紅葉めぐりがはじまる前に、京都の歴史散策をしようと思っています。
嵯峨野方面を散策していると「千代の古道」と書かれた道標石碑をいくつか目にします。
この「千代の古道」というのは、平安時代に天皇や貴族が北嵯峨野(大覚寺)に通った道を呼ぶということが分かりました。
平安時代前期の歌人在原業平(818ー893)が嵯峨天皇(在位809ー823)を偲ぶ和歌に詠まれた「千代の古道」からきているそうです。
後世にいくつかの道がそれと見なされ、道標石碑が建てられました。
先日古代の道の一つとされる石碑に沿って歩いてきました。
京都市埋蔵文化財研究所が出している「京都歴史散策マップ」の「千代の古道」の散策ルートです。
梅宮大社から大覚寺に向かう道です。

梅宮大社からスタートです。
松尾大社とともに酒造の神として信仰される奈良時代創建の古社です。
嵯峨天皇の皇后が祈願したとされる「またげ石」があり、子授、安産のご利益も有名です。

東の鳥居を出て、神社のコンクリートブロックのところに石碑があります。



民家の建ち並ぶ道路を歩きます。

分岐路にイラストの道標があり、矢印に従い右折します。

古民家のある道です。

民家の前に石碑があります。

突き当たり、畑のなかに石碑があります。


右折し、高田橋を通ります。
愛宕山付近の景色


少し歩くとまた石碑があります。


三条通りの角にスーパーがあリ、店先にも道標があります。


三条通りを左折してすぐ、斎宮神社があります。
伊勢神宮に奉仕する斎宮のために有栖川の辺に野宮を建て、精進潔斎をした旧跡と伝わります。嵯峨野の野宮神社と斎明神社、西院の西院野々宮神社と並んで市内に残る四つの野宮跡の一つです。



三条通りをもう少し歩くと有栖川橋です。

右折し有栖川沿いに北上します。

嵐電の遮断機を超え、山陰本線の遮断機も超えます。


甲塚橋を左折

広沢橋の手前の一角に安堵の塔(ルルゲさん)があります。
甲塚古墳に隠れて難を逃れた日像上人が題目を刻んだと言われる古墳の石窟。
災難避けの功徳あるとされ親しまれています。ルルゲとは龍華(りゅうげ)が訛ったものと言われています。

丸太町通り広沢南野町の信号を真っすぐ北上します。

遍照寺
宇多天皇の孫にあたる寛朝僧正が山荘を改めて創建した寺院で、かつては広沢池を中心に広大な寺域を有していました。
かつては広沢池の近くにありました。

堀川高校グランドのブロック塀沿いに歩くと、左に小山と鳥居が見えます。

稲荷古墳です。
遍照寺の北門横にある古墳。約20mの円墳に冨岡大明神の朱い鳥居と頂部に稲荷が祀られています。

堀川高校グランド沿いを北上して府道29号(広沢池)にでます。

広沢池
遍照寺が建立されたときに造られたとされ、当時は遍照池と呼ばれていました。
古代から観月の名所として知られ、王朝人の遊猟の地でもあったこの池は、あまりの風景の美しさから西行や藤原定家らの和歌にも登場しました。

児(ちご)神社
998年に没した遍照寺開祖寛朝僧正の死を嘆き、後を追って広沢池に身を投げた侍児の霊を祀ったと言われる神社です。


神社の境内のなかに、草に覆われた道標があります。

北嵯峨野の田園が広がる一帯です。
稲刈りは終わりました。

農道の一角にある石碑を左折します。


北嵯峨野高校が左に見えます。

大澤橋を渡り、突き当たりを右折すると大沢池の前に出ます。

大覚寺です。
大覚寺は嵯峨天皇が建立した嵯峨院を改めた寺院です。歴代天皇や皇族が院政を行った門跡寺院であるために嵯峨御所とも呼ばれました。御所跡は史跡指定されています。
現在戊戌開封法会期間中で大混雑しています。

散策距離は4.3kmです。
三条通りの有栖川を北上しましたが、そのまま三条通りを進むこと1.3kmほどで渡月橋に着きます。