麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

白鷹情緒とマーヴィンと

2007年01月26日 | 東演
 1月24日には、ちょいとした再会劇を堪能した。

 僕は大学4年の時、山形県は西置賜郡の白鷹町にある教習所の「合宿免許」で仮免までを取得している
 白鷹・・・と字面はとてもロマンチッックな、山形市の西側にあり、微かにその県庁所在地と接し、他の近隣の大きな街で言うと、鶴岡と米沢を結ぶ中間点に位置する約158平方㎞の町である。

 ただ残念ながら、大学生協の「合宿免許」のカタログが物語るのはあまりウキウキさせる情報ではなかった。
 バブル崩壊前でネコシャクでスキー!の時代だったから軽井沢とか妙高とか、はたまた南に下って九州や沖縄方面なんかが、イメージ=リゾートなんでソソラレるのだった。それは僕だけでは当然ないので、とっとと定員に達してしまい、結果的に“白鷹”に集まった面々は口を揃えて「本当は○○が良かったのだが…」と言っていた。
 ところが所詮はアサハカな大学生のオツムちゃん
確かに雪に閉ざされた何もない町ではあったが、教官はじめ町の人は温かく、宿の飯もうまく、何より同期の連中が気立ての良い奴らばかりだった
 ある部屋にはカメムシが大量発生し、トイレの鍵の調子は悪く、乾燥機は乾かなかったけれど・・・。

 大学1年から4年。大学も慶応、明治、法政、上智、青学(及び青短)、日大、東洋に國學院と幅広く、さらにまだ高校3年だったFとOの友達同士は、それぞれ早稲田と上智に推薦入学が決まっていた。そんな氏素性の違う・・・例えば、明治のSはバリバリの体育会の、しかもキャプテン。國學院の二人はともに神道学科・・・と普通では絶対顔を会わせないオモシロイ集結だった。
 91年の冬のことだ。
 白鷹を卒業して2年後に、一度同窓会を開いた。

 それから更に14年・・・
 今回集まったのは、前述の当時まだ高校生だった二人。。。早稲田商学部から国民金融公庫のF、上智の新聞学科から、巨人ファンなのに中日新聞に入ったO。。。と、青学の史学科から千葉興銀へ入行したIと僕の4人。

 皆、立派になっていた。
 名のあるところに勤務しているのは勿論、Fは体重が22㎏増えたというし、Oは既に通風を患ったという。これは笑える成長(?)だが、今やIは講演会を開くなど会社人事において一家言持つまでになっているという。
 全員結婚していて、僕以外は子供も持っていた。家を建てた野郎もいた。

 でも。まるで幼なじみみたいに、昔話に花が咲いた。
 それぞれ覚えていることが違うので、バラバラのピースを持ち寄って絵を作るような・・・お、こないだ役者のブログで小野が書いていたな、そんなことを。

 昨日のTDLは盛り上がったのだろうか?
 そう『マーヴィンの部屋』は血のつながりのある人々が、ギクシャクしてるお話。白鷹に偶然集った赤の他人の盛り上がりとは正反対。
 
 そして『マーヴィン』は舞台の上の話だけれど、オリジナル作品は1990年が初演だけれど、今の日本でも血縁によるむごい事件の報道は後を絶たない・・・。
 ちょうど僕が白鷹で、青春を謳歌していた頃の作品は、けれど普遍性を持って、《今》を射抜いている。
 そんな作品を座員一丸となって紡いで、観劇後、家族について、生きることについて考える端緒になってくれればと、残り1ヶ月弱、稽古に励みます。



 
コメント
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