今日は祇園祭がはじまって1150年、令和初の山鉾巡行です。
午前9時過ぎ、長刀鉾を先頭に山鉾23基がくじ取り式で決まった順番に四条烏丸から出発し、四条通・河原町通・御池通を巡行します。
山鉾巡行では神の使いとされる長刀鉾稚児が四条麩屋町に張られた注連縄を太刀で切り、神域との結界を開放して進みます。
稚児は稚児舞(太平の舞)を披露し、山鉾巡行のルートを清め祓い疫病の退散を祈願、囃子方がある山鉾は山鉾巡行中に祇園囃子を奏でます。
巡行途中、四条河原町・河原町御池・新町御池の交差点でしも行われます。
今年の前祭巡行の順番は長刀鉾・蟷螂山・芦刈山・木賊山・函谷鉾・郭巨山・綾傘鉾・伯牙山・菊水鉾・油天神山・太子山・保昌山・鶏鉾・白楽天山・四条傘鉾・孟宗山・月鉾・山伏山・占出山・霰天神山・放下鉾・岩戸山・船鉾です。
今年私は烏丸御池で見学、撮影しました。
長刀鉾
鉾頭に疫病邪悪をはらうとされる、大長刀をつけている長刀鉾。
この大長刀、元は三条小鍛冶宗近が娘の病気の回復を祈願して八坂神社に奉納されたものだと伝えられています。
現在では生稚児が乗る唯一の鉾として知られ、古来より「くじ取らず」の鉾として、巡行では必ず先頭を歩く大役を担います。
前懸はペルシャ花文様絨毯、ペルシャ絹絨毯(古)、胴懸には中国玉取獅子図絨毯、十華図絨毯、梅樹図絨毯、中東連花葉文様インド絨毯など16世紀~18世紀の稀少な絨毯が用いられていたが、現在はその復元品を使用。
見送は雲龍波濤文様綴織が平成17年に復元新調されている。平成20年度に下水引全面の新調が完了しました。
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蟷螂山
蟷螂とは「かまきり」のことで、別名「かまきり山」と呼ばれています。
「蟷螂の斧を以って隆車の隧を禦がんと欲す」という中国の故事にちなんだ山で、からくり仕掛けのかまきりが御所車の上の屋根に乗り、羽を広げ首やカマを動かす姿に人気があります。
宵山ではかまきりがくるりと回って占う「からくりおみくじ」が設けられ、おみくじを引きに毎年多くの人が訪れます。
祇園祭の山鉾としては、唯一のからくりが施されており、前懸、胴懸、見送は共に羽田登喜男作の友禅で、瑞苑浮遊図などです。
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芦刈山
故があって妻と離れて難波の浦で芦を刈る老翁が、やがて妻との再会を果たす謡曲『芦刈』にちなんだ山です。
こちらの会所では、夫婦和合、縁結び、再縁を願う木札が授与されます。
ご神体の衣装は山鉾の中でも最も古く、重要文化財にも指定されています。
現在の前懸と見送は山口華楊原画の段通「凝視」(1986)と綴織「鶴図」(1985)、胴懸は尾形光琳原画の「燕子花図」(1994)。
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木賊山
世阿弥の謡曲「木賊」に由来し、信濃の国で子どもをさらわれた翁が、独りで木賊を刈る様子を表しています。
そのためご神体は悲しげな表情をしていることも特徴です。
また腰に蓑をつけ、右手に鎌、左手に木賊の束を持っています。ここでは、「迷子除け」のお守りが授与されます。
前懸は唐人交易図刺繍、左右の胴懸は平成11~13年に復元新調した中国故事人物図の綴織、見送は中国明代の牡丹双鳳文様綴錦です。
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函谷鉾
くじ取らずの鉾として長刀鉾に次ぎ2番目に巡行します。
古来中国、斉の孟嘗君が函谷関で家来に鶏の鳴き真似をさせ、難を逃れた史話から「函谷鉾」と付けられました。
鉾頭に三日月と山形、真木の中ほどに孟嘗君と鶏がまつられています。
また函谷鉾が、天保10(1839)年に始めて人形稚児を用いた鉾としても知られています。
前懸は旧約聖書創世紀の場面を描いた16世紀末の毛綴で重要文化財を平成18年復元新調。水引は山鹿清華作の手織群鶏図、胴懸は梅に虎を織り出した17世紀李氏朝鮮絨毯、花文様インド絨毯、玉取獅子図中国絨毯の三枚。見送は古く弘法大師筆と伝える紺地金泥の金剛界礼懺文と天保年間(1830~43)にこれを模織した立派なものがあるが最近に皆川泰蔵作「エジプト天空図」を新調。
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郭巨山
中国の史話『二十四孝』のひとり郭巨は、貧しさのあまり年老いた母と幼子を養うことができませんでした。
