何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

安全な薬物療法はあるのか

2009-08-18 23:06:53 | よくわからないこと
 薬局をやっていてい、安全を意識しない日はない。たくさんの人に、たくさんの薬を渡していて、その錠数たるや相当なものである。それが全国の薬局で交付され、国民が服用する。合計を考えると、恐ろしくなる。

 それだけの薬が日夜、消費されている。「安全を確認して交付している」なんて、実は何事もありませんようにと祈りながら渡しているにすぎないのではないか。

 果たして、「安全な薬物療法」なんてあるのだろうか。安全を願いながら薬物療法に臨むことはあっても、安全を保証することなどできないはずだ。

 こんなことを思ったのは、「なぜ、かくも卑屈にならなければならないのか」のp.81、病院が「安全」だなんて誰が言い出したのだろう、の章を読んでからだ。

 設備を整え、スタッフを教育し、どの病院もより安全なところであろうと努力しているが、そういった努力の及ばぬところ――病院というものがどうしても内包する性質として、100%の安全はない。

 薬そのものが“危険なモノ”、“取り扱い要注意”であるはずだ。少しでも薬理作用が“暴走”してしまわない条件下で使用しても、患者に及ぼす強さまでは制御しきれないし、薬を使用する患者自身の体調が急変しないとも限らない。またゼッタイ誤服用しないという保証もない。

 薬局で提供することのできる「安全」なんて、しれたものかもしれない。安全を「提供する」というのも書いていてヘンな表現だとふと思った。提供できるものを持っているのなら、小出しにする必要などなく、惜しみなく与える必要や役割が薬剤師にはある。「惜しみなく」与えられるほどの量の安全を持つことに、すべては始まるのかもしれない。
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超!部下マネジメント術

2009-08-18 22:17:41 | Book Reviews
「超!部下マネジメント術」 石田淳・著、インデックス・コミュニケーションズ、2009年1月31日

p.27 “学び”を支援するために行うさまざまな活動の集合体が「インストラクション」なのです。

p.30 “誰が誰に対して行っても効果が上がる「インストラクション」”を実現するために生み出されたのが、「インストラクショナルデザイン」です。

p.33 「ADDIE(アディー)モデル」
 分析(Analyze)、設計(Design)、開発(Develop)、実施(Implement)、評価(Evaluate)

p.52 親と子、上司と部下の“情報格差”は、この「もう~だろう」「きっと~に違いない」という思い込みによって生まれます。
 まずは、「何も知らない」「何もできない」ということを起点にして考えないと、“教え手”と“学び手”のギャップは決して埋めることができません。

p.58 環境の変化に対応できるのは「ヒト」

p.70 指導の成果が上がらなかったとき、あるいは“学び手(部下)”が間違った行動をしてしまったときには、その原因は上司が部下に行った指導方法の中に潜んでいます。

p.75 仕事が「できる人」と「できない人」の差というのは、実は1つひとつの「行動」におけるほんの小さな違いによって生まれていることが多いのです。

p.84 1つの「行動(業務)」を指導するためには、そこに含まれる「教えなければいけないこと」を「知識」と「技術」に分類して考えることが非常に大切です。

p.109 「わかりました」と答えても、実際には「わかっていない」ことがほとんどであることについて、次のような4つのパターンが考えられます。
・実際に習得、理解している
・本当はわかっていないが、上司に対して「わかりません」とは言いづらいので、わかったふりをしている
・本人はわかったつもりでいるが、実際には間違った理解をしている
・部下自身が「わかっているのか」「わかっていないのか」、本当のところを判断できていない

p.139 部下に何かをさせるなら、教えようとしていることと直結した「行動」をやらせる

p.148 部下成長マネジメント計画では、「知識を身につけた」「できるようになった」は通過点にすぎません。
 最終目標は「身につけた知識や技術を、日常の業務の中で実際に活用すること」です。

p.151 成果が上がっているかどうかを確かめたくなりますが、ここでチェックするのは「成果」ではなく、「行動」こそがポイントなのです。
・習得した知識を生かした「行動」をしているか?
・習得した技術(=望ましい「行動」)を遂行しているか?


 上司が部下に教えるというのなら、上司であるから教えるのではなく、教えるにふさわしいだけの力量と研鑽を積んだ人間であってほしい。単に経歴が長く、それに伴う経験が多いだけの上司なら、教わらないほうがよいくらいだ。

 本書で説く「教育」とは、何も部下に対してにこだわることなく、通常の社内教育においても、また服薬指導に置き換えても通用しそうな感じがした。

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