木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

天皇制度を考えるべき時

2018年09月16日 | Weblog

昭和天皇の戦争責任
に関しては今まであいまいに見過ごされて来て、国民の大半はこのことを真剣に考えてこなかったが、ここへ来てそう見過ごすには昭和天皇は昭和の侵略戦争に深く関与・主導してきた資料がアメリカ公文書館に残されていて日本の研究者もこのことに言及するようになった。
そんな中で昭和天皇の最晩年の侍従だった小林氏の日記の内容が報道された。
そこには先の大戦に関して苦悩を吐露する天皇に対して「戦争責任はごく一部の者が言うだけで国民の大多数はそうではない。戦後の復興から今日の発展を見ればもう過去の歴史にすぎない。お気になさることはない」という部分に違和感を持ったという投稿が信濃毎日新聞に掲載された。
日本人だけでも300万人以上の犠牲を出した大戦を「お気になさることはない」とはあまりに軽々しい。侍従の仕事は歴史の判断・評価をすることではないとこの投稿者は結んでいた。
新聞の投稿は必ずしもすべて掲載されるわけではなく、不適切な表現だと編集者側が判断すれば、柔らかなあたりさわりのないものに変えられたりする。
この投稿もやや改編されている感があるが、私はこの投稿者の言う通りであって、国民の大多数がこれから7,80年以上たった戦争の責任の所在は何処に誰にあるのかを真剣に考えていかなくてはアジアの人々にとんでもない犠牲を強いたのが日本人だという加害責任を自覚できないと思う。己の罪を自覚しないままこれからの世紀をすごすとは実に情けないことだ。
そして父の昭和天皇の戦争責任をだれよりも痛感していると思われる平成の天皇だとは思うがその慰霊の旅にも私は違和感を持つ。平成天皇の慰霊の気持ちは疑いないと思うが、その行動により戦争の罪に区切りをというようになってしまう恐れを感じてしまう。
天皇という特別な存在がそうした清めの道具になってしまう。天皇制度自体も私達日本国民はこれから考えていくべきと感じている。

コメント
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