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Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

ドゥ・ザ・ライト・シング

2021-06-20 | 映画(た行)






◼️「ドゥ・ザ・ライト・シング/Do The Right Thing」(1989年・アメリカ)

監督=スパイク・リー
主演=ダニー・アイエロ スパイク・リー ビル・ナン ジョン・タトゥーロ ジョン・サヴェージ

この映画が公開された頃、ミッキー・ロークが「ロサンゼルスで起きた暴動は、この映画が引き起こした」と発言して物議を醸したことがある。確かに映画のラストは、民族間のエゴがぶつかり合い衝撃的だ。黒人街で起きた騒ぎで、イタリア系が経営するピザ屋は襲撃され、韓国系の雑貨屋も襲われそうになる。Public Enemyが流れるこのシーンは確かに力に溢れていたし、それまでの描写から感情も掻き立てられる。ここだけを切り取ってしまえば、少なからず暴動への影響があったと言えなくもない。実際この映画は多くの人に観られたわけだし。

だが忘れてはならないのは、「ドゥ・ザ・ライト・シング」は暴力を肯定した映画ではなく、それぞれの民族への愛にあふれた映画だということ。主人公であるその日暮らしのアルバイター少年のプライベートな愛、ダニー・アイエロ演ずるピザ屋一家の愛、黒人街への思い入れ、人々の胸にある民族愛が語られる。そして街を日々見守りながら、街への愛を語るラジオのディスクジョッキー。特に心に残ったのは二つある。パラソルの下で3人のおっちゃんが黒人差別問題を口汚く語る生々しい場面。そして、ラジオのディスクジョッキーが、マジック・ジョンソンやクインシー・ジョーンズ、プリンスら各界で活躍する黒人の名を挙げながら、「あなた方のおかげで我々は明日も希望をもって生きていける」と語る場面だ。公開当時のマイノリティが置かれたアメリカの現状。それが描かれた上で聞くこれらの言葉は、とても重く響く。こうした描写や語りを抜きにしてラストだけでこの映画を評価するのは違うと思うのだ。

「これが真実(トゥルース)さ、ルース」
ラジオから聞こえるサミュエル・L・ジャクソンの言葉。

スパイク・リー監督はこの映画で、現状と民族問題の難しさ、そしてマイノリティを取り巻く真実を描こうとする。衝撃のラストの後で、キング牧師やマルコムXの暴力に関するコメントが流れて心に染みる。暴力に訴えるのは正しい方法ではないと訴えている映画。結末を考えると気持ちのいい映画ではないかもしれないけれど、もっと評価されていい映画。そして、製作された89年から、大して変わっていない今を考えてみるのもいい。

「これが真実(トゥルース)さ、ルース」
今もラジオから同じ言葉が聞こえるのかもしれない。



Do the Right Thing (1989) - Official Trailer


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太陽がいっぱい

2021-05-13 | 映画(た行)





◼️「太陽がいっぱい/Plein Soleil」(1966年・フランス=イタリア)

監督=ルネ・クレマン
主演=アラン・ドロン モーリス・ロネ マリー・ラフォレ

「太陽がいっぱい」を初めて観たのは、中学生の頃、テレビの映画番組だった。衝撃だった。それまで観てきたどんな映画とも違う。主人公トムは金持ちの友達フィリップから友達なのにやたらといびられる。こいつ、なんで一緒にいるんだろう。物語の途中でフィリップは姿を消し、トムが彼になりすまそうとする。そこから始まるスリル。衝撃のラストシーン。テーマ曲のメロディは哀愁そのもの。

フィリップの彼女マルジュに迫る場面の生々しさも忘れられない。トムがマルジュの手にキスをしながらまっすぐに彼女を見つめる眼差しの鋭さは強烈に心に残っている。女に迫るってこういうことなのか。

