里帰りの季節です。
僕が小学生の頃、父の故郷・青森へ
川崎から向かうには・・・
まだ東北高速が繋がってなくて、
首都高降りたあと下道で岩槻へ。
そこからやっとハイウェイなのだが、
当時のそれは盛岡あたりが終点。
再び一般道を北に向かうのだが、
巨大な岩手県は行けども行きども
岩手県なのだった。
父は土建屋だったので、
僕の体の三分の一は道路だの歩道橋だの
造って稼いだお金で出来ている
と云っても過言ではない。
無駄な公共事業に厳しい昨今、
僕も同感するのだが、それは
天に唾する気がしないでもない。
こうして書きながら今初めて思うのは、
一人で片道700kmもドライブさせながら
「もっと便利な世の中になるよう、
微力ながら頑張ろう」と、
父はアクセル踏んでたのではないか。
そんな親父の、この夏は新盆だ。
※※※
今年の帰省ラッシュで注目される圏央道。
ニュース番組が厚木~富岡製糸場を、
旧来の首都高から関越道コースと
新たに開通した圏央道ルートとを
走り較べていた。当然後者が早かった。
けど、その差は僅か20分。
膨大な税金を投入したことを考えると
かなりズッコける数字だが。
都内を走る車の減少が都心の
ヒートアイランドの緩和に作用する等
プラス面があると信じたい……。
ん?
その分の排気ガスやら騒音やらが
圏央道周辺にばらまかれちゃうのか……。
※※※
中学校に入学した年からは
部活優先で、家族との帰省から脱落。
埼玉~栃木間の六車線化を知らず、
その快適さを知るのは随分あとになって。
東北自動車道の全面開通は
さらに時間を要して1987年。
おいらは大学生になっていた。
この年「新」青森空港の供用も始まった。
また父が会社を立ち上げたのも同時期で、
帰省は空路が中心となった。
とにかく速い。もちろん値段は張ったが、
飛行場のあった浪岡町(現在は青森市)が
五所川原市と隣接していたから、
本当にあっという間に実家に着けた。
そうそう。
今じゃ、新幹線も青森まで延びた。
東北新幹線は何度も乗っているけれど、
帰省で使ったことはない。
※※※
子供二人は後ろの席。
足元に段ボール箱を置き、その上に
子供用の敷布団を敷いてフラット化。
箱の中には、おやつや本・・・。
昭和の夏。
いろんな車で帰省したと思うけど、
印象に残っているのは三菱ランサー。
僕が小学生の頃、父の故郷・青森へ
川崎から向かうには・・・
まだ東北高速が繋がってなくて、
首都高降りたあと下道で岩槻へ。
そこからやっとハイウェイなのだが、
当時のそれは盛岡あたりが終点。
再び一般道を北に向かうのだが、
巨大な岩手県は行けども行きども
岩手県なのだった。
父は土建屋だったので、
僕の体の三分の一は道路だの歩道橋だの
造って稼いだお金で出来ている
と云っても過言ではない。
無駄な公共事業に厳しい昨今、
僕も同感するのだが、それは
天に唾する気がしないでもない。
こうして書きながら今初めて思うのは、
一人で片道700kmもドライブさせながら
「もっと便利な世の中になるよう、
微力ながら頑張ろう」と、
父はアクセル踏んでたのではないか。
そんな親父の、この夏は新盆だ。
※※※
今年の帰省ラッシュで注目される圏央道。
ニュース番組が厚木~富岡製糸場を、
旧来の首都高から関越道コースと
新たに開通した圏央道ルートとを
走り較べていた。当然後者が早かった。
けど、その差は僅か20分。
膨大な税金を投入したことを考えると
かなりズッコける数字だが。
都内を走る車の減少が都心の
ヒートアイランドの緩和に作用する等
プラス面があると信じたい……。
ん?
その分の排気ガスやら騒音やらが
圏央道周辺にばらまかれちゃうのか……。
※※※
中学校に入学した年からは
部活優先で、家族との帰省から脱落。
埼玉~栃木間の六車線化を知らず、
その快適さを知るのは随分あとになって。
東北自動車道の全面開通は
さらに時間を要して1987年。
おいらは大学生になっていた。
この年「新」青森空港の供用も始まった。
また父が会社を立ち上げたのも同時期で、
帰省は空路が中心となった。
とにかく速い。もちろん値段は張ったが、
飛行場のあった浪岡町(現在は青森市)が
五所川原市と隣接していたから、
本当にあっという間に実家に着けた。
そうそう。
今じゃ、新幹線も青森まで延びた。
東北新幹線は何度も乗っているけれど、
帰省で使ったことはない。
※※※
子供二人は後ろの席。
足元に段ボール箱を置き、その上に
子供用の敷布団を敷いてフラット化。
箱の中には、おやつや本・・・。
昭和の夏。
いろんな車で帰省したと思うけど、
印象に残っているのは三菱ランサー。
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