予定の中で苦痛なのは会議だ。会社などでは、あらかじめ方向性がついていて、報告を下ろすか目標に向かっての(工事であったり拡販であったり)の知恵を出す。あるいは、大会を成功させるための打ち合わせ会議は綿密に行わなくてはならない。しかし、世の中にはもやもやしている会議がある。方向はあるんだけど、そっちへ向こうとすると、地面の水たまりを覗いて意見する人がいる。
過日も、ある会議で合否の話が出た。学科問題にABCのランクなどいらないのである。合否しかないとわたしも思っていた。そこをついた良い意見に、S女史も、迷っても最後はきっちり判定してそのことに自信をもってほしいと言われた。しかし、うやむやになった。でも、少なくとも覗いている水たまりに石は放り投げなくてはならない。心の底で拍手したが、ここは議決機関ではなく申し合わせ会なのでそのまま流れた。事件は現場で起きているんだっ。
また、絶対に言わないでおこうと臨むのに、生来父のDNAと同じで、頭は悪いくせに正義感が強く、それで失敗するのに懲りないというわたしは、またやってしまったのである。
小百合は黙って微笑んでいればよいのだが。幹部が黙っていたらその件には触れないでおこうと大人の判断をしていたのに、幹部が「特例あり」と、発言した。あぁ、だめだっ!「突っ込むわけではないですが・・」と、言って突っ込んだ。しかし、どうも突っ込まれたという意識もないような反応で、空振りに終わった。しかし、後で同意をしてくれた仲間がいて救われた。例えば、貧血をおこして倒れる小百合を支えてくれる仲間を大切にしたい。
さて、予定の話が会議の話にすり替わったが、要するに、出来れば会議は出たくない理由は、無駄な時間がもったいないと思ってしまうところがある。わたしはせっかちで、違う意見の人の話をちゃんと聞けないことも反省の一つだ。自分が主催する場合は、根回しもできるが、会場で突然渡された資料を理解するまでに時間がかかる。他人の意見はまず聞かなければ。良い意見は声を大にして応援し、違う意見にはバトルもやむを得ない。
みんな会議にはどういう(予定)未来を抱えて臨むのだろう。少なくとも、忙しい時間の中から集まる貴重なみんなの時間をあだやおろそかにはしてはいけない。よほどの重大事件がない限り、終了時間の延長も考えにくい。