ひたすらフィリップのサインを真似して、同じ筆跡で書けるように練習する場面。あんな緊張感のある場面はなかなかない。文字を書くだけなのに、感じるのはとんでもないスリル。それは、その先にトムが企む目的が見えるからだ。ただの行為を見せるの映画じゃない。そこに台詞がないなんて。すごい。

船の上でフィリップがトムに殺される場面。派手な劇伴もないのにこんなに引き込まれる。でもこの場面で強烈に心に残ったのは、フィリップが死ぬ間際に叫ぶひと言。
「マルジューっ!」
彼女の名前を叫ぶのだ。命乞いでもなく、トムを憎む言葉でもない。僕は思った。
「オレは死ぬ時に愛してる女の名前を叫べるだろうか。」
考えすぎだ、少年w。

この映画を観た2時間で、ニキビ面の少年は男と女、男と男、野心とは何か、そして映画ってものの面白さを思い知った。



映画『太陽がいっぱい』予告編


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図書館戦争 革命のつばさ

2021-04-25 | 映画(た行)





◼️「図書館戦争 革命のつばさ」(2012年・日本)

監督=浜名孝行
声の出演=井上麻里奈 前野智昭 沢城みゆき

有川浩の原作は読破。ミリタリー色と権力に立ち向かう姿にアツくなりつつ、ラブコメ要素に胸キュン(死語)。これ以上ない適任キャストの実写映画化とドラマも制覇。フジテレビのノイタミナ枠で放送されたアニメーション版がこれまたクオリティ、シリアスとラブコメが見事なバランスで素晴らしい。コミック版以外は全部手をつけた。ここ10年でこんなに関連作(「レインツリーの国」含む)に手を出した作品って、「涼宮ハルヒの憂鬱」を除いて他にはこれだけかもしれない。

本作はアニメーションの劇場版。原発テロ事件が起き、その手口があるエンタメ小説にそっくりだった。政治家がテロ防止に動いて法改正を行ったことで、メディア良化隊の権限が強化され、問題の小説を書いた作家の創作権を制限しようと身柄確保に動き出す。図書隊は作家と表現の自由を守り切ることができるのか。

原作も読んでいてかなり熱が入るエピソードで、劇場版にこそふさわしいスケールとストーリーだ。有川浩の原作のシリアスなのにキュンとくる感覚は、アニメだからこそ上手に再現できているように思える。実写版はどうしてもアクションや爆破シーン、ミリタリー色、政治的駆け引きのスリルの味付けがどうしても強い。されどこのアニメ劇場版も頑張っていて、クリント・イーストウッドの「サンダーボルト」か!?と思うくらいに、銃弾を喰らいながらバリケードに突っ込むクライマックスは手に汗握るど迫力。さすがはプロダクションI.G.の仕事。

落ち込む手塚に芝崎が黙ってキスして「魔がさしたと思って。」と言いながら、それを担保に申し入れをする場面好き。「担保が足りない」って抱きしめる手塚。うわー、その台詞使ってみたい!(こら)

この作品だけ見ると、郁と堂上教官の恋愛ムードが前面に出てるけど、ラストの郁の台詞のように、これまでの出来事の積み重ねがあってこその今なんだ。興味を持った方は、テレビシリーズをまずはご覧になってから、本作に進まれたし。映画ファンには「華氏451」のエピソードが染みますぞ。



映画『図書館戦争 革命のつばさ』予告編


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チャイルド・プレイ

2021-04-24 | 映画(た行)





◼️「チャイルド・プレイ/Child's Play」(1988年・アメリカ)

監督=トム・ホランド
主演=キャサリン・ヒックス クリス・サランドン アレックス・ヴィンセント

ホラー映画を映画館で観ようとは普段思わない。なんで金を払って怖い思いをしなければならないのか。そんなのゴメンだ。映画館でホラーを観たのは、お目当ての映画と二本立てで仕方なく観たこと(「エルム街の悪夢」の3作目)、飛行機の便までの時間潰しで選択肢がどうしてもなかったこと(香港映画の「カルマ」)くらいだ。単独の上映でホラー映画なんてねぇ…あ!思い出した。一度だけある。「チャイルド・プレイ」だ。

