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Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

ダリアン

2020-09-09 | 映画(た行)


◾️「ダリアン/The Crush」(1993年・アメリカ)

監督=アラン・シャピロ
主演=アリシア・シルバーストーン ケイリー・エルウィス ジェニファー・ルービン カートウッド・スミス

14歳の少女ダリアンは、離れに引っ越してきた28歳の雑誌記者の男性に恋をする。彼女なりのアプローチを試みるのだが、所詮恋愛対象とは思ってくれない。付き合えないと拒まれた時、彼女の恋心は狂気へと変わり、彼への嫌がらせと復讐が始まる。

これがデビュー作となるアリシア・シルバーストーン。この映画の悪役ぶりや、水着や大人びたファッションで彼に迫る演技は注目を集め、「90年代のロリータ」と評された。だんだんと激しさを増していく行動と鬼気迫る表情。その間に挟まる年齢相応な笑顔に、スクリーンのこっち側も翻弄される。男性のガールフレンドであるカメラマン女性の部屋に、換気口から大量の蜂を送り込む場面は強く印象に残る。

原題のCrushとは、急に夢中になるという意味のスラング。撮影はクリント・イーストウッド作品で知られるブルース・サーティーズ。






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12モンキーズ

2020-04-26 | 映画(た行)







◾️「 12モンキーズ/ 12 Monkeys」(1995年・アメリカ)




監督=テリー・ギリアム


主演=ブルース・ウィリス マデリン・ストー ブラッド・ピット クリストファー・プラマー


世界中で新型コロナウィルス感染拡大が続く。日々感染者が増えていく報道の中で、ウィルスが世界に拡大する「猿の惑星 創世記」のエンドクレジットで戦慄した記憶がよみがえった。されど、これは現実。一刻も早い収束を祈るより他はない。そんなご時世に未見だったテリー・ギリアム監督作「12モンキーズ」に挑んでみた。

21世期初め、世界に蔓延したウィルスで人類が絶滅の危機にある世界。人々は地下に逃れていた。科学者たちはウィルス感染拡大の原因を探るべく、過去に調査員を送って対策を講じようとしていた。特赦を条件に1990年代に送り込まれた主人公ジェームズ・コールは、日々同じ夢にうなされていた。それは記憶なのか、単なる夢なのか。そしてウィルスを撒き散らしたのは誰なのか。その事件の発端とされる" 12モンキーズ"とは?

練り上げられた脚本の力に圧倒される130分だった。物語の設定はもちろん、各エピソードが後々の伏線として見事に機能して終息へと向かう構成。Blueberry HillsやWhat A Wonderful Worldなど今の僕らでもノスタルジックに響く楽曲が、未来人の心に響く様子。逃げ込んだ映画館で観るヒッチコックの「めまい」と「鳥」。キム・ノバクが木の年輪で時間について語る場面とタイムリープ、鳥に襲われる場面と動物が闊歩する場面。マデリン・ストーが髪の色を変えるクライマックスは、「めまい」のキム・ノバクに重なる(詳しくは「めまい」を観て!)。まるで詩が韻を踏むような映像の呼応。これに気持ちがどんどん乗せられていき、怒涛の結末へとなだれ込む。展開を楽しむだけでなく、ちょっと頭使わないといけないから、ますます引き込まれていく。こういう映画をウェルメイドと称していいだろう。

テリー・ギリアム監督作は「未来世紀ブラジル」こそお気に入りだけど、あんまり観ていない。「モンティパイソン」は若い頃観たせいか笑いのツボが理解できなかったし、「バロン」も映像には感激したもののどうもピンとこなかった。そんな苦手意識が先に立って、以後観るのを避けてきた監督の一人。そんな僕が言うのはおかしいかもしれないけど、「12モンキーズ」はギリアム監督"らしい"映画なんだろか。ハリウッド製エンターテインメントに、テリー・ギリアムの世界観をスパイスとして持ち込んだ映画という印象を受けた。未来世界の描写に「ブラジル」のようなダークで独特な造形と映像が欲しかっただけのようにも思えた。

