京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

現代の花魁道中

2014-05-25 06:09:35 | 定年後生活


昨日の地元紙京都新聞に、気になる記事がありました。

「臨済宗妙心寺派の管長に就任した嶺興嶽氏(71)の晋山式が24日、京都市右京区の大本山・妙心寺で営まれた。臨済宗各派の高僧や檀信徒たち約1200人が就任を祝った。」というものです。

新管長は、緋色の衣と金襴の袈裟で、境内を練り歩いたそうです。

京都新聞の写真です。





私は不信心者ですが、坐禅会で妙心寺にお世話になっています。

しかし、権威付けの色衣をつけ、本山配下の禅僧を従えて歩く姿は、失礼ながら、現代の花魁道中のようです。私の一番見たくない光景です。

臨済宗中興の祖、白隠禅師、そして信濃信州飯山に住んだ白隠禅師の師、道鏡慧端禅師も、権力を嫌い、物ももたず、地位も名誉も求めなかったと聞きます。

この禅僧たちは、生涯色衣を持たなかったのではないでしょうか。

私は批判めいたことはブログに書かないつもりでいたのですが、、、、。

私の独り言でした。



















最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ポンタ)
2014-05-28 00:02:57
 今晩は、なかなか深刻な記事ですね。「京都で定年後」さんのピョアな性格がわかります。
 一休禅師も、檀家さんのところに最初ぼろな服を着ていくと、「乞食坊主」と叩き出されたので、次に「立派な衣装」を着ていくと上げ膳据え膳な扱いをしてくれた。そこで「立派な衣装」を檀家さんの家に投げ捨てて帰ってしまったとか。その檀家さんは「立派な衣装」に価値を求めたのであろうという意味で。
 でも我々も、なかなか「京都で定年後」さんみたいな心境になれず、管長とか名刹の師家または老師を崇める。肩書き重視・・・・・禅の世界でも!
 加藤耕山老師なんか、名利を求めず、建長寺派の末寺それも本当に鄙びた田舎寺の住職をして、在家の信者に公案入室を指導しなさっていましたね。
Unknown (ポンタ)
2014-05-28 00:07:57
私も学生時代は、「京都で定年後」さんのピョアな考えでした。で在家の禅の団体に参加などしました。禅の名刹も伽藍状態で、禅の坊主も本当の修行をしていないと。でも疲れるんですよね。在家の禅の修行も・・・・真剣なのはいいのですが。というわけで、今は、とある都内の末寺と、自宅の近くの末寺で、月に1回づつ、坐禅会に参加しております。のんびりと。
Unknown (ポンタ)
2014-05-28 00:14:41
 僕は、お世話になっている坐禅会で、老師の臨済禄の提唱を月に1回拝聴しておりますが、無料で、坐禅と提唱後に美味しいお茶菓子とお茶をごちそうになります。長い間お世話になっているので、その老師が、建長寺の管長になれる資格につく儀式に坐禅会に仲間と参加いたしました。ちょうどこの記事の感じでした。建長寺とその派の信者さんと我々500人で、お祝いをいたしました。
 私は、単純で何も考えない達なので、華やかだな素敵だな、時代絵巻をみているみたいだなと感激をいたしました。結局私は、俗に乱れているんですがね。
Unknown (京都で定年後生活)
2014-05-28 12:17:39

こんにちは。
この種の儀式と仏教とは全く関係のないことだと思っています。

京都で定年後生活

コメントを投稿