おもちゃ屋に追い詰められた犯人がブゥードゥー教の黒魔術で人形に自分の命を宿す。しかしそのままでは、彼は人形の中に封じ込まれたまま。人間の身体を奪い取るチャンスを待っていた。そしてその人形は、アンディ少年の誕生日にプレゼントとして贈られることになる。それが惨劇の始まりだった。

気の迷いだったのか、人形だからと甘くみたのか。映画が中盤に差し掛かり残虐な描写が続いて、これをセレクトしたことを後悔した。やっぱり自分は映画館でホラーを観るのは向いてない。

ひぃー😣

クライマックス、黒こげチャッキーがこれでもかと迫るしつこさに、もういいよぉー!と思いながら観ておりました。

血飛沫やビジュアルで怖がらせる場面よりもゾッ!としたのが、電池が入っていないことに気づく場面。わかってるはずなのにー!知恵と工夫とアイディアで撮ってる映画だというのは、怖さと共にひしひしと伝わってきてそこは好印象。トム・ホランド監督作は、ビデオスルーではあるが「派遣秘書」が意外と拾い物(個人の感想です)。

それから数年後。ホラー映画嫌いと知っている配偶者が、寝ている僕のおでこに手を当てて、「チャイルド・プレイ」の呪文を唱え始めた。
👩🏻「アデ デュイ デンベラー…」
😫「やめろーっ!」



チャイルド・プレイ(1988) 予告編


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天国でまた会おう

2021-03-30 | 映画(た行)





◼️「天国でまた会おう/Au revoir la-haut」(2017年・フランス)

監督=アルベール・デュポンテル
主演=ナウエル・ペレ・ビスカヤー アルベール・デュポンテル ロラン・ラフィット

第一次世界大戦の終わりが近づいていたヨーロッパ。戦場で生き埋めにされそうになったアルベールは、エドゥアールに救われる。しかしエドゥアールは重傷を負い言葉を発することができなくなる。二人はパリに戻るが、帰還兵には大した仕事もなく生活に苦労していた。そんな時に、戦没者を悼む像を建てる話が持ち上がり、製作できる者を募集していた。エドゥアールは得意の画才を活かしてコンペに勝ち、製作費を手に入れたら逃げようとアルベールに持ちかける。エドゥアールの通訳となる少女を巻き込み、彼らは大掛かりな詐欺を実行しようとする。

「長い話になりますよ」と警察の取り調べでアルベールが語り始めるところから映画は始まるが、独特の映像美とテンポのよい展開で飽きさせない。西部戦線で塹壕の暗闇から煙草の煙と共に上官が現れる場面や、エドゥアールがその才能を発揮して様々なマスクを披露する場面は特に印象的だ。また人間模様もこの映画の見どころだ。戦争犯罪が埋もれてしまう憎っくき上官は、エドゥアールの姉と結婚してるし、二人がカモにするのは結果的にエドゥアールの父親。その父親が死んだはずの息子の存在にいつ気づくのかがハラハラさせるポイントだけに、クライマックスがグッとくる。

ラストはハッピーエンドなんだけど、そこにたどり着くまでにアルベールがいろいろ仕出かしたことは不問なの?と思うとちとモヤモヤするが、これはこれでいいのかな。


映画『天国でまた会おう』予告編


コメント (2)
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痴人の愛

2020-12-09 | 映画(た行)




◾️「痴人の愛」(1967年・日本)


