとへ通っていた。さながら、現代の教育の基礎がこの時代にできていたのも皮肉なことである。勤勉さを求めるのはいつの世の親も一緒。これをもって日の本はエコノミックアニマルとなり、いまや欧米に追随するかのごとく浮沈に喘いでいる。                         

                  

 大店の家だろうか。立派なひな壇飾りの前で、女の子が着飾ってあられを食べている。男の子たちが力いっぱい打っているのはメンコか、コマか。いつの時代も子どもの元気は、働く大人たちの源なのだ。浮世絵にある、愛情溢れる母親たちのまなざしがあったかい

                       

 江戸の子どもたちは数え10歳頃になると丁稚奉公に出された。絵は小僧さんが酒を買いにいくよう使いに出されたのか。子ども心に外に出られるのは嬉しかったのではないだろうか。えらいよね、この頃の子どもたちは・・・。

 右はもう少し小さな男の子。ケンカして泣かされたのか、おっかさんに叱られたのかな

             水桶と柄杓    
                  へっついと洗い場

 表戸と上がり框の間に、へっついと云われた竈(かまど)や炊事場があった。下駄や草履をつっかけて、朝ご飯の支度をしたり、洗い物をしたのだろう。

 裏店の家の米は、天然肥料でできた玄米を長屋内の暇な男衆があいよとばかりに小遣い賃で搗いてくれた。このぴかぴかの精米したてを薪で焚いた白米は何よりの贅沢ではないだろうか 野菜も川(大川)向こうの村から、取れた無農薬の極上。白魚が泳いでいた大川や目黒川から、汚染の心配などいらぬ活きのいい魚やしじみが取れ放題だった

 肉などの栄養価や調味料を駆使した料理法はともかく、現代の食のほうが豊かとは、一概に云えないのではないか

                       一人分のお膳

 長屋でも一人ひとりお膳があった。狭いながらも決まった席に鎮座し家族団欒で食事をしていたようだ。お膳にすることで、一人分の取り分けもでき、かつ後片付けもコンパクトにできた。まさに理にかなった食事風景である。一汁、一菜に、江戸っ子は当時全国でも稀な白米を食した。これぞ江戸の狭い裏店の知恵。素朴ながらも、一人、レンジでチンするかぎっ子なぞはいなかった。なぜなら、一つの裏店全体が、家族も同然だったのだから。。

 
                    「新米を 頬張るほどに 脚気かな」
                               海光



2011年TOTAL RUN 1906.5km   11月22日現在  


旧東海道を往く 後編! 鯨があがった!

2011年11月17日 | ☆文学のこと☆

                  
                          鯨塚隣公園内の鯨の石型
 
 1774年(安永3年)から始まった埋め立ての地は、利田新地と呼ばれ、以後人々の居住の場として庶民を支えた

 1798年(寛政10年)5月、この海浜に鯨があがった

 ここ品川沖で暴風雨によって迷いこんだところを土地の漁師に捕らえられたとか。体長は約16.5m(9間1尺)、高さ約2m(6尺8寸)の大鯨。当時の魚市場は近海ものが主流だったろうから、さぞ江戸の人は度肝を抜かれたことだろう。第11代将軍家斉まで見物にきたというから、その驚嘆ぶりがよくわかる。浜御殿まで引かれた鯨も迷惑な話しだろう。

 元祖瓦版も相当刷られ、見物用の舟の値が吊り上げられたとか一儲けできたとか、有象無象の輩やらなんやかや。

 何事もおおらかな時代であった

                   
                           自然石で作られた鯨碑

                       
                               利田神社

 全国に鯨を祀る神社は数多くあれど、都内ではここ品川「利田神社」と、三宅島の鯨神社とある。

 利田神社のもとは、洲崎の弁天さま。広重も書いた弁天様は、沢庵和尚が建てたのが由来と云われている。

 魚の豊漁と重なることから、鯨には霊力があると考えられた。漂着する鯨を神格化して、恵比寿さまの化身とも例えられた。

 午後から始めた旧街道散策も、日が暮れてそろそろ雰囲気もでてきた。

 東海道の出発点を確認し、船着場に向かう

 高層ビル群の谷間、目黒川の舟着場に屋形船が鎮座している。

 往時の俳人、素外の句があった。

                 「江戸に鳴 冥加やたかし なつ鯨」
 
 さあ、ようやく宴会だ

 今宵は飲もうぞ

 次回は、屋形船。 ご期待を

                  「目黒川 歩いた果ては 秋鯨」
                             海光



                     北品川橋から眺める屋形船 


  2011年TOTAL RUN 1870.4km   11月17日現在 


旧東海道を往く 中編!

