田中川の生き物調査隊

平成12年3月発足。伊勢湾に注ぐ田中川流域の自然と生き物を調べ、知らせる活動をしています。三重県内の生き物も紹介します。

長池の風景 

2013-06-14 | 風景


2013.6.6 長池

津市河芸町北黒田にある溜池のひとつ長池を久しぶりに訪ねた.空梅雨のため今年は水量が少ない.
8年前の秋に撮った写真(下の2枚)と見比べてみた.



2005.9.10 長池

河芸町の鰐ケ池

2013-04-20 | 風景

津市河芸町杜の街にある鰐ケ池

わにがいけ.確か,知人から聞いた池の名前はそんな名前だったと記憶している.山道から池までの間がぬかるんでいて,長靴を履いていないと池には近づけない.丘陵地帯にある静かな湖畔の雰囲気.

杜の街の住宅団地はどんどん広がり,この池に近づいている.国道23号線のバイパス道路もこの池の近くを通るのではないかと思う.農業用の溜池だと思われるので,池が無くなることはなさそうだが,ぬかるんだ湿地帯はどうなるのだろうか.

人々が近づきにくいこの池を私は愛する.
2013.3.22

鰐ケ池を右手に見て,この小道を登っていくと,杜の街の住宅団地に出る.

青山高原の風車

2012-11-07 | 風景

久しぶりに青山高原の湿地帯に出かけた.曇り空で陽が陰って,虫の姿は見られなかった.湿地を巡る遊歩道を歩き回ったが,どこまで歩いても風車が必ず見える.見えるだけではない.風車の回る音が大きく,軋むような不規則で不気味な音が絶え間なくする.風車の数もずいぶん増えたようだ.津市側よりもどうも伊賀市側に多いようだ.

まるで工場地帯のただ中にいるような気持ちになった.本当に気分が悪くなった.これは環境破壊であり,公害だと思った.
2012.11.6













暮れなずむ干潟

2012-11-01 | 風景

大潮の満潮間近か,2012.10.29 17時12分頃の田中川干潟.西の堤防際から河口付近を眺める.


17時10過ぎにマリーナ河芸の街灯がともった.

この場所から、人々は干潟の中へ入っていく.カニたちや貝たちの住処を踏みつけて.魚釣りに行く人.釣りエサを獲る人.貝採りに行く人.鳥を観にいく人.空き缶を拾う人.犬の散歩をする人.

干潟の西北部は、右岸石積堤防工事の際に粘土質の土が入れられた.大小の石や粘土の塊があちこちに残っている.人々が踏み固めた、この付近の土質は干潟内では最も硬く、乾燥もしやすい.石積堤防は自然に優しい工法ではあるが、年数が経つと緩やかに沈み込んでしまう.時々、補修をしなければならない.補修のために、干潟の中に重機が入っていく.

そんな所にも、貝やカニが生息している.
陽が落ちて巣穴の中に入るカニもいれば、暗がりを待って巣穴から出てくるものもいる.


田中川干潟の南端,幾種類ものカニ達が暮らしていた泥干潟の岸辺は,台風の影響で漂着物で埋め尽くされてしまっている.2012.10.29


2005.9.17 17時45分頃,満潮の田中川干潟 この頃のハマボウ二代目はまだ小さかった.

霊園から見える風景

2012-10-25 | 風景

鈴鹿市西庄内町の高台にあるとある霊園から見える風景である.霊園はあまり管理が行き届いていないようだ.遠くの町は,四日市港ポートビルが見えるから四日市港方面だ.伊勢湾の向こう側には,愛知県側の工場地帯もかすかに見える.

2012.10.20

台風一過の白塚海岸

2012-10-04 | 風景

台風17号が通り過ぎた翌日に白塚海岸を通りかかった.なんと海岸堤防際まで砂浜が湖のようになっているではないか.こんな状態になっているとは想像もつかなかった.
確かに,台風が接近した前日の夕方は大潮の満潮と重なっていた.それにしても,ここまでとは.
その翌日でも砂浜の中央部の水は引いていたが,堤防際にはまだ池が残っていた.

この辺りには希少な動植物が生息している.きっと彼らに少なからずの影響は出ていることだろう.