とはいえ、SF映画らしいストーリーと発想に、映画としての満足度はかなり高い。マデリン・ストーもまさにカッコいい女っぷりが輝いていた時期だし、フッきれた演技のブラッド・ピットはやっぱり上手い。映画館での会話がとても印象的だった。「自分の過去を見ることは映画を見るのと同じ。同じ映画なのに自分が変わっているから違ったものに見える」と主観の変化を口にするブルース・ウィリス。「それでも起こったことは変えられない」と客観的に答えるマデリン・ストー。どちらの言葉にも心に響く。

今騒がれているこのウィルス騒ぎが、こんなことがあったよね、と話せる日が訪れることを心から望む。未来から救済保険業の人が来てくれないだろかw




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時をかける少女

2020-04-14 | 映画(た行)



◾️「時をかける少女」(1983年・日本)


監督=大林宣彦

主演=原田知世 高柳良一 尾美としのり 根岸季衣 岸部一徳


大林宣彦監督が亡くなった。カルトな傑作「ハウス」、「ねらわれた学園」そしてこの尾道三部作で当時僕ら世代には忘れえぬ映画作家の一人となった。変わった映画を撮る監督、若手女優好きな監督、いろんな評価があるけれど、古き良き日本の風景や情緒を大切に思う作風が多くの人に支持されたのだと思う。

監督作最大のヒット作「時をかける少女」。角川映画リアルタイム世代なので、僕も公開当時に観ている。プロデューサーの角川春樹は、原田知世の最初で最後の主演映画にするつもりだった。当時人気があったアイドルの路線とはちょっと違うから、きっと長続きすることはないと考えていたらしい。映画デビュー作にして花道にしてくれ、という映画化企画を持ちかけられた大林宣彦監督。昔からの風景が失われ始めたことを残念を思っていた故郷尾道をロケ地に選び、思い入れのある古くからの風景を映像に刻み込んだ。可憐な少女をヒロインに好きなことを映像に詰め込んだ。これはある種の開き直りだったのかもしれない。

大林監督は実験的な映像や編集を持ち味としていた人だが、尾道三部作の他の2本と比べても「時かけ」に注ぎ込まれたテクニックや映像の冒険は強く印象に残る。少しずつモノクロに色が付いていく場面、ホラー映画のような地震の予兆の演出、静止画がつなぎ合わされたタイムリープの場面。ラストシーンでは、ヒッチコックの「めまい」と逆のドリーズームを用いる。カメラが捉えたヒロインの大きさは変わらないのに、背景だけがグッと遠くになっていく撮影手法。遠ざかる背中がさらに遠のいて、ただでさえ切ないラストシーンをより鮮明なものにしている。見事だ。

そしてミュージックビデオのようなエンドクレジット。あの頃はこの場面をやりすぎだと感じていた僕だが、今改めて見ると現場の楽しさが伝わってくるような幸福感がある。ヒロインの部屋に飾られた「オズの魔法使い」のポスターは、舞台が尾道だけに小津安二郎をかけてるのでは、と勝手な推測までしてしまう。この映画には愛が溢れている。

しかしながら、僕は不勉強なことに大林宣彦監督作はまだ観ていないものが多い。監督が遺したメッセージを少しずつ追いかけてみたいと思う。御冥福をお祈りします。
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地中海殺人事件

2020-01-13 | 映画(た行)



◾️「地中海殺人事件/Evil Under The Sun」(1982年・イギリス)

監督=ガイ・ハミルトン
主演=ピーター・ユスティノフ ジェーン・バーキン ダイアナ・リグ マギー・スミス ロディ・マクドウォール ジェームズ・メイスン


1970年代後半からアガサ・クリスティ原作のミステリー映画は次々に製作された。ピーター・ユスティノフがエルキュール・ポアロを演じたこの時期にクリスティ映画にハマってたから、僕にとってポアロといえばテレビ版のデビッド・スーシェよりもこっちなんです。