2011年11月15日 | ☆文学のこと☆

                

 旧東海道を青物横丁から歩き、目黒川を渡り北馬場へ遡ると品川宿の本陣跡がある

 ここに江戸の大名から小商人まで骨を休めたのだろう。

 どうやら伊藤博文など時の政治家も品川の妓楼をよく利用していたらしい。政ごとの中心地から離れて密談の場所も兼ねていたのだろうか

                    

 この日は「養願寺」の縁日だった

 品川神社に続く、養願寺界隈の寺道にたくさんの露天商や、落語やら、大道芸やら催されている。

 朝とりの寒しじみは目黒川に停泊する漁船から取れたもの。目黒川の河口のものやいかん、未確認。

                          幕末太陽傳のポスター

 縁日の屋台や桶屋を冷やかしていると、映画の告知ポスターが目に入った奥では寄席が始まる直前だ。

 1957年(昭和32年)に封切られた「幕末太陽傳」という映画。フランキー堺主演、ポスターのセンターには左幸子。南田洋子、高杉晋作役の若き石原裕次郎という豪華キャストの面々。

 デジタル復刻版で、師走の12月23日に都内各所で上映予定。この日みて歩いた、品川宿を舞台にした一作。

 これは断然観るっきゃないねえ。モノクロですが、お正月映画にぴったりじゃねえですかい


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                   品川神社

 大黒さまがお守りくださるのは、源頼朝以来の土地の鎮守「品川神社」

                         急な階段

 本社神輿は平成の今上天皇明仁さまが皇位継承された時以来、老朽化のため出ていない。

 当時の写真をみると、この階段を神輿が宮出し、宮入りしていたようだ。

 荒い担ぎ手の多い三社祭には慣れっこのあっしだが、この階段をよくもまあ。それを想像するに、氏子たちの熱気と活気が伝わってくる。

 南の天王社「荏原神社」に対し、北の天王社と呼ばれてもいるそうだ

                    お富士さん

 浅間神社でもあるのだろう。富士講があった

 それにしても、かなりご立派な富士山である。

                      登山道
                             足神様

 まずは登山道に足を踏み入れる。急坂を、一合目から登る。草鞋を奉った足神様が見守ってくださった。

 品川宿から東海道をのぼる頼朝公、家康公、大名や商人などたくさんの人々が参って旅に出たのだろう。

 いったい、先代たちはこの祠にどんなことを願ったのだろうか。

           
                  峻烈な坂                      見下ろすと怖いほど


                             山頂から参道の眺め

 第一京浜は幾度も通った道だが、品川神社にこんな眺望があったとは。

 線路がなければ参道が、さぞいい風景とみえたことだろう

 屋形船から、東海道を散策する計画が、思わぬ収穫となった

 縦札にあった、品川ねぎにかぶ、大崎にんじんに、戸越たけのこと往時の入植者が苦労して育てた名産も知れた。

 江戸の息吹を感じるために、あちらこちらを歩いてみるのもよかしかろう


                    

        
                   「旅立ちの 秋ぞ参るか 北の寺」
 
 


旧東海道を往く! 前編

2011年11月13日 | ☆文学のこと☆

                    荏原神社のお祭り
                    海に入る御神輿
                    元気な子ども神輿

 11月12日(土)のこと

 全そ連のお仲間、弾前さんから誘われ、北品川の屋形船に乗る事になった

 せっかく品川宿に行くのだからと、元祖歴女であり、時代考証の達人、同じく全そ連のお仲間、優女さんと旧東海道を歩く

 街道沿いの宿場案内所で、このあたりの昔の写真が展示されている。

 荏原神社は御神面をつけて天王洲沖海に入る渡御することでつとに有名。あっしも一度は担いでみたいが・・・せめて来年は見学くらいしたいなあ。

               
                   恵比寿さま                   荏原神社

 地元三社の大人も子どもも人手が足りなく、神輿同好会に頼る情けない昨今。ご覧の写真のように、いなせで威勢のいい町の衆はどこへやら。東北でも祭りは復興への活力になっているようだ。まずは、こんなところに日本人の強さを再確認したらどうか。 