監督=増村保造
主演=安田道代 小沢昭一 田村正和


「歳をとって女に熱をあげると狂うぞ」

若い頃、身近なある人が言っていた。その時は何気なく聞いていたのだが、それなりの年齢になってその言葉が気になってきている。あ、別にそんな状態ではございません、念のためww。映画をあれこれ観続けていると、目の前に映し出される様々な人生を学ぶことになる。男が女に「狂う」をこういうことか、と感じた映画も数々ある。例えば「北斎漫画」のフランキー堺。若い女をつなぎ止める為に、初老の男がいろんな意味で身を削る様をスクリーンの中に観てきた。その度に前述のひと言が、教訓めいた意味をもって思い出される。なんかの呪縛にかかったみたいに。

リスペクトしている小沢昭一センセイが主人公河合譲治、ナオミを安田道代が演ずる増村保造監督版。人間の欲望という部分だけを切り取って90分間につなぐとこうなる、と見せつけられたような気持ちになる。男と女なんて、一皮むけばこんなもんだぞ。ナオミを飼っていたつもりの譲治が、彼女がいなくなった部屋で裸の写真並べて名前を呼びのたうち回る。戻ってきたナオミが再び譲治に馬乗りになり、いろいろ要求した上で「やっぱりあなたしかいないのよ」と譲治の背中に向かってポツリと言う。その二人の姿は醜いし、痛々しい。だけどけしからんとも許せないとも思わない。だって、男と女のことなんだもの、当人たちにしか分からない世界がある。その姿を見て「こうはなるまい」と思っている人は、きっとたくさんいる。でもここまで溺れてみたいと思う人も、きっとたくさんいる。

理想の女性に育てようとする男の物語と言えば「マイ・フェア・レディ」だけど、そんなスマートな話ではない。家に連れ込んでほぼ監禁、観察日記のように裸の写真を撮りまくり、風呂で肌を磨く偏愛ぶり。ヒギンズ先生はこんなことしませんw。この物語と比べたら、新藤兼人脚本の「完全なる飼育」も色褪せて感じる。やっぱり谷崎潤一郎が男と女を見つめる視点は深い。だからこそ、谷崎作品は文学や映像化した作品に触れる僕らを非日常に連れて行ってくれ、何度も味わいたくなる魅力を持っている。


谷崎潤一郎の小説を読み終えたとき、映画化作品のエンドマークを観るとき、僕の心の片隅でまた例の声がするのだ。
「わかっただろ。狂うぞ。」


「女性上位時代」で、カトリーヌ・スパークがジャン・ルイ・トランティニャンに馬乗りになる場面があるけど、「痴人の愛」の影響とかではないんだろうな。増村保造監督版と同時期だけにちょっと気になる。


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チェイス!

2020-11-19 | 映画(た行)






◾️「チェイス!/Dhoom:3」(2013年・インド)

監督=ビジャイ・クリシュナ・アーチャールヤ
主演=アーミル・カーン カトリーヌ・カイフ アビシェーク・バッチャン

「きっと、うまくいく」のアーミル・カーン主演のアクション大作。経営危機になった大インドサーカス。頼みの綱だった銀行に融資を断られ、団長は自殺した。その十数年後、シカゴで銀行強盗事件が相次いで起こる。狙われるのは特定の銀行で、破られた金庫室にはヒンディー語のメッセージが残される。現場から逃走する犯人は、オートバイを巧みに乗りこなし、警察は手を焼いていた。捜査に加わったインド人警察官。彼が目をつけたのは、大インドサーカスで見事なパフォーマンスを見せるサーヒルだった。

本国ではシリーズものらしいのだが、日本では第3作にあたる本作のみ上映され、1、2作目はビデオリリースすらされていない。しかし世界各国でインド映画の興行記録を打ち立てたというヒット作。特殊装備の大型バイクの大活躍、アーミル・カーンの筋肉、インド映画のお約束ミュージカルシーン、麗しいサーカスの美女。映画を彩るどの要素もハリウッド大作に引けを取らない出来栄えで長尺だが飽きさせない。

BSの映画番組で観たので、当然カットはあるし、ちょっぴり切ない結末もCMで余韻に浸ることも許されないが、それでもお腹いっぱいにしてくれる。これを劇場で観た人が羨ましい。アーミル・カーンは、なんて芸達者な人なんだろ。


