麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

進化~舞台経験を積むことの意義

2012年02月28日 | 鑑賞
劇団東演『どん底』を27日夜観劇。

【文中敬称略】

サッカー日本代表に例え、
海外組(客演陣)と国内組(劇団員)が
公演を重ねることで融合し、
芝居が大きく深化したと書いたのは
今朝(というか深夜)。

いわゆる「新劇」と呼ばれる、
しかも俳優座、青年座、円といった
伝統ある劇団の俳優たちにとって
べリャコーヴィッチの「演劇」は、
サッカーではなくラグビーのように
感じられたかもしれない。
(2009年本多劇場の頃は、である)

ところが昨夜の舞台では、
完全にべリャ・システムを理解し、
そこに自分なりの味付けも加える
余裕すらあった。

2009年の公演では、エース本田的な
ポジションのペーペル・南保大樹が
孤軍奮闘した感があったが、今回は
ひとつのチームとして機能していた。

(逆に南保個人のパフォーマンスが
高くなかったのが、ちと残念

そんな中、特に進化が著しいと感じたのは
住人原野寛之

住人にも一人ひとり個性を与える
べリャコーヴィッチ演出。
精神薄弱を思わせる横笛を吹く男は
上演を重ねてきた『どん底』で
過去には白岩知明、能登剛らが演じてきたが
「原野の住人」は最も機動力が高かった。

09年。その与えられたポジションで、
前後に動くのが精一杯だった原野。
が今回は、機をみて前線に飛び出し、
サイドチェンジも鮮やかにこなし、
得点シーンにも顔を出す活躍ぶり。

昨日も書いた長い巡演の経験に加え、
昨年末、同じくロシアの古典
『三人姉妹』のアンドレーという大役を
外部出演で演じたことが、大きな自信に
つながっているに違いない。

偶然だが、ベリャ版『どん底』で
同じ役柄を演じている白岩が演出だった。

同じく、その役を経験している能登。
昨夜もっとも輝いていた俳優の一人だ。
ただ南保と並ぶ東演の二枚看板だけに
全得点に絡む活躍をして、当然。
その意味で、敬意を込めて特筆はしない。


能登剛。
6月、僕が制作で参加する
『ジョマクノギ』に出演決定していて
ここで褒めまくるのもね・・・
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