                    浮世絵にみる洲崎品川宿
                          沖合いの舟の数に驚く

 歩いた旧東海道は、すぐそこが海であったのだ

 松に妓楼に、なんとも風情があるではないか。

                     
                                   品川の汐干狩り
                     
                             東海道の海を行く蒸気機関車
                     
                               大正5年の品川駅前広場
                   
                                   都電に安全地帯

 ついこの前、明治生まれの曾祖母が生きていた時代には、浮世絵のように潮干狩りができていたのだろう。

 あさり汁、書き上げたばかりの創作にも出した。交じりっ気のない汐の香りが堪能できた江戸の食はさぞ贅沢なもんなんだ。

 ヘドロに、水銀、ダイオキシン、はてはセシウムやらプルトニウムやらなんとやら。。

 人は進歩しているのか退廃を辿っているのか・・・、文明は進化しているのか退化しているのか・・・。

 大きな父の手に引かれ、雷門の仁丹塔の安全地帯で都電を待ったセピア調の思い出が、いま妙にあったかく思い出される


   
                「洲崎採る あさりにしじみ 笑い声」
                              海光


江戸のヴェニス 深川 vol.2

2011年11月09日 | ☆文学のこと☆

                                           
                             江戸蕎麦切りの屋台 

 今日は全そ連らしく、そばのはなし

 江戸の中期頃から、それまで蕎麦がきなどで食していた蕎麦が、本格的に現代のような麺状で商売されるようになった。すると、新しもの好きの江戸っ子たち。一躍、町人たちのファーストフードとなったのだ。

 前述、品川宿まつりでも紹介したが、蕎麦切りの屋台というものは重い

 当時のお人は、あっしよりも背も低かったはず

 その体で陶器の器やら、茹でる釜鍋やら、食材をのせてよく運んだものだなあ。

 もっとも、出す場所も決まっていたようだから、近くに常置していたのかもしれない。そんな文献もある。

              
                 器やそば猪口に箸               釜に七輪

 江戸は男やもめが多く、ゆえに外食産業も盛んだった。それはいまでも東の都となって受け継がれている。

 夜っぴて寒空のなか、南部風鈴の音に惹かれ、蕎麦屋を目指す人も多かったのではないかな。

 虫売りや風鈴売りを真似て、風鈴を鳴らし始めたことから、風鈴そばとも云われた。
 
 廓に売りにくる夜鷹そばを、新吉原の言葉で「御神楽」と呼ぶ。御神楽の獅子(四四)から十六文そばが生まれたのかもしれないなあ。

 昼間の蕎麦屋は待ち合いに使う江戸の喫茶店。

 大人の夜は夜鷹そばの出番ってやつでさあ

                    稲荷すしの屋台 

 裏店の女房、子ども、大店の小僧さんたちのファーストフードは、稲荷すしや天ぷらだったのだろう。

 小腹が空いたときのおやつは、いつの時代も庶民の味方なんだ
 今夜は、天下御免の手打ち蕎麦で、一杯飲りに、鶯の里へ参る

 蕎麦屋でぬる燗。やっぱりいいもんだなあ

                     「新月や 急ぐ旅なし 夜鷹そば」
                                                     海光 


生を描く!