ポアロが訪れたアドリア海のリゾート地で起きた殺人事件。登場人物たちそれぞれにアリバイがあるが、ポアロの推理が真相にたどり着くプロセスは何度観ても痛快。他の映画化作品と比べると明るく、「そして誰もいなくなった」の追い詰められる緊張感や「ナイル殺人事件」のような重苦しさはない。タイトルバックは絵葉書のようにオレャレなイラスト、音楽も数々のミュージカルで知られるコール・ポーター作品が散りばめられているからなおさら。

謎解きのトリックも他の映画化作品と比べてもシンプルだし気楽に楽しめるクリスティ映画化作品。ジェームズ・メイスンは憎まれ役が多い人だし、ロディ・マクドウォールも長いキャリアの大物だし疑われそうなキャスティングが今回もうまい。個人的には「女王陛下の007」のボンドガール、ダイアナ・リグに久々にお目にかかれたのは嬉しかった。

(2019年12月)

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ジェネオン・ユニバーサル
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東京物語

2019-12-28 | 映画(た行)


◾️「東京物語」(1953年・日本)

監督=小津安二郎
主演=笠智衆 東山千栄子 原節子 杉村春子

言わずと知れた小津安二郎監督の代表作。なんで今まで観てなかったんだろ。観る機会はいくらでもあったのに。長く映画ファンを名乗っているのに、これを観ていないなんてちゃんちゃらおかしい…と自分で自分を恥じてきた。今回、やっと鑑賞。語り継がれる作品って、やっぱり説得力がある。

尾道から東京へ、子供たちを訪ねる周吉ととみ夫婦の物語。長男長女は日々の忙しさから親の来訪に十分に構うこともできない。時間をとって優しくて接してくれたのは、戦死した次男の妻紀子だけだった。尾道に戻って数日後、妻とみが危篤に。子供たちは次々と集まってくる。とみは亡くなり葬儀が終わる。長女は末っ子京子に形見分けの相談を早々にして、長男とともに東京に戻っていった。京子はそれに憤るが、それぞれの立場があると紀子は優しく諭す。周吉は紀子に妻に優しくしてくれた礼を言う。

ストーリーや長男長女の言動を見れば、確かに血縁でもない紀子がいちばん親切で、実の子が冷淡な印象だ。でも、登場人物の誰がいいとか悪いじゃない。年齢を重ねていけば、家族もそれぞれの生活がある。いつまでも同じようにはいかない。家族もだんだんと変わっていくものだ。東京にやって来た両親に、二人の子供は尾道ではできない時間を与えることで満足してもらおうとする。でも周吉もとみもそんなことを求めてはいない。そんな気持ちのすれ違い。それぞれの立場がわかる今の年齢で観るからこそ、理解できるのかもしれない。長男長女が喪服を持参して尾道に行くのは、決して冷淡な訳ではない。もしもの対応をしなければならない現実があるからだ。

原節子演ずる紀子との時間が楽しかったと、老夫婦が感じたのは、お互いに喪失感を共有しているからだろう。しかし、そんな思いも次第に変わっていくもの。紀子も、亡くなった夫を思い出すことも少なくなっていることを口にする。
「お義父さまが思ってるほどいい人じゃありません。わたし、ズルいんです」
クライマックスの原節子のひと言に思わず涙する。

そして笠智衆がひとり海を眺めるラスト。そこに漂うのは喪失感や寂しさだが、「晩春」のラストの寂しさとは全く違う。ここには過ごして来た時間の重み、人生の深みがにじみ出ている。人生っていろんなものを失いながら続いていくものなのだと思った。それは寂しい事ではあるけれど、避けられないことでもある。それだけに、過ぎ去った時間が愛おしい。今の自分の年齢で観てよかったのかもしれない。

 
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笠智衆,東山千栄子,原節子,杉村春子,山村聰
松竹
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ドクター・スリープ

2019-12-04 | 映画(た行)


◾️「ドクター・スリープ/Doctor Sleep」(2019年・アメリカ)

監督=マイク・フラナガン
主演=ユアン・マクレガー レベッカ・ファーガソン カレル・ストリッケン ジェイコブ・トレンブレイ

キューブリックの「シャイニング」は、原作者スティーブン・キングの意に沿うものではなかった。本来の超能力"シャイン"の意味は薄れてしまい、結末は改変され、原作にない輪廻転成要素や巨大迷路が登場し、ジャック・ニコルソンが演ずる主人公は映画史に残る悪役のような存在になった。キングは真の「シャイニング」を世に示そうと自らテレビシリーズを手がける。そして、大人になったダニーを主人公にした小説「ドクター・スリープ」が今回映画化されるに至る。いったいどっちの続きなのか?

