まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

闘病日記

2014-04-12 | 暮らし

実は読書は好きだが、闘病日記だけは好んで読んだことがない。また、1冊も持っていない。

旦那にブログに書いてもいいか聞くと「いいよ。」と、言う。たぶん、おしゃべりな私が黙っているわけにはいかないと知っているのだろう。そして、せっせと書いていて初めて、闘病日記は書かずにはおられない気持ちが書かせるのだということが分かってきた。心に持っていられないのだ。

闘病日記の本の結末はたいがい「死」だ。縁起でもないと思うが、誰でも死に向かって生きていることを普通は意識しない。意識していたら身が持たない。ところが、嫌でも遭遇するその時に、泣き、うろたえ、後悔し、懐かしむ。何よりも、残される寂しさを思う。

下血の後、一命を取り留め、ほっとすると「ありがとう。的確な対処で冷静さに感謝する。」と、言われた。

その時ほんとうに冷静だった。治ると信じていた。失った血は輸血すればいいと、楽観的に思っていたからだ。無知が幸いするときがある。

二度目の静脈の血栓は腎臓から下全部が詰まっているのを見せられ、行く道は「突然死」という危険を何回も刷り込まれ、医学的な危険度の高い知識を植え付けられる。意識しないではいられない状態になる。ひとりになるたびに泣いていた。

そんなとき、家族や友達の声を聞くとホッとする。後のことを今考えて背負うことはないと言われて、聞いてくれる友達に感謝する。しかし、ひとりになるとやはり我慢できなくなる。そんな時に、パソコンに向かうと涙が流れても、少しずつ気持ちが整理されていく。闘病日記を書く意味が分かってきた。ほんとうに自分が弱い人間であることがわかり、今まで見えなかったことが見えてくる。幸せだったことが当たり前に続くわけではなく、誰もが必ず通る試練であることも知る。

こんなに弱い自分を知り、いつも支えられていたから生きて来られたことを思う。


決戦の日(血栓の日)

2014-04-12 | 暮らし

朝8時の面会に旦那のベットに5,6名の医師が集まってCTの写真を広げて話し合っていた。そのあと、話があると言われ再びマスクをして白衣を着、ICUの中の説明室へ入る。

昨夜は点滴に少しずつ血栓を溶かす薬を入れるという話が、血栓が腎臓の横の所まできていてリスクは高いがフィルターをかける方法もあるがどうするか?と、尋ねられた。選択権をゆだねられるとは。「先生はどちらがお勧めですか?」「どちらもリスクはあるが、そのままでは血栓が心臓に行き、突然死の可能性が高い。フィルターはかけるときに静脈が破れる場合がある。」どちらも危ないのだ。それで、決めるのは家族なのだ。でも、わたしにとって大切な人だが、娘や妹にとってもかけがえのない人だ。相談する時間をください。1%でも確率の高いほうを決めたいと思う。「ちなみに旦那さんはカテーテルを入れてフィルターをかぶせることに賛成してます。但し大変危ない。結局、娘たちと相談しフィルター説の方を選んだ。何もしないよりしたほうがいい。つきましては、術中に何かあっては大変なので家族の方の面会をということになって、仕事中の娘と婆さんと旦那の妹とご主人が来てくれた。みんなを呼ぶ間、もし2度と会えなかったらと思うとまた泣けてきたが、全員そろったら気持ちは落ち着いた。

みんなが集まるとパワーも増す気がする。絶対うまくいく、先生はリスクを強調するのは万が一の時のため。そう思って待っていると眠気が襲ってきた。待合室でぼやっとみんなの話を聞いて待っていた。

3時半。呼ばれてICUに入る、スリッパを替え、消毒をし白衣をはおり、今日の朝からこの動作を何回も繰り返している。処置は無事成功し血栓も少しずつ溶け出してきたとのこと。医学の進歩と、みんなの目に見えないパワーのおかげ。医師と看護師の活躍は、無力な私にとっては神様みたいに思える。ひたすら感謝。

予断はゆるさないとはいえ、婆さんも涙をにじませて喜んでいた。