忘却への扉

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偲ばれてこそ

2010-09-22 | 共に
 『人は2度死ぬ。1度目は亡くなったときで、2度目は忘れられたときである。』 お彼岸だからか最近ラジオ番組と新聞の4コママンガで見聞きした言葉に共感する。
 『お墓掃除してハナエダあげといてよ』と言われていたのに、水を持って行ったのは数日遅くれた。墓地を軽視するつもりはないが、墓前や仏前で合掌することは習慣になっていない。
 お天道様や身近にある里の神仏に日常手を合わせ拝んでいた祖父母といっしょに暮らしていたころは、私も同じに手を合わせていた。あの頃村のみんなが、周囲のどこにでも存在した神や仏に尊敬と親しみと時には恐れも感じていた。
 大人になると純粋な信仰としての神仏と言うより、宗教を名乗る団体の生臭い部分も知ってくる。水木しげるの描く妖怪たち同様、貧乏な村人家族も共に見守り時には罰を与えた身近な神や仏にとっても住みにくい現代社会だと思う。
 もともとキリスト教系幼稚園で聖書を聞き家にも母が持っていた。そのせいなのか祖父母の拝む神棚や御室にお堂に地蔵さんは否定しないが、仮にこの世に神や仏が実在するのなら生臭さ宗教など天罰の対象だろうと思う。
 歳を重ねるにつれ私に関わる人たちにも亡くなる人が増えてくるのは寂しいが、知人とか生前よりもその人物が見える気分になる人もある。身内となればそれ以上で、毎日のように過去を偲ぶ。
 拝むよりは想う方が、より故人を身近にいる気持ちでいれる。忘れない時間が私に後どれだけ残されているか、私も受け継いだ部分がありそれを含めて偲んでもらえる人になれればと思っているが、さて。