マイク・フラナガン監督が選んだ着地点は、映画と原作どちらのファンにも配慮したものだった。映画冒頭の音楽から、ホテル内のカメラアングル、細かい台詞までキューブリック版が引き継がれる。クライマックスでオーバールックホテルに向かう俯瞰の場面には期待が高まってしまう。キューブリック版を観ていればニヤッとできる場面、展開が待っている。そして原作本来の超能力"シャイン"は中心に据えられ、能力に目覚めた少女とダニーがその戦いに巻き込まれる物語は原作派へ落とし前。「シャイニング」原作のラストの展開も盛り込まれていると聞く。

僕はキューブリック版ドップリ派なので、サイキックウォーズと化した本作に拍子抜けしたのが正直な気持ち。「シャイニング」を初めて観た当時、ホラー映画であれ程精神的に追い詰められたことはなかったし、映像の力強さにゾクゾクした。「ドクター・スリープ」は確かにエンターテイメントとして楽しいし、飽きさせることもない。でも、キューブリック版に出てきた邪悪なものが勢揃いするのに恐怖はなく、これはもはやホラー映画ではない。超能力を駆使する戦いは、ヒゲ面のユアン・マクレガーにオビワンの影がチラついて、「これフォースやん!」と心のどこかで声がするw。

しかしながら「ドクタースリープ」の2時間30分はきちんと楽しませてくれる。レベッカ・ファーガソンは「ミッション・インポッシブル」と同様に存在感があってカッコいいし、キューブリック版の音楽を再現してくれたのも嬉しい。

スティーブン・キング作品はあれこれ怖いけど、どこかに愛があると思う。例えば「ペットセメタリー」が僕は意外と好きなんだけど、やってはならない行動に出てしまったのも愛ゆえのこと。「ミザリー」は過剰な偏愛の果て。「キャリー」も愛を渇望する少女の物語。「ドクター・スリープ」では、死期が迫った患者に寄り添う猫や、ダニーのシャインの活かし方、ダニーを見守るハロランの存在など、相手を大事に思う気持ちがにじみ出ている。キング作品の底に漂う愛は、キューブリック版「シャイニング」が容赦なく削ぎ落としたもの。ホテルの怨霊を自分が引き受けて家族を守った原作「シャイニング」のジャック・トランスはそこにいなかったのだから。まったくの別物として楽しんでおきましょう。「ドクター・スリープ」がこうした形で製作されたことは、決してキューブリック版「シャイニング」を否定するものではないのだから。

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チョコレート・ファイター

2019-09-17 | 映画(た行)

◼️「チョコレート・ファイター/Chocolate」(2008年・タイ)

監督=ブラッチャヤー・ピンゲーオ
主演=ジャージャー 阿部寛 ポンバット・ワチラバンジョン アラマー・シリボン

ギャングの情婦だったジンは、日本のヤクザマサシと恋に落ちる。ギャング団との確執から彼は日本に帰国するが、ジンは身ごもり、女の子を出産する。ゼンと名付けられたその娘には発達障害があったが、視認した人の動きをコピーするのことのできる能力(「NARTO」に出てくる"写輪眼")を持っていた。ゼンの面倒をみているムンは、ジンが大金を貸した相手を記録した帳簿を見つける。ムンとゼンはジンの治療費にしようと、借金返済を頼みに出かけた。しかし相手は悪党ばかり。すんなり返すはずがない。そんな時、ゼンの中で何かが覚醒。彼女は単身相手の元へ向かう…。

