Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

おおかみこどもの雨と雪

2012-09-21 | 映画(あ行)

■「おおかみこどもの雨と雪」(2012年・日本)

監督=細田守
声の出演=宮崎あおい 大沢たかお 黒木華 西井幸人

「サマーウォーズ」の細田守監督の最新作は、生きることを真っ正面から描いたファンタジー。確かに評判通りによくできている。温かみのあるシンプルな絵柄のキャラクターたち、緻密な自然描写、自然と人間を対比したテーマ、子供の旅立ちと見送る親の気持ち・・・よくわかるし感動もした。でもね・・・何か煮えきれない気持ちがある。感想がなかなか形にできなかったのもそのせいだ。

この映画を酷評している人の多くは現実目線でこの映画を見ている。おおかみおとこと恋をして子供が生まれて、誰にも頼らずに山里に暮らそうとして・・・ありえないだろ、という目線。一方で、この映画を受け入れている人は、ファンタジーの前提を肯定した上で、育ててくれた自分の母親への感謝の気持ちを感じていたのではなかろうか。また母親という目線であれば、共感できる場面も多々あることだろう。どちらもよくわかる。僕はどちらかと言われれば、ファンタジー肯定派の後者の立場だ。子を持つ親の立場で見ると、子供が病気になったときの懸命なヒロインの姿や、妊娠した場面での悪阻のリアルなこと、部屋をめちゃくちゃにされる場面、学校で本性を出さないようにするおまじない・・・あの頃親がこういう苦労や気遣いをしてくれたから、僕らは大人になった。僕はエンドクレジット観ながらそれを思った。おかあさん、ありがとう。それでも煮えきれない気持ちが残る。何だろう。それはエンドクレジットを見ながら感じたさみしさ。単に雨が母親の元を去ってしまったからではない。

僕は前作「サマーウォーズ」が大好きだ。ネットワーク上のヴァーチャルな世界と現実世界が見事にリンクする物語と、人と人のつながりの大切さに心底感動した。「おおかみこどもの雨と雪」同じように、ファンタジーという現実から遠い世界と、僕らがいる現実世界がリンクしている舞台設定だ。だがこの映画はファンタジーでありながら、あちこちに現実が描かれる。しかも映画館の外の世界に引き戻されるようなかなりリアルな描写の現実だ。「千と千尋の神隠し」みたいに、豚になっちゃう両親や汚された川の神様など隠喩めいた描写とは違う。細田監督は現実から逃げない。親がセックスをしたから子供が生まれるというプロセス、しかも前述の悪阻まできちんと描かれている。児童福祉関係の職員からネグレクトを疑われる場面にしても、おおかみおとこの遺体(狼の死骸)を清掃車が運び去る場面にしても、現実世界であればありうることだ。生きていく上では必ずあること。ファンタジーに徹するならば絶対にしない描き方だろう。現実に生きる世界があってこそのファンタジー。現実世界に戻りたくなくなるような夢物語だけを売り物にする娯楽映画とはまったく違う。このスタンスは素晴らしいと思う。これは僕がこの映画に感動した理由のひとつ。

そして僕が感じたさみしさの理由。それは、人間が暮らす現実世界と、けものたちが暮らす自然界という異なる世界の関係だ。雪は人間として暮らす道を選択するが、雨は森の長老の後継者となるべくヒロインの元を去ることになる。このふたつの異なる世界が共存していくことの難しさがこの映画では見え隠れする。一方で「サマーウォーズ」は、人間がつくったヴァーチャルな別世界が暴走を始めるけれど、結局は人と人の絆によってその危機が回避され二つの世界はバランスを取り戻すことになる物語だ。テクノロジーへの強い警鐘という意味も込められているけれど、異なる二つの世界は共存しうる(人間がつくり出したものだから当然とは言えるが)。しかし「おおかみこども~」では、本来共存すべきはずの自然と人間社会を隔てるものを感じずにはいられない。雪は生涯その現実と戦うことになるのだろう。父や母がそうしたように。でも、この映画の2時間は、どっぷりと現実を忘れさせてくれはしないけれど、生きていくことを今までよりも少しだけ考えさせてくれるだろう。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする