昨日の地元紙京都新聞に、気になる記事がありました。
「臨済宗妙心寺派の管長に就任した嶺興嶽氏(71)の晋山式が24日、京都市右京区の大本山・妙心寺で営まれた。臨済宗各派の高僧や檀信徒たち約1200人が就任を祝った。」というものです。
新管長は、緋色の衣と金襴の袈裟で、境内を練り歩いたそうです。
京都新聞の写真です。
私は不信心者ですが、坐禅会で妙心寺にお世話になっています。
しかし、権威付けの色衣をつけ、本山配下の禅僧を従えて歩く姿は、失礼ながら、現代の花魁道中のようです。私の一番見たくない光景です。
臨済宗中興の祖、白隠禅師、そして信濃信州飯山に住んだ白隠禅師の師、道鏡慧端禅師も、権力を嫌い、物ももたず、地位も名誉も求めなかったと聞きます。
この禅僧たちは、生涯色衣を持たなかったのではないでしょうか。
私は批判めいたことはブログに書かないつもりでいたのですが、、、、。
私の独り言でした。
一休禅師も、檀家さんのところに最初ぼろな服を着ていくと、「乞食坊主」と叩き出されたので、次に「立派な衣装」を着ていくと上げ膳据え膳な扱いをしてくれた。そこで「立派な衣装」を檀家さんの家に投げ捨てて帰ってしまったとか。その檀家さんは「立派な衣装」に価値を求めたのであろうという意味で。
でも我々も、なかなか「京都で定年後」さんみたいな心境になれず、管長とか名刹の師家または老師を崇める。肩書き重視・・・・・禅の世界でも!
加藤耕山老師なんか、名利を求めず、建長寺派の末寺それも本当に鄙びた田舎寺の住職をして、在家の信者に公案入室を指導しなさっていましたね。
私は、単純で何も考えない達なので、華やかだな素敵だな、時代絵巻をみているみたいだなと感激をいたしました。結局私は、俗に乱れているんですがね。
こんにちは。
この種の儀式と仏教とは全く関係のないことだと思っています。
京都で定年後生活