京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

撮影 3月26 聖護院、金戒光明寺の枝垂れ桜満開

2020-03-29 12:02:13 | 2020 桜


撮影日3月26日の聖護院と金戒光明寺の桜です。
当日は枝垂れ桜は満開、ソメイヨシノは咲きはじめでした。

聖護院
本山修験宗総本山の寺院で、聖護院門跡とも称し、本尊は不動明王です。
かつては天台宗寺門派(天台寺門宗)三門跡の一つでした。
静恵法親王(後白河天皇の子)が宮門跡として入寺して以降、 代々法親王が入寺する門跡寺院として高い格式を誇りました。
明治まで37代を数える門主のうち、25代は皇室より、12代は摂家より門跡となっています。
江戸時代後期には2度仮皇居となるなど、皇室と深い関わりを持ち、現在も「聖護院旧仮皇居」として国の史跡に指定されています。
聖護院は日本の修験道における本山派の中心寺院で全国の霞を統括する総本山です。

枝垂れ桜満開です。






































金戒光明寺
浄土宗の寺院で本尊は阿弥陀如来、通称をくろ谷さんと呼んでいます。
知恩院とならぶ格式を誇る浄土宗の七大本山の一つで、京都四箇本山(他に知恩院、百万遍知恩寺、清浄華院)の一つでもあります。
境内には皇族・公家の茶の湯に使われた黒谷明星水という名水があります。

山門





三重塔





枝垂れ桜満開です。






































撮影日 3月26日 妙覚寺、本法寺、旧小川百々橋の桜

2020-03-29 05:52:00 | 2020 桜


昨日お知らせしましたとおり、27日より花見を自粛しております。
以下の記事は26日に撮影したものです。

妙覚寺の枝垂れ桜
室町時代、永和4年(1378)に四条大宮に創建、文明15年(1483年)には足利義尚の命により二条衣棚に移転し、戦国時代は妙顕寺と同様に大規模な敷地をもっていました。
国宝「洛中洛外図屏風」にもその広大な建物が描かれています。
信長の時代までは13代将軍足利義輝、織田信長、伊達政宗など様々な人物の宿所になっており、千利休による茶会も開かれておりました。
中でも織田信長の一番の定宿であり、信長が京都に来た20数回のうち18回の宿泊をここ妙覺寺でしています。
信長のイメージである本能寺には実は3回しか宿泊しておらず、その3回目に本能寺の変が起こったのです。
本能寺の変の際、妙覺寺には信長の長男信忠が宿泊していました。
天正11年(1583)に豊臣秀吉の洛中整理命により現在地へ移転。
現在も国指定重要文化財の盂蘭盆御書や、狩野派が扉絵を手がけた華芳堂(※京都府指定有形文化財)、趣の異なる3つの庭園など数々の見どころがあります。





























本法寺の桜
日蓮宗本山の一つで、本阿弥光悦作庭の『巴の庭』が有名です。
現在長谷川等伯父大涅槃図が特別公開中です。
境内にはソメイヨシノを中心に植えられ、4,5分の開花でしょうか。

































旧小川百々橋のソメイヨシノ
応仁の乱でここから一条戻り橋までの一帯が、西軍の山名方と、東軍の細川方の主戦場となった場所です。
現在小川は埋め立てられ、橋も解体されてしまいました。













裏千家今日庵のある通りです。