2012.10.1



阿漕浦海岸

2011-12-31 | 風景

阿漕浦の堤防道路を通った。砂浜は清掃されていて流木も見当たらない。この海岸はボランティアグループが熱心に手を入れていると聞いている。熱心すぎて、園芸植物や盆栽の木まで植えているらしい。

この海岸はかつてアマモの漂着が多くみられ、アマモを食べるハマベゾウムシのタイプロカリティはこのあたりの海岸で採集されたものである。しかしもう40年以上も採集記録が無いようで、三重県ではすでに絶滅していると考えられている。毎年5~6月頃になると、ハマベゾウムシの姿を求めて漂着したアマモをひっくり返しているが、まだ見つけたことはない。

雲出地区にある造船所もこの海岸からは近い。大きなクレーンに「好きです!津の海」の標語が書かれている。この造船所にはかつて多くの知人が働いていたが、リストラされたり、会社名が変更されたりして、転職したという話をよく聞かされた。

あくどいとかヒドイという意味の「あこぎ」の語源となった阿漕平治伝説の地でもある。

2011.12.17

台風6号が砂浜を侵食

2011-07-22 | 風景

台風6号は通り過ぎていったが,大型でスピードがゆるかったので荒い波が長く続いたために,この辺りの砂浜は激しく侵食されてしまった。
芦原海岸に突如現われたこのコンクリートの構造物は,これまで見たことが無かった。昨日までは砂浜の下に隠れていたものである。

通りかかった古老の話では,「これは昔の排水口。堤防際を流れる水路は,芦原排水機場ができるまではここに流れ込んでいた。土管の一部がむき出しになっているやろ。こんな所に排水設備があったなんて,あなたは知らないやろなあ。」

少なくともここ十数年の間で最も激しく砂浜が侵食されたことは確かである。
2011.7.20


田中川干潟の雪景色

2011-02-14 | 風景

2011.2.14 田中川干潟にも雪が降った。水っぽい雪だが,すぐに景色は白くなった。

先日,『伊勢の海県立公園(学術調査報告書)』(矢頭献一著昭和50年3月三重県発行)という文献を入手した。
それによると,「東千里の南には約20haほどの広大な干潟と砂浜とがあり,この砂浜にもハマボウフウ-コウボウムギ群落が成立している。これは本県立公園内最大の砂浜及び干潟で,植物・動物生態学的見地から学術的価値の高い場所と判断され,この自然公園内の重要な部分と考えられる。」
また,「現在特に自然公園として自然環境の保存の良好な場所」の一つとして「河芸町東千里と中別保との中間の干潟に接する海岸」を挙げ,「砂浜海岸植生の成立の良好な場所,典型的な植物群落を示す場所」だと指摘している。
矢頭氏は同書で,「今後,この公園を如何に扱うかは慎重な考慮の上で決定さるべきであろう。これはこの県土を永く守る意味において忘れることのできないことである。」と結んでいる。

この公園の正式名称は「伊勢の海県立自然公園」といい,昭和28年に指定されている。指定直前の13号台風と昭和34年の伊勢湾台風の影響で,公園内の自然環境は大きな被害を受け,さらに破壊された自然堤防は全てコンクリートの防潮堤に変えられてしまった。


干潟の中央部。ヨシ原が広がり,その間を澪筋がうねっている。




干潟の西にある池。元養鰻池だが,もともとここは海跡湖。


カワウたちも雪をかぶっていた。

赤野島へ渡る

2011-01-18 | 風景

9人の生物調査員が紀伊長島の海野漁港から赤野島へ渡った。
赤野島は3つの島が細く繋がった島である。干潮時なら繋がって見えるが,満潮時は手前の島が孤立して見える。最も沖にある島はカワウの営巣地となっていて,糞害の影響を受けている。

この赤野島でもドブネズミが生息していることが明らかとなった。100個の仕掛けの一つにかかっていた。最も陸地に近い島だから,泳いで渡ってきたのだろうと何人かが言っていた。

この島に着いて最も驚いたことは,一ヶ所に魚の骨が大量に散らばっていたことである。小魚のものではなく,大きなボラくらいの骨ばかりである。鳥に詳しいHさんでも驚いていた。トビの食事場ではないかと言っていた。

昼過ぎから風も冷たくなり,雪も降ってきた。
ハマゴウの群生地もあったので,次回の調査が楽しみだが,次回があるのかどうかもよく分からない。
2011.1.16

トビの食事場あたりから対岸の陸地側を望む。


大きめの岩を動かすと,何種類ものカニたちが見つかった。カニ屋がいたら,喜ぶだろうなあ。








前方,島と島の間は礫浜となっている。礫浜の左側にはハマゴウが生えている。右手の島がカワウの営巣地。


手前に,ハマナタマメが生えている。


吹雪いてきた。
「こちらのほうがいろいろ見つかりそうですよ」と,女性調査員が私を案内してくれた。

ナツツバキが植わる円光寺

2011-01-02 | 風景

津市河芸町上野の円光寺境内

NHKの大河ドラマ「江」が1月から放映される。主人公の「江」は徳川家光の母である。また,織田信長の妹お市を母に,浅井長政を父に持つ。1574年に伊勢上野城にやってきたと言われている。その「江」にゆかりの有る円光寺境内にキャラクター「ゴーちゃん」の幟が立てられている。「ゴーちゃんあられ」などのみやげ物も売られている。
この日はあいにく誰も居なかったが,いつもはボランティアのガイドが居てくれるようだ。

