忘却への扉

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両方の希望は

2010-09-14 | 平和を
 脳死判定後に本人の生前の臓器提供意思確認ができない場合でも、家族が臓器提供を承諾すれば、それを受けて臓器を摘出し移植手術ができるようになり、臓器提供が増えるきっかけともなっている。
 テレビのお宅訪問番組で何度か、私は夫が亡くなったとは信じていないので‥と話す女性を見た。身近かな人の死を認めたくない気持ちは、長期間持続するか早めに乗り越えられるかの違いで多くの人が体験するだろう。
 どちらにしても忘れることなどできはしない。だとすればいっそ脳死後の臓器提供に同意するのも、現実に体の一部分でも別の人に役立ち共に生きているとの感情を保つ方法の1つかもしれない。
 脳死ではないが私の身内にも家族の意思で眼球を提供した人がいる。やはりどこかで日々の社会や風景の移り変わりを見ているはずと想像できる。もしかしてすれ違っていた可能性まで考える。
 他の臓器はすでに提供できない状態だったのか、かりにできていればその生きる人の数だけ期待も増える。臓器提供に関心はあるが、私の場合はそれを知るずいぶん前に国家の暴走による戦争などでの無駄死にはいやの思いから献体の会に入会していた。
 目の片方だけとか方法は皆無ではないが、できれば全身を献体したい。臓器提供を家族優先にすることができるように、第1希望が献体で事故などで献体に差し障りのある時には第2希望として臓器提供を実行できれば良いのだが。 真の平和な社会であってこそ、真の命の大切さがわかる。