「この蹴りに世界がひれ伏す」ってコピー、ええやん!しかも看板に偽りなしの超絶アクション。大人数のアイドルグループにいても不思議でないようなルックスのジャージャーが、スタントなしでこれをこなす。ナイフを投げつけたゴロツキに蹴りを見舞う場面、すげえ、なんたる爽快感。アクションシーンもその舞台に合わせて、アイディア満載。屠殺場?の刃物だらけの危険なファイト。倉庫内でのファイトは積荷やロッカーなどを駆使して、ジャッキー・チェン映画のような楽しさ。平面的なファイトでなく上下が加わってさらにハラハラさせる。上下のアクションは、クライマックスのアクロバティックな格闘シーンにも登場。もう圧巻である。製氷工場で戦う最初のファイトシーンは、ブルース・リーの「ドラゴン危機一髪」へのオマージュだ。

製作当初はテレビでブルース・リーを観てその動きを習得することになっていたのだが、大人の事情でトニー・ジャーのアクション映画に差し替えられたと聞く。覚醒した彼女は怪鳥音(アチョー!ってやつね)を発しながら華麗な蹴り技を次々に決める。どう見てもブルース・リーでしょ!テレビの前でこっちまで「痛っ!危なっ!」って口にしそうなくらいにギリギリのアクション。エンドロールで撮影風景とNGカットが流れるが、血を流し、傷口を冷やし、首に固定具を着ける出演者たちの痛々しい様子に、いかに本気の撮影をやっていたのかが伝わる。

しかしアクションだけかと思ったらさにあらず、映画だからできる表現もうまい。例えば、白血病の治療をしている母が美しかった髪を失ったことをゼンが知る場面。子供の頃母の長い髪をいじくっていた様子が一瞬挟まることで、ゼンの深い悲しみを無言で示す。また、阿部寛演ずる日本のヤクザが、ジンに惹かれた理由を示す冒頭も見事。傷ついたものへの慈しみの気持ちを(何故か日本語の)ナレーションで聞かせた後で、ジンの額についた傷を見つめる場面へとつなぐ。しかもそれは銃を突きつけられている状況。そんな切羽詰まった瞬間でも惹かれてしまった二人。ここも台詞は皆無だ。

北九州ロケが行われた作品で、小倉駅周辺や若松区などが随所に分かりやすく登場。阿部寛が手紙で娘が生まれたことを知る場面、バックに映える若戸大橋が美しい。



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トスカニーニ

2019-09-11 | 映画(た行)




◼️「トスカニーニ/Young Toscanini」(1988年・イタリア=フランス)

監督=フランコ・ゼフィレッリ
主演=C・トーマス・ハウエル  ソフィー・ワード エリザベス・テイラー  ジョン・リス・デイビス

ブラッドパックと呼ばれた80年代の若手俳優たち。「アウトサイダー」や「セントエルモス・ファイヤー」などで活躍した彼らも、80年代の終わりにさしかかり、いつまでもStay Gold な青春スターでいられなくなってくる。この映画「トスカニーニ」の主役を演ずるC・トーマス・ハウエルもそんな一人だ。

この映画が公開されたのは、新元号「平成」が始まったばかりの頃で、春の新年度を控えている時期だったと記憶している。僕もその年の春から社会人になる。いつまでもStay Gold な青春野郎ではいられなくなっていた。

「トスカニーニ」は、偉大な指揮者として知られるアルトゥーロ・トスカニーニの若き日々、そして指揮者デビューのエピソードを描いた作品。憧れのミラノ・スカラ座の楽団員募集に応募したアルトゥーロは、審査員の態度に腹を立て試験会場を飛び出す。そんな彼に、歌劇団を率いている男が声をかけた。彼は南米にオペラの公演に向かうところで、アルトゥーロはその一行に加わることになる。道中で、若い修道女マルゲリータと出会う。アルトゥーロが音楽家だと知った彼女は、彼にこう言う。
「音楽は混沌を調和に導くもの。素晴らしいことだわ。」