2011年11月06日 | ☆文学のこと☆

                     
                           「末期の水と夏の庭」 しなおかななし著 

 圧倒された

 2010年の季節風大会「はじめの一歩」分科会でご一緒した同人から、2011年の大会作品を送ってもらった。推薦作に決まったという作をどうしても読みたかったのだ。

 私小説に近い作者の内に肉薄した手応えを感じた。

 独白形式で進められる作風に忽ち引き込まれる

 懐かしい故郷の佇まい、懐かしい人の匂い、窮屈さと開放感を併せ持つ、親族の集まり。

 一見親密で屈託ないけど、どこか他人行儀で慇懃無礼な感じが、親戚付き合いだろう。あの感覚はしなおかさんの描く主人公にとっても同種のもののようだ。

 人は生まれながらにして、死に向かっている。池波氏はそれを時代を超えた普遍として、犯科帳や剣客商売に書いた。

 しなおか氏は、坦々と綴る、簡素な文体と綿密な構成でそれを描く。死をこんなにも安らかで鋭角に抉る文章を書く人が現れたのだ。

 ご本人は謙遜して暗としたが、昨年の作品の蒙昧とした暗さはない。少なくとも筆者にはそう感じた。

 そう、この作品はどんなことがあろうとも今日を生きる強さと明日をむかえる脆さを訴えているのだ。

 まだ荒削りだが、世界は完成されている。

 こんなにも見事なまで、死に立ち向かえるなんて、震えたぜ、しなおかさん。

 洗練、優雅、純潔、清浄、沈黙、幸福の意味を持つクチナシこそ、しなおかさんに相応しい花だな、そう思った。
 
 才能に出会った。

 描き方はちがうが、書くことの真の意味の根底に共感する。

 魂が奮い立つ。

 しなおかななしさん、大会推薦、季節風への掲載おめでとう。

 そして、素敵な作品を書き上げてくれて、ありがとう

 あっしも書くしかないな


                  「くちなしの 花より香る 命かな」
                              海光




  2011年TOTAL RUN 1808.4km   11月06日現在 


赤門のとなりで!

2011年10月30日 | ☆文学のこと☆

          生原稿

 10月29、30日東大の赤煉瓦の正門を眺めつつ、本郷の旅館に通った
 同人「季節風」の大会が行われたのだ

 2011年のテーマは、「思いを言葉に!」

 今年でなんと第33回目というから凄い歴史だ。老舗鳳明館の風格が季節風の連綿と続く歴史を物語っているようである。

 100名もの名うての書き手が全国から自信作を引っ提げて、続々と集結する。

          
                   鳳明館 森川別館

 

 筆者のような通いもいれば、遠方の同人は泊りがけという学生の合宿さながらの場。

 筆者が参加した分科会は、「そこが知りたい分科会」。

 数多くの書を出され、取材や創作の講師として全国を飛び回っている、人気作家の高橋うらら氏が世話人の会だ。

     

 そこが知りたいでは、総勢6名で2日間、書き持ち寄った作品を合評する。

 それぞれの作品をレベルアップさせるため、多方面からの意見が飛び交った。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 そして・・・初日の晩餐は、書き手と編集者がそろっての大宴会!?もとい、懇親会

               秋田の逸品

 全国から集まった同人が、有名無名のたくさんの正宗を差し入れてくれる

 秋田の同人が持ってきた銘酒は、よほど丁寧に磨いてあるのに、10年と寝かせた年月がたゆまないコクと上質の澱を昇華させ、大樹の黄金を纏っていた。
 口にふくむとまろやかが広がり、大吟醸なのに舌へベタつかない甘さのバランスが絶妙だった。 
 品のある辛さは味わったことのない至福の時を運んでくれる。値を云うと「ひええ」となるのであえて云わない(笑)

 もう一生飲めないだろうな、って思うほどの静謐な大人の岩清水とだけ記しておく。

 井嶋先生、ありがとう。

 良質の酒精が、同人との愉しい会話を包みこんで、一向に文学熱が冷めない。

 筆者もそれなりに熱い思いを持っているつもりだが、毎度のことながら、女性陣のパワーには圧倒されっぱなし。男子の少ない同人だけに、がんばれ、男の子といったところだ

 熱い思いは尽きず、午前さまになっても座に残るもの多し。気づいたら・・

            総会

 わが分科会では2日目のお昼も世話人が買ってきてくれたお弁当とキリンラガーで、打ち上げと称し、会の成果に気勢をあげた。

 文学から四方山まで話がつきない。自分にはみえなかったたくさんのヒントをいただいた。

 真摯に作品を語り、ご助言をくだすった世話人の高橋氏と分科会のメンバーに、心から感謝したい。

 書き直し、書き加えたいものがたくさんみえた。

 すぐにでも始めたいが、まずは109号への投稿を進めるのが先決だろう。


            「赤門に 集う思いや 竹の春」
                        海光


           