映画『チェイス』予告


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天使の入江

2020-10-24 | 映画(た行)

◾️「天使の入江/La Baie Des Anges」(1963年・フランス)

監督=ジャック・ドゥミ
主演=ジャンヌ・モロー クロード・マン ポール・ゲール アンナ・ナシエ

物事にのめり込み過ぎて破滅していく姿を観るのは辛い。映画「天使の入江」でギャンブルの泥沼にハマっていく主人公は、銀行員のジャンと夫も息子も失った女性ジャッキー。

友人からの誘いで初めて行ったカジノで大儲けしたジャンは、賭博を嫌う父親の反対に耳も貸さず、ヴァカンスをカジノで過ごす為にニースへ向かう。ルーレットのテーブルで出会った二人は、その日大儲けをするのだが、翌日大負けしてしまう。しかし再び大金を手にした二人は車を買いドレスアップして、さらに一儲けしようとモンテカルロへ。彼女への恋心も芽生えてきたジャンと、自堕落な自分に恥じながらも賭けの快楽から逃れられないジャッキー。ラッキーはいつまでも続くものではない…。

ギャンブルを「お金のためじゃない。贅沢と貧困を両方味わえるのが魅力」だと言い放つジャンヌ・モロー。賭けている時の生き生きした表情を見ても、その瞬間のスリルに身を任せているのがよくわかる。こういう他人に理解されにくい自我がある女性を演じさせたら、ジャンヌ・モローは憎たらしいくらい巧い。ジャンを振り回す憎まれ役かもしれないが、人間の弱さをも演じてみせて、他の映画で見せるいけ好かないけどカッコいい女性像とは全く違う。

カジノを出て行くジャンを追いかけるジャッキーを、オープニングと同じ一点消去の構図で撮ったラスト。表面的にハッピーエンドのように見せながら、万事解決とは到底思えない不思議な余韻が残る。ミシェル・ルグランの軽快な音楽が素晴らしい。ツキがくると再び流れて、二人の高揚感をセリフなしに表現する。ドゥミ監督とルグランのタッグだからこそできる見事な演出。そしてジャンヌ・モローの衣装を手がけたのはピエール・カルダン。この出会いで、二人は大恋愛に発展するのだ。



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太陽が知っている

2020-09-25 | 映画(た行)






◾️「太陽が知っている/La Piscine」(1968年・フランス)

監督=ジャック・ドレー
主演=アラン・ドロン ロミー・シュナイダー モーリス・ロネ ジェーン・バーキン

ルカ・グァダニーノ監督によるリメイク「胸騒ぎのシチリア」を観たので、オリジナルに挑もうとTSUTAYAでお取り寄せレンタル。リメイク版でマティアス・スーナールツが演じた役柄がアラン・ドロンで、その恋人がロミー・シュナイダー。スクリーンの外側では、この二人は婚約していた時期がある。破局後、女優業から遠のいていた彼女を、本作の製作にあたりアラン・ドロンが共演者に指名し、ロミー・シュナイダーにとってはカムバック作となった作品。

そういう目で見ると、映画冒頭プールサイドで二人がイチャつく様子がやけに眩しく見える。水着を脱がすアラン・ドロン。ロミー・シュナイダーも遠慮なく彼の海パンを下ろす様子なんて、もはや演技とは思えない。そんな二人のところへ未練タラタラのモーリス・ロネが、娘ジェーン・バーキンを連れてやってくる。物語に不穏な空気が流れ始める。

四人の関係が崩れていく様子は、リメイクの方がそれぞれの男女に何が起こったか明確に描かれている。しかし結末が曖昧な分だけ、オリジナルの方が筋がしっかりした印象を受ける。警察の捜査が入るクライマックスはオリジナルの方が論理的で、リメイクよりも格段に説得力がある。犯罪映画がお得意のジャック・ドレー監督らしい部分かも。男と女が惹かれ合うこと、思いが募ることのどうしようもなさを考えさせられて、映画の余韻に心地よく浸れるのはこっちかな。

