人魚伝説
2006-01-28 | 風景
マリーナ河芸の敷地内を散策すると、この人魚の像に何度も出会える。小さな像だから、気付かない人が多い。2004.9.23
2004.9.23
2005.3.12 田中川干潟をバックに
この地には今も大別保や中別保の地名が残り、地元では略して別保(べっぽ)と言うことが多い。また、「浦」という小字も残っている。かつては伊勢平氏が支配していた土地であり、津市の産品には平清盛の父である忠盛が生まれたという伝承地がある。
鎌倉時代中期の説話集『古今著聞集』巻第二十「伊勢國別保の浦人人魚を獲て前刑部少輔忠盛に献上の事」に、人魚についての具体的な記述がある。
「伊勢国別保といふ所へ前刑部少輔忠盛朝臣下りけるに
或日大なる魚の頭は人のやうにてありながら 歯はこまかにて魚にたがわず
口さし出てて猿に似たりけり
身はよのつねの魚にてありけるを三喉ひきいだしたりけるを
二人してになひたりけるが 尾なほ土に多くひかれけり
人の近くよりければ 高くをめくこえ人のごとし
又涙をながすも 人にかわらず 驚きあざみて
二喉をば忠盛朝臣の許へもて行き 一喉をば浦人にかへしてければ
浦人皆切り食ひてけり されどもあへてことなし その味殊によかりけるとぞ
人魚といふなるはこれていのものなるにや」
2004.9.23
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます