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京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

『波佐見焼』美の壺

2014-02-25 06:30:18 | 美術・博物館


ときどき、気に入った内容のときだけ見る番組に「美の壺」があります。

先日、NHK BSの再放送ですが、「波佐見焼」が取り上げられました。

私は焼き物はほとんど無知ですが、見るのは大好きです。
お茶はしませんが、特に井戸や楽茶碗などを素人ながら目で愛でています。

波佐見焼は長崎県波佐見町で、400年以上にわたって焼かれ続けた歴史があるそうです。





九州の焼き物と言えば、伊万里や有田焼は知っているのですが、 波佐見焼のことは恥ずかしながら知りませんでした。
年間生産量全国3位、窯元の数はおよそ100といいますから、焼き物の大生産地なわけです。




でも放送を見ていると、なんとも言えない味わいのある焼き物がとても気に入りました。




骨董通の間で、究極の侘びさびとされるこの茶碗も波佐見焼です。





「コンプラ瓶」
江戸時代、唯一貿易を許されたのが長崎・出島で、そこから輸出用に、しょうゆや酒をつめた専用の瓶が、コンプラ瓶です。





ぼってりした胴体、 ところどころゆがみがあり、なんともいえない味わいがあります。
藍色で書かれた「JAPANCH」(ヤパンス)は、オランダ語で「日本の」という意味だそうです。





また、当然ながら、波佐見焼は国内でも大量に使われてきました。
端正な白に、淡い藍色の絵柄が描かれた皿や碗は、“くらわんか”と呼ばれていたそうです。





これは、江戸時代、淀川を行き来する労働者たちに、「飯食らわんか!餅く らわんか!」と食べ物を売りつけた舟があり、 その時使われていた器が波佐見焼です。
「くらわんか」というかけ声から愛称がつけられたそうです。





この庶民の日常使いの器を讃えたのが、民芸運動の父・柳宗悦です。





柳は、「誠に技巧から見れば幼稚なものといえよう。
だが、日本の染付として最も延び延びした自由なものである。」 と評しています。

波佐見焼は、素朴な自然のモチーフが単純化され、引き算の美にたどり ついたというわけです。











現在の波佐見焼は、料理のプロにも愛用されています。
シェフの方は、「お皿も勝ちすぎないし、料理も勝ちすぎないというか、全部 合わさってひとつのお皿に、ひとつの料理になる、という所だと思 います。」
あらゆる料理に相性が良い、白い器。 これも、波佐見焼の今の姿です。ー





1958年に登場した「G型しょうゆさし」。





装飾をそいだ完璧なフォルム。 真っ白で、柄はありません。
1950年代、華やかさが求められた戦後の日本に現れたシンプル な器は、社会に大きな衝撃をもたらしました。

目指したのは、キレが良くて機動性の高いしょうゆさし。
口の高さや曲がり方などを変え、無数の試作品を作り、機能徹底重 視のしょうゆさしを完成させました。


毎日“道具”みたいに使える、健康的な美しさ。
その思いは多くの共感を呼び、シンプルな波佐見焼は多くの人々が 愛用する器となったのです。