それにしても、出演者が揃うだけで説得力がある映画。モーリス・ロネはドロンに殺される役柄というだけでなんとなく納得するし(「太陽がいっぱい」のせいね)、台詞も少ないのにやたら存在感があるジェーン・バーキン。そこに加えて、スクリーンの外側で起きたアラン・ドロンの身辺に起こったスキャンダル、ロミー・シュナイダー復帰劇という現実が、映画を面白くした面もあるかもしれない。いずれにしてもスタアだからこそなんです。





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TENET テネット

2020-09-23 | 映画(た行)


◾️「TENET テネット/Tenet」(2020年・アメリカ=イギリス)

監督=クリストファー・ノーラン
主演=ジョン・デヴィッド・ワシントン ロバート・パディンソン エリザベス・デビッキ ケネス・ブラナー

あー、もう。また厄介な映画撮りやがって。

クリストファー・ノーラン監督がまた時間軸をぶっ壊したから、世間では難解、分からんと「去年マリエンバートで」を観た後のような感想や、「考えるな、感じろ」とブルース・リーのような感想が飛び交っている。大絶賛の声もあれば、拒絶反応もある。インテリ好みの理屈をこねたり、従来の娯楽映画のフォーマット破壊を繰り返してきたノーラン監督。それらは本作「TENET」でも然り。今回はエントロピーやら反粒子やら物理学の概念を持ってきたり、回文(上から読んでも下から読んでも同じってヤツね)をタイトルやキャラクター名に謎めいてチラつかせている。いち早く観て知識をかじった人々や情報サイトのライターさんの中には、お節介なコメンテイターと化している方もちらほら。観終わって語り合いたい映画で、確かに面白いんだけど、変に自分の解釈を述べたら、リピーターと化したコアなファンに袋叩きに合いそうな恐怖すら感じる。

世間が分からんとは言うけれど、決して不親切な映画ではない。導入も謎解きもきちんとしてる。そこは重要。「感じることを求める映画」とか世間は言うから、「マルホランドドライブ」並みに感じることに専念しようと覚悟して劇場に向かったんだけどなw。

予告編で観てビビッときたのは、車が横転する様子を逆回転にした映像。ほほー、今度は視覚で時間をひっくり返してくれるのか。ところがいざ本編観たら、逆向きに動く人々の中を前向きに進む人がいる。順行と逆行が映像として共存している。銃弾は銃に戻って弾痕が消え、爆発は何もなかったように収束する。クライマックスの建物破壊シーンを含む大銃撃戦まで、驚きの連続。お腹いっぱい。

もちろん予想をはるかに超えたストーリーも驚きしかない。過去と現在を行き来する回転ドア、同じ時間を前から後ろからの挟み撃ち攻撃、タイムパラドックス…。とにかく情報量が多いくせに、展開が早く、理解させてくれる時間を与えてくれない。でも、ストーリーが進むにつれて疑問だったところが鮮やかに謎解きされるのが心地よい。戦ってたあの相手って✖️✖️だったの!?逆走してきたあの車って✖️✖️が運転してたの!?テレビでメイキング映像をチラッと見たけど、あの格闘シーンは逆回しじゃなくて、逆回しに見えるように振り付けられてるんですと。

正直言うと「インセプション」の方が好きかな。あれはひねくれた話ではあるけれど、結局は愛の物語だもの。「TENET」は緻密に計算されたお膳立てが魅力の映画。その行間に人間ドラマの深さを織り込める余裕はなさそうだ。

「インセプション」は「女王陛下の007」のオマージュが露骨だったけど、今回もノーラン監督の映画好きがいろいろ散りばめられているように思える。ラストの主人公とニールの会話は「カサブランカ」のオマージュだよね!…あ、これこそお節介?


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