麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

里帰りの思い出。

2014年08月15日 | 身辺雑記
里帰りの季節です。

僕が小学生の頃、父の故郷・青森へ
川崎から向かうには・・・
まだ東北高速が繋がってなくて、
首都高降りたあと下道で岩槻へ。
そこからやっとハイウェイなのだが、
当時のそれは盛岡あたりが終点。
再び一般道を北に向かうのだが、
巨大な岩手県は行けども行きども
岩手県なのだった。

父は土建屋だったので、
僕の体の三分の一は道路だの歩道橋だの
造って稼いだお金で出来ている
と云っても過言ではない。

無駄な公共事業に厳しい昨今、
僕も同感するのだが、それは
天に唾する気がしないでもない。

こうして書きながら今初めて思うのは、
一人で片道700kmもドライブさせながら
「もっと便利な世の中になるよう、
微力ながら頑張ろう」と、
父はアクセル踏んでたのではないか。

そんな親父の、この夏は新盆だ。

※※※

今年の帰省ラッシュで注目される圏央道。

ニュース番組が厚木~富岡製糸場を、
旧来の首都高から関越道コースと
新たに開通した圏央道ルートとを
走り較べていた。当然後者が早かった。
けど、その差は僅か20分。

膨大な税金を投入したことを考えると
かなりズッコける数字だが。

都内を走る車の減少が都心の
ヒートアイランドの緩和に作用する等
プラス面があると信じたい……。
ん?
その分の排気ガスやら騒音やらが
圏央道周辺にばらまかれちゃうのか……。

※※※

中学校に入学した年からは
部活優先で、家族との帰省から脱落。
埼玉~栃木間の六車線化を知らず、
その快適さを知るのは随分あとになって。

東北自動車道の全面開通は
さらに時間を要して1987年。
おいらは大学生になっていた。

この年「新」青森空港の供用も始まった。
また父が会社を立ち上げたのも同時期で、
帰省は空路が中心となった。
とにかく速い。もちろん値段は張ったが、
飛行場のあった浪岡町(現在は青森市)が
五所川原市と隣接していたから、
本当にあっという間に実家に着けた。
そうそう。
今じゃ、新幹線も青森まで延びた。
東北新幹線は何度も乗っているけれど、
帰省で使ったことはない。

※※※

子供二人は後ろの席。
足元に段ボール箱を置き、その上に
子供用の敷布団を敷いてフラット化。
箱の中には、おやつや本・・・。
昭和の夏。
いろんな車で帰省したと思うけど、
印象に残っているのは三菱ランサー。


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