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田中川の生き物調査隊

平成12年3月発足。伊勢湾に注ぐ田中川流域の自然と生き物を調べ、知らせる活動をしています。三重県内の生き物も紹介します。

松植樹とアレチモウズイカ

2006-03-03 | 風景
砂浜に松が植えられている。白砂青松の海岸をイメージし、人々は砂浜に松を植えていく。卒業記念として地元の小学生に毎年毎年、松を植えさせている。洋松が植えられた時代もあった。地域の緑化活動として、文化団体が植樹することもある。家で育てていた盆栽の松を砂浜に移植する人もいる。私も植樹に参加したことがある、不毛の砂漠を緑化している気分になれた。あれ、あれれ、何か変。 2005.6.6 植樹された松が枯れたのであろうか、ある一画に見慣れぬ植物の群落を見つけた。2005.6.6 ビロードモウズイカがひょろ長くなったような感じ。ゴマノハグサ科のアレチモウズイカ。ヨーロッパ原産で南アメリカやオーストラリアに帰化している二年生の植物。 近くにある工場の敷地内にはいろんな帰化植物が見られるという、そこから逃げ出してきたものなのか? 松の植樹活動によって砂の質が変わったために育っているのか? アレチモウズイカ 初採集は三重県

アツバキミガヨラン

2006-02-09 | 風景
アツバキミガヨラン田中川干潟最奥部の風景。
2003.5.30
白い花を豪華に咲かせているのはアツバキミガヨラン(厚葉君が代蘭)、ユッカの仲間、学名はYucca gloriosa 、英名はSpanish dagger(スペインの小刀)。
原産はアメリカのジョージア州で、日本へは明治中期に移入され、庭園樹として利用されてきた。ユッカランと称されることもある。
同じ仲間のキミガヨラン(君が代蘭:Y. whipplei)の英名はOur Load's Candle(主のろうそく)で、Our Loadを「君が代」と翻訳して名づけられたようだ。キミガヨランの名で流通しているものは何種類もあるようである。
アツバキミガヨランはリュウゼツランやキミガヨランとは別種である。
日本では結実しないようだが、根茎で増える。株元で切り取っても、新芽が出てくる。葉先が鋭く尖っているので危険、指で軽く触っただけでも痛い。
温暖地の砂浜を好む。
花は豪華に年2回咲くが、ほとんど匂わない。昆虫類もあまり寄り付かないが、ガガンボの仲間が花ではなく葉に集まってきているのを見たことがある。
在来の海浜植物が生息を脅かされているからという理由で、この帰化植物を根絶させようとしている地域やグループもある。

シオクグ育つ干潟

2006-02-03 | 風景
シオクグ群生田中川干潟の一番奥。
2005.5.8
右手の堤防西から濁った真水が入ってくる、左手からは海水が満ち潮と共にやってくる、いわゆる汽水域である。この辺りは泥深く、長靴でも足をとられる。
堤防際に生える草はシオクグ、カヤツリグサ科スゲ属の多年草。干潟内のそこかしこに見られるが、この場所では他の植物は無く、シオクグだけの純群落となっている。
シオクグこの写真は2005.5.14
ヨシやアイアシの間に育つ花期のシオクグ。
同じ仲間のコウボウシバと良く似ているが、シオクグはそれよりも数倍はひょろ長い。生息場所も異なり、コウボウシバはコウボウムギと同居するように砂浜に育つ。丈の短いシオクグの場合はコウボウシバとの区別は悩ましい。

塩生植物の群落

2006-01-31 | 風景
ハマサジ群落写真手前はハマサジ、中央部はハママツナ。満潮時、ハママツナは冠水する。

田中川干潟の南端、このあたりは泥っけが少なく、隣接する砂浜(写真の右手)からの砂の流入が多い場所。

塩生植物のハマサジ、ハママツナ、アキノミチヤナギ、ホソバハマアカザが群生する。特に、ハマサジの大群落は伊勢湾内はもとより、全国的に見ても誇るべき規模のものである。


ハマゴウ咲く

2006-01-30 | 風景
田中川右岸の砂浜に咲くハマゴウは、元々左岸の海岸に育っていたもの。
左岸の開発が始まる直前に、地元の植物愛好団体が移植した。
2004年7月4日早朝、ハマゴウの育つ砂浜で、ハマボウフウが盗掘にあった。
写真は、その10日後撮影された。
剥き出しにされた砂地の多さが、被害の大きさを物語っている。  