リオに着いたアルトゥーロに任されたのは、引退していた歌姫ナディア・ブリチョフのトレーニングに付き合うこと。若造に指導されることに怒る彼女だが、次第に彼の実力を認めることになる。折しも奴隷解放運動真っ只中のリオ。街中でマルゲリータに再会。もっと親しくなりたくても、彼女は神に仕える身。募る切ない恋心。そして訪れる歌劇「アイーダ」の初日。ところが楽団員と指揮者の間でトラブル起こって、アルトゥーロに指揮者の代役が…。

監督は「ロミオとジュリエット」「チャンプ」のフランコ・ゼフィレッリ。彼の代表作と比べたら、「トスカニーニ」は確かに名作とは言い難いし、世間の評価も今ひとつ。歌姫ナディアを演じたエリザベス・テイラーは貫禄だし、修道女マルゲリータ役「ヤング・シャーロック」のソフィー・ワードも可憐でいい印象を残してくれる。でもトーマス・ハウエルがどうしても背伸びして頑張っている感じで、野心的なギラギラ感はあっても音楽家として音楽を紡ぎ出す高揚感や喜びがどうも伝わらなかった、この映画の評価も残念ながら決して高くはない。

80年代末期は、南アフリカのアパルトヘイト政策への批判を多くのアーティストが訴えていた時代。あのクィーンだって、南アフリカの白人専用リゾートで公演したことから音楽家のブラックリストに挙げられ、アフリカ救済のチャリティ企画バンドエイドに招かれなかった(その後復権して出演することになるのが、「ボヘミアン・ラプソディ」のクライマックスに出てくるライブエイドである)。映画「トスカニーニ」では、歌劇「アイーダ」の黒人奴隷が出てくる場面で奴隷解放を出演者が訴えるシーンも出てくるし、奴隷解放運動も描かれる。こうした反アパルトヘイト色を感じさせる演出は意図されたものだろうが、純粋に音楽を賛美する、若きトスカニーニを讃える映画になれなかった一因でもある。

だけど、僕はこの映画が嫌いになれない。それはマルゲリータの台詞、「音楽は混沌を調和に導くもの」のひと言が心に響いたからだ。吹奏楽部出身でバンドもやってた僕は、周囲とうまくやっていくことの大切さを音楽に携わることで学んだ。ハーモニーは調和だ。この台詞は、そんな思いを間違ってなかったんだなと感じさせたひと言でもある。そして、僕は社会人としての春を迎えた。時にはこの映画のトーマス・ハウエルのように空回りもしたけれどさ。てへ。

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天気の子

2019-07-23 | 映画(た行)
◼️「天気の子」(2019年・日本)
 
監督=新海誠
声の出演=醍醐虎汰朗 森七菜 本田翼 小栗旬
 
新海誠監督の新作。正直な気持ちを言えば、僕は10代でこの作品に出会いたかった。「シング・ストリート 未来へのうた」のラストシーンでも同じことを思った。それは、僕が単に主人公二人との年齢ギャップで否定的になった訳じゃない。主人公二人に特化した展開は青春映画なら当然だし、メジャー作品として綺麗なものが多かった前作と違って、薄汚い部分までより深く都会を描くことは賞賛すべきだ。思いに従って突っ走るクライマックスの主人公を、僕は手放しで頑張れって思えなかった。周りの人々の気持ちや思いがそれぞれに胸に響いて、主人公二人に気持ちが集中できなかったのだ。もし同世代だったら、より二人をまっすぐ見据えられると思うのだ。
 
「君の名は」以上に深く掘り下げられた物語は、周囲の人物描写も説得力が増している。娘と会えない父親、就活で悩む女性、子供たちが守ろうとしたものと、大人たちが守ろうとしたもの。晴れを望む人々の思い。その現実味のある描かれ方やキャラクターの位置付け。それらが一気にぶつかり合うクライマックス。僕は感情移入のしどころを迷ってしまったのかもしれない。それは人間模様が深くなった監督の力量ゆえだ。
 