 大会初日に「たまゆら」で第18回島清(しませ)恋愛文学賞の受賞のあった、あさのあつこ代表がお昼頃到着し、総会の場で高橋秀雄氏から花束が贈呈された。

 同人の拍手と笑顔が代表を温かく迎える。

 その代表からは、児童文学を続けてきた季節風の意気と意味を、小池真理子氏との対談で再確認したと言葉があった。

 書き続けよう。

 結局、そこにしか答えはないのだから・・・

 追記

 幹事会の皆さん、どうもお疲れさまでした。同人の皆さんもお疲れさまでした。

 そして、大会委員長の工藤さん。

 会場の旅館も代わり、陰でご苦労が多かったはず。本当にお疲れさまでした。

 季節風に入会できたご縁に感謝しつつ。。



  2011年TOTAL RUN 1742.4km   10月30日現在  


江戸のヴェニス、深川  前編

2011年10月28日 | ☆文学のこと☆

                  お月見

 9月の中日、かつての水の都、深川に向かった

 取材で、深川江戸資料館を訪ねたのだ。

 両国の江戸東京博物館はお江戸の日本橋を再現した迫力とか、江戸と旧き良き東京を詳細なミニチュアでみせるとか、あれはあれで面白い。ただ、毎度の1400円は高い。家族で行くと大変なもんだ。

 そこへ行くと、深川はよかった。観覧料も300円と庶民派。そこがいかにも深川らしい

 展示物も、派手で奇をてらったものでなく、江戸末期天保の深川の町を丁寧な職人技でこさえたもの。

 ここの建築当時の映像が見られるので、一度ご覧になられると作り手のこだわりにこころ打たれると思う。

 立派な火の見櫓から、猪牙舟が浮かぶ掘割、町木戸、裏店の木戸、大小さまざまな長屋に視覚と体で触れられるのだ。

            
 
 まさに、江戸そのものを体感できる場所と云っても過言ではない。

 9月のこの日は旧暦で云うと、8月の15日に近い

 それで、この写真のように、十五夜のお月さん、中秋の名月の月見団子となるわけだ。

 芋ではじまったお供えだが、団子に定着して万人に受け入れられたのだろう

        いなりずしの屋台
                        天ぷらの屋台

 当時も今も、屋台は子どもから大人まで、江戸の民衆のおやつの王道である

 ベタベタとした手を、橋の欄干に擦りつけるなんざあ、江戸っ子のあかしってことよ
 
  有名な江戸川柳を一句。

                              「天ぷらの 指を凝宝珠へ こすりつけ」

                      

 
                  「紅染まる 階段見上げ 牡蠣そばや」
                                海光

 どんなに嫌なことがあっても、日は落ちて、また昇る。

 秋晴れ後の夕暮れは時代を超越して美しい。

 今日でサラリーマンの一週間もお仕舞い。

 明日の愉しいことを思って一杯飲ろう。

 赤門前の老舗に集う同人。

 再会する同人たちの顔を思い浮かべて酒を飲む。

 素敵なひとときに感謝


 

  2011年TOTAL RUN 1723.4km    10月28日現在  

                 


ロールサンドは初恋の味!?

2011年10月26日 | ☆文学のこと☆

                    

                 「男子弁当部」オレらの初恋ロールサンド弁当

             著 イノウエミホコ 画 東野さとる


               2011年8月第1刷 ポプラ社刊

 
 待ってましたの、弁当部第三弾は、ついにソラの恋が描かれていく
 
 相手は誰だって?そんな野暮なこと云う輩は、1巻から読み直してもらおう

 今回は弁当部初尽くしが目白押し、ファッション誌のモデル撮影のシーンは、大人顔負けの演出

 古畑任三郎風に云えば、水波リヒトが今回のゲストといったところか。いやあ、顔もいい、性格もいい、ホント我々庶民派の男の敵でございますな

 相変わらず、ノー天気なユウタと、こんなやつが側にいたら、揉め事など起きないのにってくらい、気の回る高野も健在でうれしい限り。でも、途中で気付くけど、ユウタって、案外、人のこと観察してるんだね。こいつはいいやつだ。おいらも友達になりてえ。
 

 気になるソラの恋は読んでからのお楽しみとして、意表をついたロールサンドはつい作ってみたくなりやすなあ

 さらに、表紙裏に掲載されているフルーツ占いに胸どっきゅん

 う〜んと、唸って、こいつは誰が考えたんじゃい!とつい突っ込みを入れたくなったのはあっしだけでしょうか。当然作者なのだろうが、仕掛け人は某編集者じゃなかろうか。

 シリーズが続くと、魅力が半減していくハリウッド映画なんて多くございますが、このシリーズはなんとも複雑なスパイスの調合が絶妙に絡まり効いて、弁当界の求道者として席巻する予感

 そそ、某「男子食堂」最新号のインフォメに載っていたのだけど、来月5日「恋する弁当男子」なる映画が公開予定だそうな。(http://movie.nifty.com/cs/catalog/movie_movie/catalog_157845_1.htm

 「男子食堂」も、第2回雑誌大賞において、「TREND MAKE MAGAZINE」を受賞した。

 益々、男子弁当部に追い風、順風満帆って感じだ

 そろそろ全国の食材や料理を巡る旅、万遊記に入ってもよろしいのでは? 