    2004年7月14日 ハマゴウ咲く砂浜 

      ハマゴウの花 ハマゴウ花

砂浜をはうように生育する。クマツヅラ科の落葉低木。芳香がある。
夏の盛り、淡青紫色の花をつける。果実は約5㎜、球形でがくが付いている。
精油を含むため、その実を枕や香袋につめた。
指先でもむと、爽やかな香りがする。若い実は香りが強い。
葉を燃やして、香煙を仏に奉げた、浜香を語源とする説がある。

田中川干潟 観鳥台からの眺望

2006-01-28 | 風景
干潟満潮
右岸の干潟は複数の団体や個人の働きかけにより開発から守られた。
護岸は、背後の干潟への影響が小さくなるように、多自然型の空石積護岸へと計画が変更された。
左岸に生息していたハマゴウは右岸の砂浜に移植された。
左岸開発工事の影響は大きく、何年もの間、右岸の底生生物は壊滅状態となった。
しかし、今、田中川干潟はよみがえった。

全国的にも誇れる塩生植物の群生地。海浜植物が豊かな砂浜は三重県の県鳥シロチドリの繁殖地。アカウミガメの産卵地。
高潮のときは石積堤防が見えなくなる。
干潟干潮
干潮時の干潟
海岸堤防の西側には葦の湿地帯を埋めて団地が造られた。堤防際の排水路からは、よどんだ排水が絶えることなく、この干潟に流れ込んでくる。
ハマシギなどの渡り鳥が群れなすこともある。底生動物も豊富。石積堤防付近はさまざまな幼魚たちもやってくる。

 

消えた干潟

2006-01-28 | 風景

この写真は昭和の終わり頃に撮られたものと思われます.この左岸にかつてあった干潟は失われました。今となっては残された航空写真でしか、その姿を見ることは出来ません。
昭和49年の集中豪雨により上流部において大きな災害が起こり、干潟内での廃船不法投棄などの問題も解消するために、平成元年頃に干潟の半分が消える計画が持ち上がったとき、いくつかの団体や個人が様々な形で動きましたが、計画の流れを止めることは出来ませんでした。工事の設計に多少の配慮は加えられましたが、やむなく同意せざるを得なかったようです。そして当時干潟で生きていた多くの生き物たちが死んでしまいました。
かつての田中川干潟は川の本流と干潟との境がなく、河口の両岸にラグーンが広がっていました。伊勢湾台風後に築かれたコンクリートの海岸堤防は、周辺の海岸一帯にあった植生と清流の流れるラグーンを消滅させてしまいました。今、堤防に沿って流れているコンクリートの排水路がその生まれかわりです。


2枚目のこの写真には左岸の干潟を埋め立て始めた頃の様子が写っていますので,平成元年頃のものと思われます.

ハマボウ咲くマリーナ
消えた干潟はマリーナとして生まれ変わりました。
黄色い花はハマボウ。
田中川干潟を象徴する古木ハマボウにちなんで植栽されたもの。ハマボウは干潟でなくてもよく育つ。ここのは干潟のものよりも一足早く咲き出す。

人魚伝説

2006-01-28 | 風景

マリーナ河芸の敷地内を散策すると、この人魚の像に何度も出会える。小さな像だから、気付かない人が多い。2004.9.23


2004.9.23


2005.3.12 田中川干潟をバックに

この地には今も大別保や中別保の地名が残り、地元では略して別保(べっぽ)と言うことが多い。また、「浦」という小字も残っている。かつては伊勢平氏が支配していた土地であり、津市の産品には平清盛の父である忠盛が生まれたという伝承地がある。

鎌倉時代中期の説話集『古今著聞集』巻第二十「伊勢國別保の浦人人魚を獲て前刑部少輔忠盛に献上の事」に、人魚についての具体的な記述がある。

「伊勢国別保といふ所へ前刑部少輔忠盛朝臣下りけるに 
或日大なる魚の頭は人のやうにてありながら 歯はこまかにて魚にたがわず 
口さし出てて猿に似たりけり 
身はよのつねの魚にてありけるを三喉ひきいだしたりけるを
二人してになひたりけるが 尾なほ土に多くひかれけり 
人の近くよりければ 高くをめくこえ人のごとし 
又涙をながすも 人にかわらず 驚きあざみて
二喉をば忠盛朝臣の許へもて行き 一喉をば浦人にかへしてければ 
浦人皆切り食ひてけり されどもあへてことなし その味殊によかりけるとぞ 
人魚といふなるはこれていのものなるにや」

人魚伝説
2004.9.23

ハマエンドウ咲く干潟

2006-01-25 | 風景

5月の初旬、砂浜に青紫のハマエンドウが咲いています。
来月にはハマボウフウの白い花がこの砂浜を埋め尽くすでしょう。
7月にはハマボウの黄色い花が干潟に咲きます。
真夏にはハマゴウの青い花が見られることでしょう。

2005.5.8