気持ちがもう一つ乗れなかった理由は、ヒロインが起こす超自然的な現象についての周囲の反応がリアルさを欠いていることだ。人間模様の深さに比べて、現実離れしたストーリーを受け入れさせるには、どうも説得力が足りないと感じる。ファンタジーじゃん、と言われればそれまでだが、緻密な人物描写との差が歴然としていたのは、僕の気持ちが盛り上がれなかった理由だ。確かに「君の名は」も超自然的な話だが、設定を受け入れるのに不思議と無理はなかった。それは最後まで二人だけに集中したストーリーだったからなのかもしれない。あ、あとスポンサー企業商品の過剰な露出にはやや冷めた。仕方ないのかもしれないけどね。
 
それにしても雨粒や流れる水の表現の緻密さには驚かされる。日本アニメ作品では、大きく水が動く時にドラマも大きく動くことがある。「千と千尋の神隠し」も「カリオストロの城」も「思い出のマーニー」も、最近なら「きみと波にのれたら」だってそうだ。「天気の子」の緻密さとクオリティは本当に素晴らしい。RADWIMPSの音楽も、単独の楽曲としての良さよりも作品との一体感が増した気がする。野田洋次郎の選ぶ言葉は、他のアーティストにない余韻がある。不思議と心に残るのだ(Aimerに提供した「蝶々結び」は特に傑作)。
 
好き嫌いと賛否もある作品だとは思う。だが、過去や伝統と現在未来の対比は心地よいし、闇を描くビターな部分に従来からの持ち味を感じるし、これだけの完成度の作品を好みだけで一蹴することは間違いだと僕は思う。



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翔んで埼玉

2019-03-03 | 映画(た行)
◾️「翔んで埼玉」(2018年・日本)

監督=武内英樹

主演=二階堂ふみ GACKT 伊勢谷友介 ブラザートム

最初に言う。これは埼玉をディスるどころか、完全な愛の映画だ。地元や出身地への愛着、好きと言う気持ちを呼び覚ましてくれる。いやむしろ、エンドクレジットまでさんざん笑わせてくれた後、ここまでネタにされた埼玉を羨ましくさえ思う。

埼玉を徹底的におちょくったコミックとして話題となり、復刻版が出版された「翔んで埼玉」。たった3話しかない未完の作品である原作「翔んで埼玉」が映画化されると聞いて、魔夜峰央作品の大ファンである僕は、最初不安でしかなかった。今の日本。誰かをおとしめて笑いをとる芸人が名MCだなどとチヤホヤされて、暴言悪口が芸風のようなタレントが毎日テレビに現れ、誰かを悪く言うことで責任を逃れる政治家がいて、何かにつけて誰かが傷ついている。そんな世の風潮の中、この埼玉をディスる話が変な方向に発展してはいかないか。それが最大の不安だった。

しっかし、そこは「テルマエ・ロマエ」の映画化を成功させた武内英樹監督とスタッフたち。埼玉解放というドラマを軸に、原作にはない千葉や群馬を巻き込み、さらにデフォルメされた展開で見事なエンターテイメントに仕上げている。例えば、埼玉県人を試す為に"踏み絵"が使われるのだが、知事の写真から草加せんべいに変えられているのは誰にも分かりやすい改変で笑いを誘う。

原作の濃いキャラクターを再現する為に芸達者な二階堂ふみとGACKTをキャスティング。さらに、原作は学業とスポーツで転校生を叩きのめそうとするのに対し、東京の空気をテイスティングする対決という改変。GACKTが「芸能人格付けチェック」で連勝中というイメージを僕らが持っているだけに、ここには爆笑。さらに大河ドラマで上杉謙信を演じたことのあるGACKTが、「者共、出陣じゃ!」と叫ぶのには、テレビっ子の心をくすぐるあざとい仕掛けだとわかっているのに、嬉しくなってる自分がいるww

映画に付け加えられた現代(?)のエピソードが、地元愛の仕掛けとして見事。何もないけど、ほどほどに幸せ。埼玉をネタに笑っていたつもりが、映画を最後まで見終えて、「なんかいいやん、埼玉」と思えてしまうから不思議。ご当地映画としては最強かも。

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