 そんな取材あっしがいきてえ。

 イノウエさん、これからも期待してまっせ


          「秋ロール 鮭に松茸 恋かけて」
                    海光

 

 

  2011年TOTAL RUN 1713.4km    10月26日現在  


動物園は通学路!?

2011年10月24日 | ☆文学のこと☆

                      
                      

                         文 漆原智良 画 いしいつとむ 

                  2011年9月30日第1刷 アリス館刊

 これは東京にある、小さなどうぶつえんの物語。これが実在する動物園なのだ

 羽村市にある、羽村市動物公園のこと。

 園長の林さんが「お花と童話が好き」と云うなんとも魅力ある人物なのだ。

 ここには、今も外交で話題になっているパンダのような、所謂人気者がいない。

 でも、サルやキリン、豚、そのほかたくさんの動物たちが見られるだけで筆者は十分だと思う 

 童話をモチーフに、動物園を童話の国に変えてしまう園長さんの活躍が見物だ。お花好きだけに、本格的な花壇をこさえる手腕はさすがだが、旧い線路の枕木を使っちゃうあたりが温かみがあり、等身大って感じでいい

                

 見開いて、本の視点をかえるだけで、小さい動物園ながらも、スケールのでかいキリンの迫力が伝わる。これぞ絵本のマジックだな。


 
筆者は狭い檻で元気のない動物を見るのがなんともやるせなくて、悲しくなってしまうのだけど、子供たちと一体で楽しめるここ羽村の動物園は動物園の理想に近いのではないか。派手さを競ってないのが微笑ましい。


           
「柿食えば ヒトもおサルも 笑顔かな」
                           海光


            

 最後は通学路になってしまうなんて、本当だろうか!?

 目を疑ってしまう。

 この絵本のページを開くと、そんな素晴らしい動物園が君の部屋に現れるんだぞ。

 これって、すごいことだよ、ねっ

 そういえば、昭和の昔、あっしがガキの頃は、浅草花やしきは入園料もなく、自由に通り抜けることができた。鬼ごっこやかくれんぼ、魚釣りなど懐かしい。  

 ドラえもんに出てくるような空き地もなくなり、公園では野球やサッカー、球技はしちゃダメという現代。道路は裏道マップに載り、クルマがひっきりなし。

 いったい、都会の子どもたちにどこで遊べというのか。

 これでゲームばっかやってと、子どもを悪しくいうのもチャンチャラおかしい。

 羽村の動物園のような大人の余裕がほしい世の中ですな。

 

 作者の漆原先生は、筆者と同じ浅草生まれ。江戸っ子先生はやはり粋な仕事をなさる。

 この絵本を読むと、きっと羽村に行きたくなること請け合いだ。

 あっしもいつか行ってみたいもんだ


                             

  2011年TOTAL RUN 1703.4km    10月24日現在  


同人「季節風」108号!

2011年10月24日 | ☆文学のこと☆

                           

                               同人誌「季節風」108号

 季節風の最新号が届いた。秋の紅葉や柿をイメージした色が映える

 2010年の6月、後藤さんに入会したいと、メールを送った。

 すぐに、快いご返事を賜った。

 その時の後藤さんはもういない。

 一年間、季節風に投稿し、研究会に参加し、先輩たちに学ばせてもらった。

 ヨチヨチなのを、承知で、一年投稿し続けたお情けか、はじめて掲載することが叶った。

 ようやくスタートラインといったところか。

 でも、これでやっと晴れて同人の一員になれた気がする。

 まだまだこれからだぞ、と激励を込めての掲載と心得、精進を続けようと思う。

 佐野さんの評は、あっしの目指したいものをよくぞ捉えてくださっていた。

 あさのさん、江戸情緒がもっと醸し出せるよう、心に留めやす。

 恐れ多くも、今号で、あさの代表の書評も書かせて頂いた。

 同人誌にてめえの名が載る、これだけで大きな励みになるもんなんですなあ


                  「夢覚めて 形を目指す 秋の暮れ」
                               海光