何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

妬みを強さに変える心理学

2009-08-10 22:27:13 | Book Reviews
『「妬み」を「強さ」に変える心理学』 加藤諦三・著、PHP文庫、1995年12月15日

p.4 自然に情緒的な成熟がとげられていくひとは肉体的年齢とアンバランスを生じない。

p.21 人間というものは、毎日毎日の苦しみであっても、その苦しみを自分が当然受け入れなければならないものだと考えた時、その苦しみに耐えられるのである。

p.48 「他人の人生などまねる必要はない、俺には俺の生き方があるんだ、俺には俺の人生があるんだ、何もおまえと同じ生き方をしないからといって俺の価値がないような言い方をすることはない」

p.61 自分が生きていくことに自分が責任をとるという生き方こそ、われわれに意味を感じさせる生き方である。

p.64 他人の話をひねくれて聞いている人間が、ひとつだけ勘ちがいしていることがある。それは、素直に人の話を聞いている人間も、実はひねくれている自分と同じように十分にひねくれるだけの理由があるのである。ただ彼はそれをがまんして、人間の修養によってひねくれないだけの話である。

p.66 甘えた人間がすねるというのは、甘えた人間は自分の苦しみしかわからず、他人の苦しみに関しては恐ろしいほど鈍感な人間であろう。

p.80 絶えず自己研鑽を怠らず、新鮮な感情を持って相手を愛するということが愛の礼儀である。絶えず自己研鑽し、日々自らを新しくし、その新しい自分をもって相手を愛していく時、それが真の愛情となるのではなかろうか。

p.87 自己研鑽の場を失った人間は魅力を失う。自己研鑽とは、現実の自分を認め、その現実の自分から理想に向かって歩いていく姿なのである。そういう人間だけが新鮮な感情を持って他人を思い遣ることができる。

p.95 自分の実力を過大に評価し他人の実力を過小に評価するからこそ、絶えず欲求不満なのである。

p.98 われわれがこの世に生まれた以上、好むと好まざるとにかかわらず、一つの役割を担っていく。その役割が、自分の意思とかけ離れて一つの社会的な力となっているのだということを自覚しなければならないと同時に、対自然との関係においても、自分が否応なく一人のは会社となっていることを自覚しなければならないだろう。

p.102・104 体制や不当な権力への憎しみのように外へ出すことを許される憎しみと、外へ出すことを生涯禁止される怨みがある。決して陽の目を見てはならない怨みがこの人生にはある。この怨みを自らの魂の中にじっとこらえて生きる時、その時こそ人間は鍛えられる。
 背負った苦しみが大きければ大きいほど、人は大きくなる。ただその時に大切なのは、自分に対する誇りを失わないことである。

p.122 「たとえどのような人生であってもかくのごときが人生であったか、ならばもう一度」(ニーチェ)

p.146 実質的な生活の生長をとげる時の精神の大格闘もできないくせに、生意気な口をきいて、自分には良心があるの、彼らには正義感がないのなどと言っても笑い話である。
 弱い者にも変革を語ることはできるが、現実に変革することはできない。

p.153 われわれの議論は、自分がいかに納得するか、相手がいかに納得するかではなく、いかに相手に勝つか、なのである。自分が納得することより、相手に勝つことの方が大切なのである。勝ち負けにあそこまでこだわるのは神経症である。

p.154 民主主義の基礎は個人主義であるが、われわれ日本人は劣等感が強すぎてとうてい個人主義であり得ない。そもそも民主主義とは、劣等感の強い国民には適していないのである。

p.156 “俺には俺の人生がある”ということを繰り返し、繰り返し述べてきた。それはつまり、優越することだけがこの人生の唯一の喜びではないのだということなのである。

p.173 自分のナルシシズムを克服し、依頼心をなくすことである。甘えた態度の克服、自らの情緒的未熟児の部分の克服、それ以外に嫉妬、妬みという地獄からの脱出はない。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする