
◼️「スペンサー ダイアナの決意/Spencer」(2021年・イギリス=ドイツ=チリ)
監督=パブロ・ラライン
主演=クリステン・スチュワート ティモシー・スポール ジャック・ファーシング サリー・ホーキンス
ダイアナ妃が離婚を決意するに至った、1991年のクリスマス3日間を描いた作品。既にチャールズ皇太子との関係は冷めており、皇太子の愛人であるカミラ夫人の存在がスキャンダラスに報道されていた頃。王室へ視線が注がれると共に、皇太子妃ダイアナにも世間の目は集まっていた。エリザベス女王の私邸で過ごすクリスマスは3日間を楽しんだ証として体重が増えている記録をとり、毎日それぞれの場面で着る衣装が準備され、キジ狩りの行事が用意されている。長く続く儀式のような催し。
王室という格式ある場に加わることに、尋常ではない覚悟をもってダイアナはチャールズに嫁いだはず。しかし夫が愛人に贈った真珠のネックレスと同じものが妻にも贈られ、世間はそれを騒ぎ立て、パパラッチを避けるためにダイアナは部屋のカーテンを開けることまでとやかく指示をされる。過食症となっていたダイアナにのしかかったストレスが、どのくらいのものだったのか、庶民には想像もできない。だが、引きちぎったネックレスの真珠ごとスープを口に運ぶ狂気じみたイメージ、繰り返される嘔吐シーン、ヘンリー8世に処刑されたアン・ブーリンの亡霊、映画全編に流れる不協和音を伴った弦楽による劇伴は、彼女が置かれた心理的な状況を示すのには十分だ。子供たちといる時間だけが癒しになっているのに、その子供の前でもプレッシャーにギリギリで耐えている自分を見せてしまう悔しさはどれだけのものだったろう。
実はこの映画を観る直前に、職場でメンタルヘルスの研修を受けたばかりだった。それだけにダイアナの精神的なストレスや、身体の不調が深刻になっていく様子から目が離せなくなってしまった。舞台が大きく変わらず、会話劇中心で、しかも不協和音が不快な劇伴の映画。場合によっては飽きてしまったり、こっちの体調が今イチなら寝落ちしてたかもしれない(前の席のご婦人はシートの右側から常に頭がのぞいてたから多分爆睡)。でも今回は違う。自分も見守っているような、苦しみを共感しているような気持ちになっていた。だから映画終盤でサリー・ホーキンスの顔を見た瞬間に、僕自身もどれだけホッとしたか。
普通の子供と同じような体験をさせて育てたかったダイアナが、子供を連れて屋敷を後にするクライマックス。ポルシェのオープンカーで親子3人が声をあげて歌うのは、Mike + The Mechanicsの86年のヒット曲、All I Need Is A Miracle。80年代洋楽好きの僕にはまさかの選曲で嬉しかったのだが、楽しそうに歌う親子と明るい曲調にかかわらず涙がにじんだ。
(歌詞の意訳)
「行きたきゃ行けばいいし、
いたければいればいい」と僕は言った。
君がいなくなったって、僕は気にしない
君を子供のように扱ったけれど
この先君がいなくなるのは寂しいんだ
必要なのは奇跡、必要なのは君なんだ
去っていく恋人への気持ちを歌った流行歌。子供たちは無邪気に歌う。けれどダイアナは夫から"必要なのは君"とは決して言ってもらえないのだ。奇跡なんて起こらない。そしてその数年後にダイアナに起こる悲しい出来事を思うと胸が痛む。
クリステン・スチュワートの役づくり、憎まれ役のティモシー・スポール、いい仕事です。