本堂の前に何本ものナツツバキが植えてある。
今年の6月には,ナツツバキの白い花を見に出かけようと思っている。
2010.12.15










中ノ川河口周辺

2010-12-13 | 風景

津市河芸町の海岸堤防は,鈴鹿市の中ノ川の数百m手前で通行止めになっている。ゴミの不法投棄を防ぐための対策である。ここ数年の傾向だが,とにかく車両の進入を止めることばかりやっている。
そんな訳で,しばらく車で乗りつけることが出来なかったため,久しぶりに中ノ川河口が見えるところまで歩いてみた。
堤防際に生えているセンダンがすっかり落葉して,青い実がびっしり付いているのが目立った。
堤防の西側には元養鰻池があって,例年ならこの時期はたくさんの冬鳥が訪れるのだが今年はちょいと事情が異なる。
連日,ダンプカーが次から次へとやってきて,この池を埋めているのだ。年明けには池は完全に姿を消してしまうのではと思われる。
この池にはきっと多くの水生昆虫たちが暮らしていることだろうに。
2010.12.10










紀伊長島の大島

2010-11-16 | 風景

手前の岩の間に見えている奥の島が長島大島である。

許可を得て,生きものに詳しい人たちが生物相の調査のため,大島に入島した。
上陸後,最初に見つかったのはアカウミガメの卵の殻。豪雨で砂が流されて,産卵巣が地表に出てきていたのだ。この島でアカウミガメの産卵が確認されたのは初めてのこと。孵化率は悪かったようで,生育途中の個体たちが多く見つかった。また,腐敗臭もしていた。

この島ではドブネズミが繁殖していて,その調査は一部の人によって一泊二日で行われた。ドブネズミの体長が尻尾を含めないで約350ミリほどの個体も見つかったと聞いた。120個のネズミ捕りを仕掛けて,7個体の生息が確認できたという。陸地により近い付近の島では発見されていないので,陸地から泳いで渡ってきたとは思えない。島内には歩道が整備されているので,その工事資材に紛れ込んでいたものではないかと推察される。乳腺が発達していた個体も見つかったと女性調査員から聞いた

2010.11.12

右奥が大島


船はこの浜に突っ込んで止まった。舳先が低い船なので,乗り降りは比較的たやすかった。


豪雨があったとみえ,砂浜の中央部が川底のように掘れていた。


アカウミガメの孵化率調査を行っているところ。


「国指定天然記念物 大島暖地性植物群落」の立て看板。周りにハマユウの株がたくさん生えていた。




長い長い階段を登っていくと,頂に灯台がある。翌日に筋肉痛となった。


「長島大島燈台 初点 昭和29年3月 改築 昭和51年3月」のプレートがあった。

海野漁港

2010-11-15 | 風景

紀北町紀伊長島区の海野漁港

海野漁港に着いたのは朝の7時過ぎ。無人島への船に乗せてもらうのは8時過ぎだから,思ったより早く到着した。
イセエビ漁のエビ網も手入れが殆んど終わっていて,人が少なくなっていた。「変わったカニは居ないですかねえ」とおばあさんに声を掛けると,「深い所に網を入れた時はいろいろ変わったものが出てくるけど,今日は何も無い。」と答えてくれた。
「これから大島へ渡るんです」と言うと,おばあさんが「あの辺りはいろんなものが獲れる」と答える。なぜそんなことを知っているのかと尋ねると,「昔は海女をしていて,大島周辺で潜っていた」と言う。

8時前になり,顔なじみの人や名前を知らない人たちが集まってきた。さあ,大島へ向かうぞ。
2010.11.12

答志島の奈佐浜とヤマトタチバナ

2010-10-16 | 風景

答志島の奈佐浜

長者ケ浜へは以前に行ったことがある。とにかく砂浜が見たかった。このたびは和具港から奈佐浜を目指して何キロも歩いた。高台から見えた奈佐浜は素敵だった。
清掃工場があって,そこで働いていた人々が休憩していたので,ここの浜は何と言う浜ですかと尋ねると誰もが知らないと言う。全員名古屋から来た作業員だと言う。

「奈佐のヤマトタチバナ」という看板が見えたので,ここが奈佐浜だと確信した。
看板の矢印どおり進むと,ハマボウの群落があった。ヤマトタチバナの木が見当たらなかったので,草刈をしている地元の人に尋ねると,「あの山の上,そしてあっちの山の上にも有る」と教えてくれたが,もう私の足は靴擦れのためこれ以上歩くことは諦めざるを得なかった。

「道路脇に何本も植えてある」と聞いたので,帰り道に確認できた。

足が丈夫になったら,今度は桃取港から2ヶ所の砂浜を巡りたいと思っている。
2010.10.10

奈佐浜は漂着ゴミだらけで砂が見えない有様。あの山の上にも2本のヤマトタチバナの木があるという。




あの山の上にもヤマトタチバナの木があるという。


道路脇に植樹されているヤマトタチバナ


ヤマトタチバナの果実


鋭いトゲがある。