以前、弓道の女子会でお酒を飲んだ時、大柄な先輩が言った。「もう、この年になったら、指一本ふれんわ。」と、豪快に笑った。先輩夫婦は仲がいい。もう誰も勝てないと思う。長い間寄り添って生きてきて、男と女を越えた夫婦には神聖なものすら感じられる。
母が父を見舞う時、父はわがままを言う。わたしには飛び切りの笑顔を見せるが、母の前では不機嫌になる。これが夫婦なんだと思う。父と母の間には、娘でも太刀打ちできないものがある。
殿の最後の時も、一秒も病室を離れられなかった。わたしがいないと目で探しているのが分かると娘たちは言った。最後の一秒まで寄り添えるのは夫婦なのだ。そこには、好きだとか、愛しているとかいう言葉を超えた何かがある。
大恋愛の末結婚しても、40年も過ぎると、会話が少なくなって、綾小路きみまろではないが、「あれから30年・・・」と、言う状況になるのかもしれないが、それでも孫の前では、夫婦が同じ方向を向いて笑っている。例えば、子どもがいなくても、一緒に食事をして、元気でいることのしあわせを当たり前に感じている。当たり前に家にいることで、みんな少し油断している。
そういうことがあったなという思い出に感謝して、大切に生きていくのも役割かもしれない。ちょっと寂しい時、暗い歌が心地よいのだそうだ。そして、暗い歌を知っている人は優しい。心が少し病んでいる人は愛おしい。寂しい人のそばにいたいと思う。わたしと姑が仲がいいのは、そういうことかもしれない。