苦渋の決断の末、幼子を捨てようと穴を掘ったところ、黄金の釜を掘り当てたことで、家族は円満に暮らすことができたのだとか。
そのことから、別名「釜堀り山」といわれ、金運招来の山とされています。
紺地に神紋の日覆い屋根を用い、他の山と違う特徴があります。
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綾傘鉾
山鉾の非常に古い形態を残す傘鉾の1つで、大きな2つの傘と棒振り囃子が特徴です。
巡行では6人の公家風装束をまとった稚児と棒振り囃子の行列が先導し、赤熊をかぶり棒を持った踊り手がお囃子に合わせて、疫病退散の「棒振り踊り」を披露します。
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伯牙山
中国・周時代の琴の名手・伯牙が理解者であった友人の死を嘆き、琴の弦を絶ったという故事『知音』にちなんだ山。
ご神体はまさかりを持ち、琴を割ろうとしている姿を現しています。
その様子から、明治期まで「琴割り山」と呼ばれていました。
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菊水鉾
菊水鉾は町内金剛能楽堂にある「菊水井」という井戸に由来しています。
金色の十六菊が付けられた鉾頭、菊の露を飲んで700年生き続けているという枕慈童で能装束姿の稚児人形、山鉾で唯一、唐破風造りの大屋根を持つなどの特徴があります。
創建当初より菊水井のゆかりから会所ではお茶会(7月13~16日)が催されます。
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油天神山
油小路綾小路通りにあることから、油天神山」と付けられました。
金色の社殿には天明の大火後に町内の復興に尽力した風早家伝来の天神像がまつられ、別名「牛天神山」と呼ばれています。
御神体の菅原道真にちなんで、宵山では学問成就のお守りが授与されます。
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太子山
聖徳太子が四天王寺を建てる際に、自ら良材を求めて山中に入り、大杉の霊木を教えられ、京都に六角堂を建てた伝説に由来します。
他の山は真木に松を使いますが、太子山は伝説にもとづき、真木に杉が使用されています。
宵山の期間は、「杉守り」と「知恵守り」が授与されます。
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保昌山
古くは「花盗人山」と呼ばれていました。
保昌山のご神体である平井保昌は、恋する和泉式部のために紫宸殿前の梅を一枝折り、持ち去ろうとしたところ、武士に発見され、矢を放たれながらもようやく逃げ帰ったという。
ご神体はその盗み去る姿を現しています。宵山では梅の花をあしらった縁結びのお守りなどが授与されます。
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画像が多いので残り11基は明日朝の投稿にします。
後祭は一週間後の23日が巡行です。
山鉾巡行の様子と詳しい説明を有難うございますm(__)m
私も烏丸御池の所で月鉾の辺りまで見物していました。
昨晩、夕立もあったからか時々風もありました。少しむし暑かったですがお天気になってよかったです。
運行される方たちの熱気も伝わってきました。
お疲れ様でした。あとゆっくりなさってくださいませ。
ただただ感じ入りました
それぞれの山鉾の謂れを知ると殊更考え深いものがあります
「芦刈」はネットでもう少し詳しく話を知ったら哀れになりました
他にももっと知りたいものが出ました
しかしよくまぁこんなにたくさん写真も撮って話も書いて・・・ とにかく敬服しました
写真と詳しい説明までありがとうございました。
お疲れが出ませんように・・・
お近くにおられたのですね。
昨日の夜は曇り予報で、にわか雨の可能性もということで折りたたみ傘を持って行ったのですが、晴れて暑かったです。
最後の船鉾までおりましたが、さすがに疲れました。
祇園祭も半分終わりました。
ありがとうございます。
京都に長年住んでおりますが、祇園祭が好きなので毎年山鉾町歩いています。やはり祇園祭のハイライトは山鉾巡行なので、今年も行けて良かったです
ありがとうございます。
ススキ提灯というのがあるのですね。初めて知りました。
今日は曇りで最高気温も30度予想だったのですが、晴れて気温も上がり、33.8度でした。暑かったです。
途中木陰に入り見学撮影しなした。
長刀鉾から最後の船鉾が通るまで2時間かかり、さすがに少し疲れました。
ありがとうございます。